
こんな昼間からブログするなんて、私はヒマなんですね! 本当はちゃんと用事があったんですが、台風の関係でヒマになってしまいました。
それで、かねてから考えていた木製コンポスト作ろうと思ったら、ご近所のみなさんは、あれこれ仕事をしておられて、何だか遊んでいるのが申し訳ない雰囲気です。しかも、軽装の私は、やる気なしのタラタラで、ろくなことをしていない感じです。私にとっては、お仕事の1つの気持ちで取り組むのですが、世間的にいえば、仕事もしないでのん気に(お盆だけど、月曜に)日曜大工かよ、という感じです。
でも、今日の夕方までには仕上げようと思います。さっき材料は買ってきました。杉の板を60cmごとに切ってもらったので、あとはそれを柱にクギで打ち付けるだけなんです。それなのに、世間の目が気になってそれができません。そして、台風一過でものすごく暑いのです。
というわけで、北上書房です。最初に買った本は何かなあ。すべて調べたら分かるのかもしれませんが……、調べてみると、1983年9月25日の日曜日、岩手県一関市の駅前のメインストリートにあるここで、リチャード・フランス著、山崎正和訳の「オーソン・ウェルズ 青春の劇場」(1983 講談社学術文庫)を買いました。8月に出た本を9月に買っているのだがら、新聞の新刊広告を見てずっと買おうと思っていたのです。その気持ちを岩手の一関市を旅したときに爆発させたんですね。
ああ、それなのに、例によってこの本もまだ読んでいません。何回かチャレンジしましたが、その度に挫折して、31年が経過してしまいました。オーソン・ウェルズさんに対する興味がすぐなくなってしまうんですよね。ザンネンです。

山梨県の、今はつぶれてしまった(かもしれない)村内書店。ここにはいろいろとお世話になりました。どうしてここがつぶれてしまったのか? 世代交代しただけなのか、よくはわからないけど、どこかで関係者の人には今でもがんばってもらいたい本屋さんでした。カバーのデザインはお上品で、エジプトの知恵が授かるような、ありがたい文庫カバーでした。とても貴重な一枚です。

つぶれた本屋さんとか、そういうのが気になってカバーを残していたような気がします。この駸々堂さんは天王寺と心斎橋と、その2つのお店くらいしか利用したことがないけれど、頑張っていたと思います。カバーの蛍光の緑色が好きでした。塾やら出版やら、経営の多角化のどこかで失敗して、会社は消滅して、本屋さんは私たちの前から姿を消しました。
消えてしまうときは、そりゃ仕方がないだろう。まあ、なくなっても別にかまわないやと思っていましたが、お店がなくなって何十年か経過してみると、あの時、ここでこんなことがあったなとか、いろいろと思い出すことがありますね。日々変化していくものなのかもしれませんが、何だか残念です。

