甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

泰吉さんと鉄さんと私?

2018年03月10日 06時46分35秒 | 大和路を歩く

 先週、実家に行きました。行く時の近鉄では、ずっと変な人で、それらしい風景を時々思い出したように、バシャッと撮っていました。本居宣長さんの気分だったんですね(菅笠日記を取り上げるときの写真にならないかなという魂胆があったのです)。

 それでも、「菅笠日記」に出てくる吉隠(よなばり)という地名にびっくりしたり(現在でも正確な位置は確認していません。桜井市というのは確かだけど、どこにあるんだろう)、人口数万の三重県の名張市は、昔は大阪に1時間で通えるから、新しいおうちが建った時代がありましたが、地価が下がった現在では、大阪の人からも敬遠される、ただの三重の地方都市になったり、近鉄大阪線沿線の盛衰があるみたいなんだけど、電車では撮り切れません。ただザーッと通っていくだけです。

 町の移り変わりって、短いサイクルではありますね。三重県もよその資本をあてにして、変てこりんなイベント・政治ショーを呼んできてばかりです。その度に県民は右往左往してますけど、ホントに町にとっていい効果があるんだろうか。私は懐疑的です。

 今年、三重県では大きなイベントは何があるんだろう(イベント頼みの行政から脱却してほしいんですけど、もっと地道な行政をしてほしいんだけど……)。とりあえずインターハイがあるみたいです。まあ、それはいいことなのかな。

 大阪からの帰り、神戸の古書会館には行かず、春の初めの陽だまりの奈良を見に行こうと、宗教心もなく、野次馬心だけで、奈良県立美術館に行き、そこから突然に多聞城と呼ばれたお城のあとにも行きました。……(多聞城は戦国大名の松永久秀さんが築いたお城だったそうです。お城で押さえつけなくちゃいけないくらい、戦国時代になっても興福寺は独自の戦力を持っていたそうです。だから、それを抑え込む城が必要だったということです。)



 お城があったあたりから、東大寺の方を向いてみると、こんなふうに見えました。家並みの上にひょっこりと大仏殿が見えて、人々が作る家波の上を巨大なクジラの大仏殿が泳いでいるみたいな風景がそこにありました。

 でも、それは私が見つけたものではなくて、奈良にこだわりまくった写真家の入江泰吉さんの写真の後追いでした。



 うちにもある「昭和の奈良」という写真集には、本当にこれは昭和? 江戸じゃないの? 明治じゃないの? それとも松永久秀の戦国?(みたいなのはなかったかな……)のような写真がいっぱいでした。

 私たちは今、平成の次は何だ! もうすぐ新しい元号になるぞ! 光文? それは昭和になる前に流されたデマ(?)だったけれど、そんなことで浮ついているけれど、ちっとも私たちの本質は変わっていないのに、何だか先端技術がなければいけなくて、先端技術の粋を家の中に持ち込み、持ち出しして、それに一喜一憂する日々ですけど、そんなのは捨て去って、この時代の感じをしっかり持ったまま生きていかなくちゃ! とか思ってしまうのです。

……イマイチ、書いていることが伝わりませんね。新しい元号が始まるけど、それを期待している私たちって、いつの時代の人なのだという気分でした。元号でくくることって、よくあるし、今の若い人たちは、古い世代の私たちを「昭和」でひとくくりにするけど、そんなのやめてほしい。元号を当てにしている私たちは、どんなに新しい入れ物ができても、ちっとも変っていなくて、ただ古いものをさげすんだら、それで事足れりという感覚になってないか、それが言いたかったんです。ちっとも変わってないのに、少し古いものを毛嫌いしている(最新のものはやたら重宝しているのに、特にスマホの進化・侵略は恐ろしい。だから、私はスマホを持たない? ホントは欲しい?)。

 自分たちの暮らしを見直させる写真集だと思っています。ちっとも変っていないところと、世の中の表面的な所はものすごく変わっているように見えるという、芭蕉さんの言う「不易と流行」だと思いました。変わらない部分と変わっていく部分。今の若い人が見たら、古いモノクロ写真にしか見えないんだろうけど(このギャップをどうしたら埋められるかな、着色して動画みたいにしないとダメなのかな……)、ぜひ見てもらいたいのです。



 ……これらは私の写真です。泰吉さんのではないです。

 おそらく入江泰吉さんも、奈良に住んでおられたのだから、奈良的な寺社仏閣を撮らねばならなかったでしょうけど、それよりも、奈良の人々をついでにというか、実はメインで撮っておこうという気持ちも持っておられた。

 そして、人々の他には、この奈良の人々が住む環境の光や風や自然を撮ろうとされたんじゃないかな。カラーの作品には、そういう気配・傾向があります。泰吉さんはカラーで人物を撮ったんだろうか。あまり見た記憶がありません。カラーにすると、その人の暮らしが引っ込んでしまう気がしたのかもしれません。あまりに顔や雰囲気が写ってしまい、その人がどんな暮らしをしているのか、何を考えて歩いているのか、伝わりにくくなったとか、どうなのかな。



 ネットで借りてきた不染鉄さんの絵はがき。鉄さんはたくさんの絵はがき作品を残しておられます。資料的な価値が高く、現在では時系列と宛先別で編集されているけれど、いつかもう少し人気が出たら、テーマで編集して、そのことばも、しっかり読める形にして、ふたたび味わいたい作品だと思いました。

 再々放送を録画していて、それを昨日見てみたら、鉄さんも、自分の暮らしを見つめた絵を描いてはいたけれど、大島で過ごした日々のこと、奈良で晩年を過ごしたこと、それらを踏まえて、人々の暮らしを描こうとした人だったのだと改めて思いました。



 この「廃船」という作品だって、船の上にも下にもたくさんの家と、たくさんの人間たちが描かれていました。そりゃ、個々の人間の暮らしを描くのは無理だけれど、そこで一瞬何かをしているのを切り取ることはできるから、それらを細密に描いています。

 その一つ一つが、ブリューゲルの「バベルの塔」みたいに描かれていて、「廃船」は、鉄さんの「バベル」なんだと、昨日から思ったりしています。

 そうなんです。私たちは、近景にとらわれたり、遠景にあこがれたり、遠くなったり近くなったりしながら毎日を生きています。本人は淡々とした日常だけど、その心は遠くなったり近くなったりする。

 私は? 私は、人々の暮らしに肉薄したい。それらを描ける人になりたいと思いつつ、あまり人と関わることは面倒だと、行ったり来たりを繰り返し、今に至っても、人々をうまく描けていません。

 でもいつか、人々の暮らしを描ける人になりたいと思っています。それがどんな形であれ、めざすところはそういうところです。それで、奈良におられた私のあこがれの人を取り上げました。目標めざしてせいぜいがんばります! 


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