旅立ち
朝になれば、ボクは父に起こされて
『行って来ます』と家を出ていく。
母は『家の方がいいやろ』と言い、『まあ、ええやんか……』とも言う。ボクは生返事を繰り返す。
バスが動くなら、ボクは旅人になる。母を置きざりにし、弟は眠っているから何も声をかけず、仕事に出かける父には『行ってらっしゃい』と『行って来ます』を織り交ぜて……。
コーヒーは冷めないうちに飲もう。あたたかいものは、あたたかいままで味わうのさ。
パンにはたっぷりバターをつけて、ゆっくり食べよう。あまりかみしめることをやってなかったみたいだから、何もかも忘れてパンを食べるのさ。
荷物はできるだけ軽くしよう。でもあの子からもらった手紙は持って行こう。
列車に乗っていて海が見えたら、その向こうに何があるのか探ってみよう。遠くまで見える限り見てやろう。
街が近づいたら、うろちょろ眺めまわしてみよう。その地方の人がどんな顔をして歩いているのか、少しでも考えてあげるのさ。
列車を降りてしばらくゆくと、恋人を見つけたら、その子とお話をしよう。ボクの旅のことを話すんだ。
過去の旅、今の旅、これからの旅について、その子の体験も聞いてあげて、包み隠さずに思いついたことを、思いついたままに、しどろもどろでも話しあおう。……1980/3/24
★ という春休みの終わりの気持ちを書いています。今も同じで、そのままのことしか書けないです。何の進歩もなく、むしろつまらないことを書くことが、私の進化だったのかもしれません。何だか情けない。
どうしてもっと父とあれこれ話をしなかったのか? それなりに話をしたとは思いますが、ついつい間に母を置いてしゃべる方が楽なので、つい母に翻訳係になってもらっていました。もっとストレートな生の会話をすればよかったのに、面倒くさがっていたんでしょうか。本当に、もったいないことです。つまらない子どもです。
今、私はこどもとしっかり話をしているでしょうか? これも不十分ですね。もったいないし、大きくなった子どもと、それなりに話をするということは、大事な親子関係であり、それができていないのはダメな親子です。早くそこから脱出しなくては!
★ 最近買った古本で、井上靖さんの「道 ローマの風」という本の中で、次のようなことばを見つけました。
お父さんの葬儀が終わって、私はお父さんと会話をしたというのです。
お互いに結局のところは何も知らなかった。そうじゃないか。早い話が、わしも80年も生きてきたんだから楽しい時もあれば、悲しい時もあった。だが、お前は何も知っていない。
————そうですね。そう言われれば、子供の私は、お父さんの幸福とも不幸とも無関係なところに居ましたね。そういう点でははなはだなっていない。
————何もそんなに神妙になる必要はない。わしだってお前について何も知っていない。
————今になってはもう遅いですが、こういう会話を生前のお父さんと一度ぐらい交わしておくべきでしたね。
————そりゃ、無理だよ。こういう会話を交わせないで別れて行くのが親子というものなんだろう。
————でも、もう亡くなってしまったんだから、今は言えるでしょう。何か言ってください。私に言い遺しておくことはありませんか。
————ないね。あるとすれば、ひとつだね。お前は若い若いと思っているだろうが、わしが居なくなると、次はお前の番だな。今まで衝立(ついたて)になって、死が見えないようにお前をかばっていたが、もうわしが居なくなったからね。まだ親父が生きているんだからというような考え方はもうできない。
————気づいていますよ。見晴らしが利いて、死の海面までいやに風通しがよくなっています。
————まだお母さんが半分、お前をかばっている。親というものは、そういう役割しかできないものだね。死んだ今になってみると、そういうことがよくわかる。そのほかでは、わしはお前のために何もしなかった。そういうことはお前の場合だって同じだ。お前が子供にしてやれることは、ある期間衝立になって死の海面を見せないように子供をかばってやるだけのことだ。
こうして井上さんは、お父さんとの会話をしたということになっています。
私は、父とこうした会話をしたわけではありませんが、井上さんのことばで、父のことばを聞けたような気がしました。ありがたいことです。
私は、父の40数年の日記を宝として、おりにふれて見ていきたいと思います。まだ、無念さが残って、素直に開けていません。親不孝なことです。
