もっと基本的なことから、自分の原点をたどる旅をしなくてはと思いました。
それで、父の日記を取り出してみることしました。
★ 1970.8.20 木曜 晴れのち曇り
八時半起床です。朝食三名です、子ども二人と自分。朝食後、子どもらの勉強を見てあげるのでした。(それから)パチンコ屋にひとりで行ってだめでした。昼食ラーメンを三名とも食べるのでした。食後、高校野球の決勝戦をテレビにて見ていた。東海大相模高校の優勝です。
妻は十四時五〇分帰る。(自分は)夜勤なので寝ることにした。十九時半夕食、食後に妻に足をもんでもらうのでした。
二〇時一〇分出勤、仕事調子良好でした。体調もまあまあです。給料日、思ってたより多かったのでうれしい。台風にも気を使
った。
1970年に東海大相模、1971年に桐蔭学園と2年連続で神奈川県勢が優勝した時のことでしょうか。原辰徳くんはまだ高校生にもなってなかったですね。台風が近づいてたのに、甲子園の決勝は行われたんですね。知らなかった。私はたぶんちゃんと見てなかったと思うな。興味もありませんでした。
桐蔭学園は、大塚投手というアンダスローのピッチャーだったかは、見たような気がするんだけど、よくわかりません。
★ 1970.8.21 金曜 雨のち曇り、風
七時一五分家に帰る。八時ごろ雨風強くなって来た。だけど二交替なので早く寝ることにした。八時過ぎ眠くなって眠っていた。
十一時半ごろ、子どもらが騒いでいたので目覚める。昼食にしてあげるのです。十七時半、夕食をいたします。十八時一五分出勤です。仕事切り替え後、調子悪く目の上をけがした。自分の不注意でもあり、残念でした。仕方ありません。朝方まで調子悪く疲れました。
お父さん、目の上って、危なかったですね。どれくらいのケガなのか、わからないけど、悔やんでいる気持ちは伝わりました。
少しこの気持ちは続いていくんですね。病院には行かなかったのかなぁ。だったら、それほどでもなかったんでしょうか。
★ 1970.8.22 土曜 晴れときどき曇り
八時家に帰る。妻や子どもたちも僕のけがに気を使ってくれる。薬取り替えてもらうのでした。くたびれたので食事は後にして眠ってしまった。十一時ごろ、上の子は習字より帰ってきたので十一時半の朝食でした。
食後横になっていた。目の上の傷にて何となくゆううつである。妻は十四時半帰る。それまでテレビを子どもらと見ていた。妻に昼食をしていただいて食べる。またとなくおいしい。お腹も空いていたのです。
その後、子どもらと広場に野球を楽しみに行くのでした。十八時家で行水をする。夕食十九時です。食後テレビを見ていたが、二二時日記を書くことにする。汗が流れ出る。もう寝ることにしよう。二三時寝る。
もちろん、当時はエアコンなんてありませんでした。扇風機でアツイ、アツイと言いつつ過ごしていたんでしょう。
夏休みはまだ続いていますよ。お父さんのお仕事も休みはありませんね。
★ 1970.8.23 日曜 晴れ、一時雨、のち曇り
九時めざめる。八時ごろよりさめてはいたけど、なかなか目があきませんです。けがにて目が重くかぶさるようで嫌な気分であります。
九時半起床する。妻は休みで洗濯をやっています。十時半朝食をして、体調重く感じられ何となくだるい。妻に足をもんでもらう。
十三時(カゴシマ)県人会の総会に出発する。途中パチンコ屋はだめ。ナンバにて一人で(またもパチンコ?)もともとといったところです。
会場のくいだおれに行ったときは、(総会は)始まっていた。みなさん楽しく飲んでいます。
十七時半(総会)終わる。その後、Mくんらとナンバにて遊ぶのでした。二〇時半ナンバを出る。また近くのパチンコ屋にてだめ。家に二一時四〇分帰る。子どもらも千日デパートに行ったとのこと。妻は盆踊り見に行ってまだ帰らず、二二時二〇分帰る。(妻に)足をもんでもらって寝る。二三時です。
八月の四日間、お父さんに教えてもらいました。千日前デパートよく行きました。うちは何かというとナンバで、高島屋か千日前か、どっちかだったんですね。少し思い出せそうです。
この時はグデングデンじゃなかったんですね。そんなにお父さんがグデングデンというのは、めったになかったですもんね。