木曜の夜になりました。あまりうれしくありません。朝、セキしたとたんにぎっくり腰の電気ショックが走りました。それから半日、壊れたロボットみたいにギクシャクしながら過ごしたけれど、「ぎっくり腰になったんやわ」とまわりに言えない私は、何だか悶々としていました。まわりの人は、「何だろうこの人」と思ってたかな。
何だか毎日がおもしろくないなんて、何かかわいそうです。でも、そこで頑張って「腰が痛いよー」とか、「体をねじ曲げられないよー」とか言えたらいいのに、今日は言えませんでした。明日はもちろん言わないし、家でくすぶってるだけかな。
というんで、一昨日あたりから久しぶりに『論語』を取り出してみましたので、そこからピックアップしてみます。私もそんな年になったんですね。
宰我(さいが)が問う。「三年の喪(も)は、期(き)にして已(すで)に久し。君子三年礼を為(な)さずんば、礼必らず壊(やぶ)れん。三年楽(がく)を為(な)さずんば、楽必らず崩(くず)れん。
弟子の宰我さんが先生に質問しました。
「父母の喪は三年となっておりますが、一年でも結構長過ぎるぐらいではあせんか。もし君子が三年間も礼を修めなかったら、礼はすたれてしまうでしょう。もし三年間も楽に遠ざかったら、楽が崩れてしまうんじゃないでしょうか。
三年間の服喪期間、あまりに長いという提案、というか素朴な疑問だったのかなあ。それとも、合理的主義者のお弟子さんだったのかなあ。若い人というのは、理屈・理論・合理的というのを第一にしますからね。それは、若者の一途さだから、大事にしたいんだけど、あまりに親子の情を無視しているのかもしれません。続けて、
旧穀(きゅうこく)既に没(つ)きて、新穀(しんこく)既に升(みの)る。燧(すい)を鑚(き)りて火を改む。期にして已(や)むべし。」
一年たてば、穀物も古いのは食いつくされて新しいのが出てまいります。火を擦り出す木にしましても、四季それぞれの木が一巡して、またもとにもどるわけです。それを思いますと、父母の喪にしましても、一年で十分ではありませんか」
喪に服さないというのではなくて、三年は長すぎるという提案です。確かに三年何もしない、すべてを自粛するというのは、何だかしんどいですし、ムダであるような気がします。
そもそも、どうして三年という区切りが設けられたかです。その理屈をはっきりさせてもらわなくちゃ! と、若い人は納得しないですよ。
子曰わく、「夫(か)の稲を食らい、夫の錦を衣(き)る、女(なんじ)において安きか。」曰わく、「安し。」
孔子先生はこういうふうに言われました。
「あなたは、父母の服喪で一年経ったら、うまい飯を食べたり、美しい着物を着たりする、そんなことをして普通の気持ちでいられますか。」
宰我「はい、穏やかに過ごせると思っています。」
先生にズバリと訊かれたんですよ。宰我さんは即答しましたよ。戸惑いはなかったの? まあ、喪に服するのは一年で十分という考えから質問しているんですから、答えはシンプルです。
「女(なんじ)安くんば則ちこれを為せ。それ君子の喪に居る、旨(うま)きを食らうも甘からず、楽を聞くも楽しからず、居処(きょしょ)安からず。故(ゆえ)に為さざるなり。今女(なんじ)安くんば則ちこれを為せ。」
宰我出ず。
先生は哀しみをもってこう語られます。
「そうですか。あなたが何ともなければ、そのようにしなさい。君子というものは、喪に服している時というのは、どんなにご馳走を食べてもうまくないものだし、どんなにステキな音楽を聞いても楽しくないものなんです。それに、どんなところにいても気がおちつかないものはずなんです。だから、一年で喪を切りあげるようなことをしないんです。もしあなたが、何ともなければ、あなたの思うようにやりなさい。」
宰我さんは、自分の意見が容れられず、先生に拒否された気がして、不機嫌に出て行きました。
議論は終わったんですね。どうしてそこで質問しないんだろう。なぜ三年必要なんですか? 私には分かりません。とか、停滞する時間はなるべく短くして、少しでも世の中の役に立つことをするのはいけないことですか? とか、先生とおしゃべりするチャンスがそこにあったんです。
でも、宰我さんは怒って出て行ってしまいました。残念です。
子曰わく、「予の不仁なるや。子生まれて三年、しかる後に父母の懐(ふところ)より免(まぬが)る。夫(そ)れ三年の喪は天下の通喪(つうそう)なり。予や、その父母に三年の愛あらんか。
先生は、ほかの門人たちにこう語られました。
先生は、ほかの門人たちにこう語られました。
「どうも予(宰我)というのは、不人情でとてもザンネンです。人間の子は生まれて三年たってやっと父母の懐(ふところ)を離れるんです。だから、三年間父母の喪に服するのは世の中の当たり前のことなんです。いったい予は、三年間のご両親の愛を受けなかったのだろうか。」
最後はひとり言みたいなセリフです。自分に言い聞かせるような感じかな。三年間は子どもは親にすべてをゆだねて生きていたのです。何もかも親の庇護のもとにあった子どもなのだから、その親が亡くなったら、お世話を受けた期間の親を思い、慎む時間を持つというのが自然なんですよという、理屈じゃなくて、自然の摂理なんだと思われます。
三歳からもずっと親に見守られるのは確かだけれど、親のふところに抱かれたのは三年ほどで、その分だけいなくなったことをかみしめる、オッサンになった私にはすごく自然なことだと思えます。
でも、若い人にはまどろっこしいでしょうね。そして、子育てしながら、必死に今を生きているでしょうか。そして、ふと気づくと、親はいなくなっていくもんなんでしょう。
そして、素早く切り替えて、自分の生活をリセットしていく、進歩的で、合理的なのかな。
でも、私は孔子先生の自然を大事にしたい気持ちです。