右側の本は、「街への挨拶」(1974)は山田太一さんの幻の名著という初めてのエッセイ集でした。ずっとまぼろしのままだったものが、1983年に中公文庫から出て、私は飛びつくようにナンバで買ったみたいです。
1983年はまだまだ自分の未来も描けなくて悶々とする日々でした。山田太一さんのドラマなんて、あまり見ていないのに、エッセイならよめそうな気がすると、買ったのかもしれません。すぐに読んだはずですけど、もう40年以上忘れたままでした。
左側の本は、「親ができるのは『ほんの少しばかり』のこと」(1995 PHP)という親子に関することがらを4年間にわたって連載したものをまとめたものだったそうです。1999年に新潮文庫から出ていて、これも近所の本屋さんで買っています。
どうやら新聞の新刊広告を見て、「すぐに買いに行かなきゃ」と思うことがあったようです。
ドラマも見ていないのに、どうしてエッセイ集には飛びついたのか、もう20年以上も前の事なのでわかりません。
時々、山田太一さんのお話を聞かせてもらいたい時があったようです。
1983年は、自分の生き方がイマイチわからなかったとき。それからしばらくして結婚して、どうにかこうにか自分の路線が決まったような気がしていた。
家族を守り、子どもとともに生き、妻と人間的に深く結びつき合う。言葉でいうのは簡単だけど、その節目・ひと時などは、あれこれもあったような気もするし、仕事がいつも順調であった、ということはあったんでしょうか。
まあ、私の歩いてきた道というのは、あまり大したものではなくて、ただモタモタ歩いてきただけのような、そういう生き方でしたか。
1999年以降、山田太一さんの本は買っていません。自分がどう生きるか、人の世はどうなっているのか、そんなことよりも、もっとつまらない細部のことに気を取られていて、若者像・人の生き方などに関して無関心に生きてきたようなところがあります。
昨年の11月、山田太一さんは亡くなられました。最近はどんなお仕事をされていたのか、うっかりしていた私は何も知りません。でも、ネットにはたくさんの作品群があるというのはわかるし、私たちはいろいろと影響を受けているはずです。
その一つ一つを確かめることなく、うっかり生きている私は、昔買った2冊の本を取り出してみて、「ああ、こんなこと書いておられる」と発見していくのでしょう。
たぶん、野坂さんの最後のエッセイ集を読んでますから、その流れが今来ているんだろうな。