最後は、昨年の9月末でお店がなくなり、今はドラッグストアに変わってしまった海文堂さんです。
ここには最後の方になって何度か訪れる機会が増え、普通の本屋にないものを買い求めました。古本屋さんと共存共栄しようという戦略もおもしろかったのに……。お店で知ったことをそのまま続けようと思い、商船三井のカレンダーを今年の分はネットで買うことにしたものでした。来年もまたネットで買うことにします。とにかく、海に関わるいろんな本やグッズがありました。
閉店が近づいて、あわてて二、三度訪れて、記念に何か買おうとしましたっけ……。もっともっといろいろ買えたらよかったのだけれど、古本をいくつかと、船のポストカードと、海図の封筒と、大杉栄さんの本を3冊など、ちょっとだけ普通のお店で買えないものを買ったような気がします。
もう、海文堂さんはないけれど、だれかがネットでそんなお店でもやってくれたらと思います。私は、海も船も好きだけれど、結局は専門家にはなれなかったので、私には無理ですが、でも、だれかに引き継いでもらいたい、そんなお店でした。横浜にはそういう本屋さんがあるのでしょうか?
★ お店の包み紙、近ごろ集めるようになりました。地図もファイルできるといいかなと思います。古地図なんて、つまらないものでも二千円くらいするから、どんどん発掘して、どんどん公開できるといいですね。
そうだ。今はなくなってしまった本屋さんのブックカバーを発掘するのもたのしいですね。北上書房さんは今でもあるみたいだけど、だいぶ小さくなったみたいです。駅前の本屋を維持するだけで大変なんですね。
古本屋ががんばるしかないのかなあ。今後の社会のあり方ですよね。
それで、かねてから考えていた木製コンポスト作ろうと思ったら、ご近所のみなさんは、あれこれ仕事をしておられて、何だか遊んでいるのが申し訳ない雰囲気です。しかも、軽装の私は、やる気なしのタラタラで、ろくなことをしていない感じです。私にとっては、お仕事の1つの気持ちで取り組むのですが、世間的にいえば、仕事もしないでのん気に(お盆だけど、月曜に)日曜大工かよ、という感じです。
でも、今日の夕方までには仕上げようと思います。さっき材料は買ってきました。杉の板を60cmごとに切ってもらったので、あとはそれを柱にクギで打ち付けるだけなんです。それなのに、世間の目が気になってそれができません。そして、台風一過でものすごく暑いのです。
というわけで、北上書房です。最初に買った本は何かなあ。すべて調べたら分かるのかもしれませんが……、調べてみると、1983年9月25日の日曜日、岩手県一関市の駅前のメインストリートにあるここで、リチャード・フランス著、山崎正和訳の「オーソン・ウェルズ 青春の劇場」(1983 講談社学術文庫)を買いました。8月に出た本を9月に買っているのだがら、新聞の新刊広告を見てずっと買おうと思っていたのです。その気持ちを岩手の一関市を旅したときに爆発させたんですね。
ああ、それなのに、例によってこの本もまだ読んでいません。何回かチャレンジしましたが、その度に挫折して、31年が経過してしまいました。オーソン・ウェルズさんに対する興味がすぐなくなってしまうんですよね。ザンネンです。

山梨県の、今はつぶれてしまった(かもしれない)村内書店。ここにはいろいろとお世話になりました。どうしてここがつぶれてしまったのか? 世代交代しただけなのか、よくはわからないけど、どこかで関係者の人には今でもがんばってもらいたい本屋さんでした。カバーのデザインはお上品で、エジプトの知恵が授かるような、ありがたい文庫カバーでした。とても貴重な一枚です。

つぶれた本屋さんとか、そういうのが気になってカバーを残していたような気がします。この駸々堂さんは天王寺と心斎橋と、その2つのお店くらいしか利用したことがないけれど、頑張っていたと思います。カバーの蛍光の緑色が好きでした。塾やら出版やら、経営の多角化のどこかで失敗して、会社は消滅して、本屋さんは私たちの前から姿を消しました。
消えてしまうときは、そりゃ仕方がないだろう。まあ、なくなっても別にかまわないやと思っていましたが、お店がなくなって何十年か経過してみると、あの時、ここでこんなことがあったなとか、いろいろと思い出すことがありますね。日々変化していくものなのかもしれませんが、何だか残念です。

最後は、昨年の9月末でお店がなくなり、今はドラッグストアに変わってしまった海文堂さんです。
ここには最後の方になって何度か訪れる機会が増え、普通の本屋にないものを買い求めました。古本屋さんと共存共栄しようという戦略もおもしろかったのに……。お店で知ったことをそのまま続けようと思い、商船三井のカレンダーを今年の分はネットで買うことにしたものでした。来年もまたネットで買うことにします。とにかく、海に関わるいろんな本やグッズがありました。
閉店が近づいて、あわてて二、三度訪れて、記念に何か買おうとしましたっけ……。もっともっといろいろ買えたらよかったのだけれど、古本をいくつかと、船のポストカードと、海図の封筒と、大杉栄さんの本を3冊など、ちょっとだけ普通のお店で買えないものを買ったような気がします。
もう、海文堂さんはないけれど、だれかがネットでそんなお店でもやってくれたらと思います。私は、海も船も好きだけれど、結局は専門家にはなれなかったので、私には無理ですが、でも、だれかに引き継いでもらいたい、そんなお店でした。横浜にはそういう本屋さんがあるのでしょうか?
★ お店の包み紙、近ごろ集めるようになりました。地図もファイルできるといいかなと思います。古地図なんて、つまらないものでも二千円くらいするから、どんどん発掘して、どんどん公開できるといいですね。
そうだ。今はなくなってしまった本屋さんのブックカバーを発掘するのもたのしいですね。北上書房さんは今でもあるみたいだけど、だいぶ小さくなったみたいです。駅前の本屋を維持するだけで大変なんですね。
古本屋ががんばるしかないのかなあ。今後の社会のあり方ですよね。