実家の方へもうそろそろ行けるんじゃないかな、と思っていました。
別に行きたいとは言いませんでしたが、雰囲気だけで家族に猛反発されてしまった。密なところにはもちろん行かないつもりだったけれど、これでは注射を打ってもらっても、どこにも行けないかもしれません。
もちろん、世の中にはあちらこちら行く人もいるだろうけど、私んちはとにかく注射をしないと、どこにも行けないみたいです。
だったら、早く注射してもらったらいいんですけど、どこへ連絡しても予約が殺到し、電話はつながらず、肝心のワクチンの絶対数が足らないそうで、私んちは9月の初めにようやく受けられるそうです。
長いけど、あと2ヶ月くらい、簡単に過ぎていくことでしょう。ほんとうに時間は、知らない間にどんどん過ぎ去るもののようです。それを嘆いても仕方ないし、それは永遠の事実だし、流れていくものに対して私たちは何もできないんです。
どこにも行けないし、どこにも行かない。気力も減退しているし、足腰も弱くなっています。誰にも会わないで、どこか遠くに一人で行くんだったら、それはいいだろうけど、どこに行く当てもありませんし、あいにくの雨続きで、すべてに対して気力が衰えています。
どこにも行く気はなかったけれど、家族に猛反対されると、ひねくれ者魂がうずいて来て、どこかへ行きたくなるけれど、肝心のどこかがどこにもなくて、また元のションボリに戻って行きます。
堂々巡りで、不毛の循環をクルクルしています。
そうだ。どこにも行かない。もう少し落ち着いて、本を読んで、絵を描いて、草むしりして、服の整理をして、ゴミを出して、身辺整理でもしてみましょう。ゴミだらけの部屋の中で、わけのわからないことばかり書いてても何にもなりません。
芭蕉さんと松島にずっと行きたいですし、曽良さんの日記もずっと読んではいるんです。でも、何も思い浮かばなくて、なかなかこれも書けません。何かこれだというのを見つけないと、書けないもんですね。
ずっとモンモンとしています。干刈あがたさんのエッセイ集、これも同時進行で読んでるんですけど、これも進まない。何もかも停滞していて、スカッとすることがないですね。
1 物語でなくて詩と日常のネム
ネムの花から物語を想像できないのは、私の貧困です。それは仕方がない。トリだって来てくれないんですよ。あんなに花が好きなトリたちも食べるものがないのかな。
2 白シャツと山高帽の複合橋
路面電車とクルマが一緒に走る街、そういうところに行けるのは今度はいつになるんだろう。
そう、今夏の18キップもあきらめます。冬になったら、今度こそ何シーズンぶりで買おうかな。そして、どこか遠出したい気分です。
3 人知れずよその仕事と麦の秋
収穫というのは、ずっとはた目から見ていると、いつやるんだろうと気になっているものの、知らない間にバッサリやられてて、それで慌ててしまうことが多いです。
人に仕事しているところなんて見せるものではないのかもしれないな。
ああ、梅雨は進行中です。ワクチンはさっぱり届きません。やはり、今の政府の後手後手って、自分が体験しないとわからないもんでした。