表紙の写真は、NHK-BSの「こころ旅」という番組の、今年の最終回で、種子島の千座(ちくら)の岩屋というところを火野正平さんが訪ねた場面でした。少しピンボケです。
女性の一人旅で出かけた種子島で、たまたま一緒になった夫婦と息子さん、彼らと旅をするうちに息子さんとも仲良くなり、結局その人と結ばれたそうで、そのきっかけとなった海蝕洞窟の千座の岩屋に行ってくださいと依頼され、今年の旅の最後に正平さんはここを訪れました。
去年も今年もそうでしたが、カゴシマ生まれの私としては、九州から切り離された島々の、すぐに海と出会い、いつも他の島々のことを考えながら自分たちの世界の中で完結している感じ、これがなかなかステキだなと思うようになりました。
全く興味がなかった種子島にも行きたくなりました。そんなに遠くはないのですが、どういうわけか遠くなっているこれらの島々、早いうちに訪れたいと思う今日この頃です。
近ごろ、奥さんとよく買い物に行きます。その度にダンゴ系のおやつを買ってもらって、ひとりでムシャムシャ食べることがあります。
二見の酒素饅(さかもとまんじゅう)は、家族みんなが好きなので、割り当て分しか食べられませんが、黒蜜ダンゴ、これはなんと五本とも一人で食べてしまいました。ああ、恐ろしい。デブになりそうです。デブ、ハゲ、チビ、メガネ(老眼鏡)、短足すべて取り揃えてもう何冠王でしょう。マイナス要素をかき集めて、ふんぞり返るしかないくらいムチャクチャです。
反省したいと思います。運動しなくては!
そんなこんなの年末です。
ジェンキンスさんが亡くなって、ふと気になって、調べてみたら、やはりそうでした。
十年ほど前に日本にやってきて、それ以前の四十年ほどを北朝鮮で過ごしたということですから、ひょっとしてビートルズ世代かなと思ったのです。そのころに兵士であった彼が、強い思いをもって北朝鮮へと入っていった。
そこは理想の土地ではなくて、厳しい独裁主義の国であった。入り込んでしまうと簡単に出られなくなり、そのまま曽我ひとみさんと夫婦になり、四十年を過ごした。ひとみさんは先に日本に帰り、娘さんたちと少し遅れて来日して、それから十何年の日本の生活があった。
ジェンキンスさんとジョン・レノンさんは、同じ年の生まれなのだけれど、ジェンキンスさんが二月の早生まれで、学年は1つ上だけど、だいたい同い年。
レノンさんは、六十年代初めにデビューして、そのまま七十年代に突入して、しばらく休止して、さあ八十年というところで暗殺されてしまう。そこから、彼はいないのだけれど、奥さんのヨーコ・オノさんや息子さん、ファンのみなさんがジョン・レノンをたたえ、今も思い出されている。
一方のジェンキンスさんは、誰もしらないところで未知の国に亡命し、そのまま地球上から消滅したかと思ったら、突然二十一世紀初めによみがえり、もとの社会に復帰して、最後の十数年を家族と楽しく過ごせた(と思います)。
二人につながりはないけれど、一つの世代のそれぞれの生き方だなと思いました。そうです。私と同い年の星稜の小松辰雄さん、東北の佐々木さん、二人とも甲子園のヒーローでしたが、小松さんは交通事故、佐々木さんは生徒たちの事故、あれこれあったみたいです。
でも、なにはともあれ、私たちは今日も、明日も生きていかねばならないし、できれば楽しく生きていきたいし、せいぜいがんばるしかありません。
とりあえず、やっと年賀状書きが終了しました。
さて、出して来なくちゃ!