カゴシマのウチの家は、指宿駅から数百メートルのところにある。石で囲まれた塀をいくつか曲がって、ようやくたどりつくことができる。カゴシマの集落は、どことなく沖縄の集落に似ている。こんなことを書くと、うちの母なら「そんなことはない」と一言でバサリだろうけれど、私のザッと見た印象ではそうなのである。
家の敷地をグルリと石塀・ブロック塀で囲んで、そこに南国の木々がニョキニョキ伸びて、独特の雰囲気を作っている。どこもよく似た感じなので、碁盤目であっても、クネクネであっても塀が緑で覆われていて、どこにめざす家があるのか、なかなかわからないのである。
父母の家の近辺は、つい何年か前までは各家庭に夫婦がいて、子どもたちがいる、それなりににぎやかな集落であったという。しかし、今回いざたどり着いてみると、町の風情はあまり変わってないようだが、各お屋敷に人の住んでいる気配があまりしないようであった。連休なので遠くに出かけておられたり、学校がお休みなので、朝夕の通学の子どもたちもいないわけで、それだけでも静かなのは確かだ。
あまりに静かであった。そうした町の静けさに比べて近所にある病院は立派になっていた。いろんな施設が増えている様子である。地方都市は、病院や福祉施設だけが立派になって、都市部はガラガラになっているのかもしれない。駅前商店街はもちろんさびさびで、人の気配は少なく、クルマは無表情に走るだけで、コンビニだけはやたら繁盛し、ここだけ人が行き来している。お店の店員さんも元気そうに見えた。
家には、私たち兄弟が「おねえちゃん」と呼んでいる従姉とその旦那さんがいた。母はなかなか出てこなかった。洗濯でもしていたのだろう。クルマからすべての荷物を下ろすのに、みんなで総がかりでとりかかり、やっと下ろしたら少しだけ気持ちも軽くなった。クルマの中でたっぷりふくらんだ思いが、荷物とともに転げだして、お土産を渡したら、何を考えていたのかもすべて吹っ飛んでしまった。身も心もクルマの中もスッカラカンになった。
というのは、私だけのことで、妻はここからが勝負だっただろう。カゴシマから母の意味不明な電話がかかってきたり、情緒不安定の母が機嫌が悪かったり、私たち家族の心配を口にしたり、なんとも電話のやり取りでは、カゴシマで私たちはどうなるのだろうと、とても不安だったのだ。けれど、実際に顔を合わしてみれば、疑心暗鬼もなくなって、普通に生活できそうな気配である。
さあ、自分たちがたどり着いた。あとは弟たち家族が無事に着けばすべてはOKとなるのだが、弟たちは全行程を夜通しクルマで走りとおしているので、まだカゴシマに着いていなかった。電話もしてみたいのだけれど、運転中かもしれず、彼らから連絡が来るまでしばらく待つことになった。その前に、弟たちの好きな鶏肉を用意してあげようと、指宿名物のとり刺を買いに行くことになった。私は、道は不案内だけれど、とりあえずどんなふうにお店で売られるのか、それが興味があって、付いていくことにした。
そして、夕方になって全員がそろい、夕食は十数人が父の納骨ということでわざわざカゴシマに集まり、無事に夜が迎えられたことを感謝し、たらふく飲んで食べて、少しカビくさい布団にくるまって寝てしまうのだった。
家の敷地をグルリと石塀・ブロック塀で囲んで、そこに南国の木々がニョキニョキ伸びて、独特の雰囲気を作っている。どこもよく似た感じなので、碁盤目であっても、クネクネであっても塀が緑で覆われていて、どこにめざす家があるのか、なかなかわからないのである。
父母の家の近辺は、つい何年か前までは各家庭に夫婦がいて、子どもたちがいる、それなりににぎやかな集落であったという。しかし、今回いざたどり着いてみると、町の風情はあまり変わってないようだが、各お屋敷に人の住んでいる気配があまりしないようであった。連休なので遠くに出かけておられたり、学校がお休みなので、朝夕の通学の子どもたちもいないわけで、それだけでも静かなのは確かだ。
あまりに静かであった。そうした町の静けさに比べて近所にある病院は立派になっていた。いろんな施設が増えている様子である。地方都市は、病院や福祉施設だけが立派になって、都市部はガラガラになっているのかもしれない。駅前商店街はもちろんさびさびで、人の気配は少なく、クルマは無表情に走るだけで、コンビニだけはやたら繁盛し、ここだけ人が行き来している。お店の店員さんも元気そうに見えた。
家には、私たち兄弟が「おねえちゃん」と呼んでいる従姉とその旦那さんがいた。母はなかなか出てこなかった。洗濯でもしていたのだろう。クルマからすべての荷物を下ろすのに、みんなで総がかりでとりかかり、やっと下ろしたら少しだけ気持ちも軽くなった。クルマの中でたっぷりふくらんだ思いが、荷物とともに転げだして、お土産を渡したら、何を考えていたのかもすべて吹っ飛んでしまった。身も心もクルマの中もスッカラカンになった。
というのは、私だけのことで、妻はここからが勝負だっただろう。カゴシマから母の意味不明な電話がかかってきたり、情緒不安定の母が機嫌が悪かったり、私たち家族の心配を口にしたり、なんとも電話のやり取りでは、カゴシマで私たちはどうなるのだろうと、とても不安だったのだ。けれど、実際に顔を合わしてみれば、疑心暗鬼もなくなって、普通に生活できそうな気配である。
さあ、自分たちがたどり着いた。あとは弟たち家族が無事に着けばすべてはOKとなるのだが、弟たちは全行程を夜通しクルマで走りとおしているので、まだカゴシマに着いていなかった。電話もしてみたいのだけれど、運転中かもしれず、彼らから連絡が来るまでしばらく待つことになった。その前に、弟たちの好きな鶏肉を用意してあげようと、指宿名物のとり刺を買いに行くことになった。私は、道は不案内だけれど、とりあえずどんなふうにお店で売られるのか、それが興味があって、付いていくことにした。
そして、夕方になって全員がそろい、夕食は十数人が父の納骨ということでわざわざカゴシマに集まり、無事に夜が迎えられたことを感謝し、たらふく飲んで食べて、少しカビくさい布団にくるまって寝てしまうのだった。