朝になれば、ボクは父に起こされて
『行って来ます』と家を出ていく。
母は『家の方がいいやろ』と言い、『まあ、ええやんか……』とも言う。ボクは生返事を繰り返す。
バスが動くなら、ボクは旅人になる。母を置きざりにし、弟は眠っているから何も声をかけず、仕事に出かける父には『行ってらっしゃい』と『行って来ます』を織り交ぜて……。
コーヒーは冷めないうちに飲もう。あたたかいものは、あたたかいままで味わうのさ。
パンにはたっぷりバターをつけて、ゆっくり食べよう。あまりかみしめることをやってなかったみたいだから、何もかも忘れてパンを食べるのさ。
荷物はできるだけ軽くしよう。でもあの子からもらった手紙は持って行こう。
列車に乗っていて海が見えたら、その向こうに何があるのか探ってみよう。遠くまで見える限り見てやろう。
街が近づいたら、うろちょろ眺めまわしてみよう。その地方の人がどんな顔をして歩いているのか、少しでも考えてあげるのさ。
列車を降りてしばらくゆくと、恋人を見つけたら、その子とお話をしよう。ボクの旅のことを話すんだ。
過去の旅、今の旅、これからの旅について、その子の体験も聞いてあげて、包み隠さずに思いついたことを、思いついたままに、しどろもどろでも話しあおう。……1980/3/24
★ という春休みの終わりの気持ちを書いています。今も同じで、そのままのことしか書けないです。何の進歩もなく、むしろつまらないことを書くことが、私の進化だったのかもしれません。何だか情けない。
どうしてもっと父とあれこれ話をしなかったのか? それなりに話をしたとは思いますが、ついつい間に母を置いてしゃべる方が楽なので、つい母に翻訳係になってもらっていました。もっとストレートな生の会話をすればよかったのに、面倒くさがっていたんでしょうか。本当に、もったいないことです。つまらない子どもです。
今、私はこどもとしっかり話をしているでしょうか? これも不十分ですね。もったいないし、大きくなった子どもと、それなりに話をするということは、大事な親子関係であり、それができていないのはダメな親子です。早くそこから脱出しなくては!
★ 最近買った古本で、井上靖さんの「道 ローマの風」という本の中で、次のようなことばを見つけました。
お父さんの葬儀が終わって、私はお父さんと会話をしたというのです。
お互いに結局のところは何も知らなかった。そうじゃないか。早い話が、わしも80年も生きてきたんだから楽しい時もあれば、悲しい時もあった。だが、お前は何も知っていない。
————そうですね。そう言われれば、子供の私は、お父さんの幸福とも不幸とも無関係なところに居ましたね。そういう点でははなはだなっていない。
————何もそんなに神妙になる必要はない。わしだってお前について何も知っていない。
————今になってはもう遅いですが、こういう会話を生前のお父さんと一度ぐらい交わしておくべきでしたね。
————そりゃ、無理だよ。こういう会話を交わせないで別れて行くのが親子というものなんだろう。
————でも、もう亡くなってしまったんだから、今は言えるでしょう。何か言ってください。私に言い遺しておくことはありませんか。
————ないね。あるとすれば、ひとつだね。お前は若い若いと思っているだろうが、わしが居なくなると、次はお前の番だな。今まで衝立(ついたて)になって、死が見えないようにお前をかばっていたが、もうわしが居なくなったからね。まだ親父が生きているんだからというような考え方はもうできない。
————気づいていますよ。見晴らしが利いて、死の海面までいやに風通しがよくなっています。
————まだお母さんが半分、お前をかばっている。親というものは、そういう役割しかできないものだね。死んだ今になってみると、そういうことがよくわかる。そのほかでは、わしはお前のために何もしなかった。そういうことはお前の場合だって同じだ。お前が子供にしてやれることは、ある期間衝立になって死の海面を見せないように子供をかばってやるだけのことだ。
こうして井上さんは、お父さんとの会話をしたということになっています。
私は、父とこうした会話をしたわけではありませんが、井上さんのことばで、父のことばを聞けたような気がしました。ありがたいことです。
私は、父の40数年の日記を宝として、おりにふれて見ていきたいと思います。まだ、無念さが残って、素直に開けていません。親不孝なことです。