ロヒンギャというミャンマーのイスラム教を信じる人たちがミャンマーから逃げ出して、同じイスラム系の国であるインドネシア、マレーシアをめざして漂流し、折角流れ着いたというのに、受け入れ拒否されて、海に浮かんだままでいるということを、つい最近知りました。
ミャンマーに少数民族がいて、山岳部やら、国に周辺部にいるというのは聞いていましたが、そうした民族の一部の人たちが国外逃亡をめざしていたなんて、すっかりミャンマーのことなんか、忘れていたのですね。
それよりも、統一地方選であり、原発再開であり、集団的自衛権だったような気がします。そういえば大阪都構想の住民投票というのもありました。すべてに日本は内向きで、よその国がどうなろうとあまり関心がなかったような気がします。
英国王室に赤ちゃん誕生、ヒラリー・クリントンさんの大統領選、韓国とのギクシャク、北朝鮮のわけのわからぬ外交、そんなこんながありましたが、もっと大事なことがあるはずなのに、この半年くらい、ずっと日本国内は内向きでした。私の家も内向きで、ゴールデンウィークをどう過ごすかとか、給料が下がったこととか、そんなつまらないことばかりに追われていました。
それで、何気なくニュースを聞いていたら、このありさまです。どうやら、同じイスラム系のバングラディシュを頼ろうともしたという話です。けれども、それよりももっと豊かなマレーシアやインドネシアをめざした。ということは、政治難民というよりも、経済難民といった方がいいのかもしれない。
たぶん、中国とおなじで、少数民族には冷たい、厳しい、配慮のない政治が行われていることでしょう。しかも、宗教までちがうのですから、弾圧・圧迫はあったはずで、生活にも困り、仏教徒系の人たちはそれなりに豊かになっているし、いろんな権利が認められているのに、彼らだけが厳しい生活を強いられていた。
そこで船をチャーターして、みんなで逃げだそうとした。めざすは豊かなイスラム系社会であった。しかし、貧しいイスラム系の難民を受け入れる余裕は、これらの国にもなかった。というのか、悪しき前例を作れば大挙して押し寄せてくるはずだし、何万人もの難民を受け入れたとしたら、大きな社会不安が予想されたはずです。
だから、人道的見地からすると、同じモスリムなのだから、受け入れてもいいのかもしれない。しかし、後がこわいので、受け入れられない。日本人からしたら、マレーシアも、インドネシアも、ミャンマーも、みんな同じに見えるけれど、たぶんクッキリハッキリ違うのだと思う。
かくして宙ぶらりんのロヒンギャの人々は、南の海で、どちらへも行けずさまよっている。こういう時に何か言わなきゃいけないのはアメリカですけど、アメリカも、もう海外にあれこれ口出ししないで、国内を豊かにしようという学者さんの声などもあるようで、内向き社会になりつつある。極東のゴタゴタや、東南アジアの人の移動など、一円の得にもならないことなので、自然に結果が出るまで、当事者たちに勝手に解決させるでしょう。
もう、どこへも行けず、船が沈没するのを待つか、飢え死にをするのを待つか、時間が解決するのを待つのでしょう。とにかく、両国は受け入れ拒否は決定している。
ミャンマー政府は、勝手に出て行った少数民族の命など無関心でいるのが一番でしょう。沈没するのもよし。向こうで受け入れてくれるのもよし。戻ってくると面倒だけれど、いろんな形で制裁でもすれば、少数民族支配のいい手本にもなるし、政府に反対して国外逃亡をはかるものたちの末路を大々的に報道すれば、反政府勢力もションボリするでしょう。
ああ、国を離れて新天地を求めて成功した例はあまりに少ないのです。たまたま成功したように見える北米・南米では、先住民への弾圧があったからこそ、成功したわけで、お互いが融和してうまく新しい社会をつくろうなんて、そういう理想は、この世界では通用しないですね。
暗い気持ちで書いているので、暗いことを書いています。
江戸幕府が開国して、あちらこちらに外国人居留地ができたことがありました。長崎にも、フランス人用に大浦天主堂が建った。すると、突然、マリアさまを拝ませてくださいという、日本のお百姓さんが現れる。びっくりした外国人たちは、二百数十年前に禁止になり、日本国内に皆無となったキリスト教の信者が、ずっと隠れて信仰を守り続けていたとカソリックの本部に報告をした。
彼らは素直に政府が弾圧したにもかかわらず、信仰を守り通した日本の隠れた信者たちに感動したのでした。けれども、すぐに日本政府の知るところとなり、すぐに弾圧されたということで、明治政府になってからも、神道だけが優遇され、キリスト教はもってのほかだし、今までずっと信じてきた仏教さえ抹殺しようとしたのだから、もう極端に走る人間の恐ろしさで、仏像が破壊されたり、嵐のような宗教弾圧の時代がありました。
そうした荒波を避けるためには、キリスト教の信者のみなさんは、五島列島に行くしかなかったのです。そして、それが今やっと脚光を浴びることになりました。それは喜ばしいことだけれど、そうせざるを得なかった事実は、さっきのロヒンギャと同じで、人間の不寛容さのあらわれだと思います。
私たちは、たくさんの失敗をし、とんでもない政府を選び、政府はとんでもない暴走をするときがあるものなのだと、歴史が教えてくれる真実から学びたいと思うのです。
