伊勢湾をたまたま見る機会があります。海の向こうから太陽が上がって来るんだから、伊勢の国は恵まれています。太陽と海なんて、あまりにできすぎな組み合わせだけど、たまたまそれがそろっている海です。
今夜の「こころ旅」第一回は、長崎の対馬からスタートでした。朝茅湾の和多津美神社のそばまでいくのに、リアス式というのか、ものすごく入り江が入り組んでいて、多島海になっている海を見た時、「あんな海もいいなあ」とは思いました。伊勢湾とは違う海でした。
私なんて、フェリーで対馬にわたって、北から南まで走り回りたい気分になったけれど、それはたぶん無理です。海外も一度しか行けてない私は、これからもずっとどこにも行けないまま、よその風景は素敵だなと思いつつ、どこにも行かないで終わってしまいそうな気がします。だから、どんなステキなところも、ただ見させてもらうだけです。まあ、そんなの当たり前ですね。
そんなにショゲてはいないのです。そういうのも人生だし、いろんなものを見るのも人生です。うちの父だって、とうとう国外には飛び出たことはありませんでした。
母方の祖父は、フィリピンに行ったことがありました。と言ったって、それは戦争でだし、そこで亡くなってしまったのもまた悲しいものがありました。
子孫の私は、薩摩半島の南の開聞岳まで行って、そこの慰霊碑でしのぶくらいしかできないでしょうか。
いろんな風景を見たいけれど、見られなくてもOK! 私の人生なんだから、それは責任は私にあります。見たかったら見に行けばいいし、見たくなかったら見なくていい。それを無理やりに見に生かされたり、不自然な形で移動させられるのはNOです。
海は、私たちのまわりに広がって、恵みを与えてくれている。それなのに、私たちは海の底深くにプラスチックごみを堆積させ、何万年かけてプラスチック変成岩でも作ろうという気なんでしょうか。そのころには人類はこの世にいないかもしれないけど、人類から未来の地球の生物に贈り物ですね。石油にでもなってたらいいけど、そんなことはありえないしなあ。
日本という国は、十年前に原発事故を起こし、その関連で毎日毎日増えていく汚染された水を、とうとう海洋放出を決めたようです。それは首相の責任においてなされたことなんでしょうね。今度は汚染水を海に流すんですね。もちろん海で被ばくするサカナたちは、私たちはできれば食べたくないし、世界中で拒否されるでしょう。でも、もうどうにもできない。
私が首相なら、その決定を自分の責任において行い、さっさと首相を辞任するでしょう。それくらい大変なことだと思います。それなのに、今の首相は、それは些末なことで、オリンピックやら、経済再生やら、中国包囲網やら、いろいろとやらなきゃいけないことがあるから、つづけたいと思ってるのかな。
目の前の海は、時々船が浮かんでいたり、波が穏やかだったり、わりとクールな印象です。もう二月くらいからずっと、スカッと晴れた海というんではなくて、ぼんやりした感じの海です。黄砂も飛んでるし、何だか受け入れてくれる海ではなくなっている。
大きな港は伊勢湾の最奥部にあります。伊勢湾の手前の海は、特に大きな港もなくて、小さな港が細々とあるだけです。
それはそれでいいんです。与えられた世界で、できるだけあれこれ感じて、いろいろ考えて、世界とつながっているこの海と生きていこうと思います。
私は、この水の世界で生きていかなくちゃ。人ともしっかりつながらなくちゃ。お仕事もして、家族を大事にして、もう少し自分から目の前の人にはたらきかけて、この世界を少しでも納得のいくものにしていきたいです。
明日まで雨は続きます。朝には止んでくれたらいいなあ。