本当なら、具体的な提案、将来性のあるプラン、みんなを励ますことば、直接役に立つ支援、そういうのをどんどんつぎ込んで欲しいし、新年会なんて中止して、政界・財界・官界その他すべての力を結集して、今をどのように乗り越えるのか、見通しがはっきりするようにして欲しいし、今まで用意してきた非常用のものを各地からかき集めて欲しい。それがまずやらなきゃいけないことだろう。
マスコミや、震災泥棒、悪徳業者、いろんなハイエナのような人たちが押しかけているけれど、それでいいと思っているのかどうか?
緊急支援の人たち、道路を補修してくれる人たち、派遣された自衛隊の人たち、こういう方たちはぜひ早く現地に入って、やれることをして欲しいし、やってもらっているようです。
でも、当然のことながら、世の中には、こういう時にひと儲けできないかと飛び込む人たちもいる。それも仕方がないのかな。
そして、被災者のみなさんは、避難所か、水が出るから自分の家の井戸水を使うとか、電気があるから、ビニールハウスで寝泊りするとかして何とか乗り越えようとしておられる。
でも、限界はあるのだから、金沢のホテルやその他の施設を使って避難所にしたり、学校施設も使えるものなら使って(どんな学校でも避難所として運営できる備蓄されたものがあるはずだから)、それらを使って、もう少し道路や家や電気や水が使えるようになるまで、学校も閉校して人々の暮らしが成り立つようにしなくてはならないと思う。
石川県だけが負担するのではなくて、日本各地に避難できるところがあれば、そういう施設を受け持ってもいいのではないか。そういうのを引き受けるところはないのか? それは、やはり自助努力しかないのか?
県知事さんは、何をしているのかわからないから、総理大臣でも、誰でもいいから、早く人々の暮らしを落ち着かせなきゃいけないと思う。
過去の地震の経験が、この国でどれだけ生かされているのか、私にはわからない。
もしかして、今、私の住んでいるところで大災害が起きたとしても、自分たちの力しか信じられるものがないなんて、それが私たちの住んでる世界なのかもしれないけど、とても苦しいし、希望がない世の中という気がします。
希望を語ろう。どんなことが起きても、みんなで助け合える社会を作ろう。口先だけじゃなくて、自分の足元から変えていきたい。でも、何をすればいいものか。希望を語ること。あれこれ知ること。募金すること。
他には何かできないだろうか。考えよう。規則正しく生きていこう。考えよう。何ができるか、考えたいと思う。