そして、もし何か気づくことができたら、何かアイデアがあったら、ロヒンギャの人たちでも、五島列島の教会でもいいから、助けてあげたい。なんとかしてあげたいと思うのです。
ミャンマーに少数民族がいて、山岳部やら、国に周辺部にいるというのは聞いていましたが、そうした民族の一部の人たちが国外逃亡をめざしていたなんて、すっかりミャンマーのことなんか、忘れていたのですね。
それよりも、統一地方選であり、原発再開であり、集団的自衛権だったような気がします。そういえば大阪都構想の住民投票というのもありました。すべてに日本は内向きで、よその国がどうなろうとあまり関心がなかったような気がします。
英国王室に赤ちゃん誕生、ヒラリー・クリントンさんの大統領選、韓国とのギクシャク、北朝鮮のわけのわからぬ外交、そんなこんながありましたが、もっと大事なことがあるはずなのに、この半年くらい、ずっと日本国内は内向きでした。私の家も内向きで、ゴールデンウィークをどう過ごすかとか、給料が下がったこととか、そんなつまらないことばかりに追われていました。
それで、何気なくニュースを聞いていたら、このありさまです。どうやら、同じイスラム系のバングラディシュを頼ろうともしたという話です。けれども、それよりももっと豊かなマレーシアやインドネシアをめざした。ということは、政治難民というよりも、経済難民といった方がいいのかもしれない。
たぶん、中国とおなじで、少数民族には冷たい、厳しい、配慮のない政治が行われていることでしょう。しかも、宗教までちがうのですから、弾圧・圧迫はあったはずで、生活にも困り、仏教徒系の人たちはそれなりに豊かになっているし、いろんな権利が認められているのに、彼らだけが厳しい生活を強いられていた。
そこで船をチャーターして、みんなで逃げだそうとした。めざすは豊かなイスラム系社会であった。しかし、貧しいイスラム系の難民を受け入れる余裕は、これらの国にもなかった。というのか、悪しき前例を作れば大挙して押し寄せてくるはずだし、何万人もの難民を受け入れたとしたら、大きな社会不安が予想されたはずです。
だから、人道的見地からすると、同じモスリムなのだから、受け入れてもいいのかもしれない。しかし、後がこわいので、受け入れられない。日本人からしたら、マレーシアも、インドネシアも、ミャンマーも、みんな同じに見えるけれど、たぶんクッキリハッキリ違うのだと思う。
かくして宙ぶらりんのロヒンギャの人々は、南の海で、どちらへも行けずさまよっている。こういう時に何か言わなきゃいけないのはアメリカですけど、アメリカも、もう海外にあれこれ口出ししないで、国内を豊かにしようという学者さんの声などもあるようで、内向き社会になりつつある。極東のゴタゴタや、東南アジアの人の移動など、一円の得にもならないことなので、自然に結果が出るまで、当事者たちに勝手に解決させるでしょう。
もう、どこへも行けず、船が沈没するのを待つか、飢え死にをするのを待つか、時間が解決するのを待つのでしょう。とにかく、両国は受け入れ拒否は決定している。
ミャンマー政府は、勝手に出て行った少数民族の命など無関心でいるのが一番でしょう。沈没するのもよし。向こうで受け入れてくれるのもよし。戻ってくると面倒だけれど、いろんな形で制裁でもすれば、少数民族支配のいい手本にもなるし、政府に反対して国外逃亡をはかるものたちの末路を大々的に報道すれば、反政府勢力もションボリするでしょう。
ああ、国を離れて新天地を求めて成功した例はあまりに少ないのです。たまたま成功したように見える北米・南米では、先住民への弾圧があったからこそ、成功したわけで、お互いが融和してうまく新しい社会をつくろうなんて、そういう理想は、この世界では通用しないですね。
暗い気持ちで書いているので、暗いことを書いています。
江戸幕府が開国して、あちらこちらに外国人居留地ができたことがありました。長崎にも、フランス人用に大浦天主堂が建った。すると、突然、マリアさまを拝ませてくださいという、日本のお百姓さんが現れる。びっくりした外国人たちは、二百数十年前に禁止になり、日本国内に皆無となったキリスト教の信者が、ずっと隠れて信仰を守り続けていたとカソリックの本部に報告をした。
彼らは素直に政府が弾圧したにもかかわらず、信仰を守り通した日本の隠れた信者たちに感動したのでした。けれども、すぐに日本政府の知るところとなり、すぐに弾圧されたということで、明治政府になってからも、神道だけが優遇され、キリスト教はもってのほかだし、今までずっと信じてきた仏教さえ抹殺しようとしたのだから、もう極端に走る人間の恐ろしさで、仏像が破壊されたり、嵐のような宗教弾圧の時代がありました。
そうした荒波を避けるためには、キリスト教の信者のみなさんは、五島列島に行くしかなかったのです。そして、それが今やっと脚光を浴びることになりました。それは喜ばしいことだけれど、そうせざるを得なかった事実は、さっきのロヒンギャと同じで、人間の不寛容さのあらわれだと思います。
私たちは、たくさんの失敗をし、とんでもない政府を選び、政府はとんでもない暴走をするときがあるものなのだと、歴史が教えてくれる真実から学びたいと思うのです。
そして、もし何か気づくことができたら、何かアイデアがあったら、ロヒンギャの人たちでも、五島列島の教会でもいいから、助けてあげたい。なんとかしてあげたいと思うのです。