NHKの朝のニュースなんかで、取材した人が何か語る時、「……していただいて、ホントに……です」などのコメントをもらって、そのまま流す時があります。聞き取れない場合もあるので、字幕をつけますが、「……してもらって」と書かれています。
どうも、日本語的には、現在のところ、この言い方が正しいらしい。確かにこの人が誰かに物質的・精神的にサポートをしてもらったわけではない。けれども、目に見えないサポートを感じているから、感謝の意味も込めて、これからもまわりの人たちに支えられてやっていかねばならないので、「……していただいて」という言い方を使ったわけです。
世の中は、生意気な人に対しては猛烈な風が吹くので、風当たりが悪くならないように、波風をたたせないように、テレビカメラの前では謙虚にしゃべらなくてはならないから、控えめな姿勢を言い回しに使ってみたというところでしょう。
私たちは、同調圧力やら、目立つ言動は避けなければならない、という知恵をつけさせられています。
この「……いただく」という言い方は、起源があるそうです。それを書いた本が出たらしいんです。
法政大学の先生の椎名美智さんという方の「『させていただく』の使い方 日本語と敬語のゆくえ」(2022 角川新書)という本で取り上げられているそうです。
敬語が、相手への敬意より自分の丁寧さを示す表現へと変化しているという。
「させていただく」は「させる」(許可)と、「もらう」(恩恵)の敬語形「いただく」からなる。
1990年代にブレークし、最近では「受賞させていただきました」のように、聞き手が許可や恩恵の相手でなくても使われるようになった。
〈2022.3.19 朝日新聞の書評欄に関東学院大学の中村桃子先生が書いておられます〉
バブル崩壊と失われた10年とかいうあの時代に、「させていただく」という言い回しがブレークしたなんて、そこから今までの30年は、その深化・発展だったのですね。
いつも誰かに許しを請いながら、自分は威張った存在じゃありませんよ。控えめにやってますよ。という思考のもとでコメントするようにさせられて来たのだと思われます。
もちろん、私もその申し子で、控えめで目立たないように、地道にコツコツやってます。サボったり、なまけたり、そんなのしょっちゅうだけど、みなさまの迷惑にならないように努力します、っていうふうにやってきました。
私のこの30年というのは、世の中で生き「させていただ」いた30年だったのです。
私だけではなくて、たくさんの人々がこんなふうに生きてきたし、人の支えがないとダメだし、世の中に、家族にいつも感謝しています、というコメントを時には言わなくてはならないし、まわりもそれを聞かないと、「あいつ、最近生意気だな。天狗になってる」なんていう批判をしかねなかったのです。
みんなで控えめブリっこしてたんですね。これは、まだまだ続くでしょう。新しい潮流が来るのかどうか、それは分からないけど、今の若い人は、割と自然にそういう空気を吸ってるから、コメントする時も暴力的に謙虚さを求めている気がします。許せないと相手に攻撃的に反発するかもしれない。
自然なコメントができるような世の中は、みんなが心がけなくてはいけませんけど、今の私たちの社会では、それは望めないです。総理大臣でも、生意気でヤジを飛ばしたり、ウソばかりつく人は結局辞めなきゃいけなくなりました。今の総理も、謙虚に真摯に向き合うというセリフをよく使っておられます。
トップもそうだし、コメントする人はみんなそうなんです。自然に「私のやってきたことが受賞につながりました。うれしいです」と述べられる若い人が出てきてほしいな。
「させていただく」ブームは、「丁寧な自己」で自分を守り、他者とつながることを避けるコミュニケーションが増加している表れといえる。「最近よく聞くなあ」という私たちの違和感をみごとに説明してくれている〈同上〉
ということだそうです。人とのつながりを拒否する言い方なんですか。なるべく使わないようにしたいと思いました。素直な言い方を考えます!
しゃべりって生き方ですから、私の今みたいな、ペコペコしたしゃべりでは卑屈になってしまう。すんなりと素直なしゃべりがしたいです。誰にも気兼ねしない、それでいてさわやかに聞こえる語りのできる人になりたいです。