この前、古本市で井上靖さんの詩集が文庫になっているのを見つけました。三重県の熊野を詩にしたこともある人ですから、それが載ってるかなと取り上げて見てみました。最初から最後まで散文詩で、これでもまあ詩なんだろうなとザーッと見てみました。でも、読んでいません。
残念ながら、熊野の詩が載ってないのだったら、私は買う必要はありませんでした。私は短気で、飽きっぽいから、たぶん、ずっと読まないだろうなという自信がありました。ああ、これも運というものか。
でも、井上靖さんの小説はあれこれ読んだから、「しろばんば」「夏草冬濤(なつくさふゆなみ)」「北の海」の三部作は大好きでした。私は小さい頃の「しろばんば」が好き、弟はヤンチャな人だったから「夏草冬濤」、母は子どもが成長していくのを応援したいから、金沢の旧制高校のころの話の「北の海」が好きという、うちの家族三人それぞれの好みがありましたね。
メモに『北の海』の抜き書きを見つけました。
* すでに日本海に対して旅情を感じていた。
――潮騒冴ゆる北の海。
いつか蓮実が歌った四高の寮歌の一節が、いまも洪作の耳に残っていた。北の海というのは日本海のことであるが、沼津で毎日のように見ている太平洋とは、潮の色も、潮の騒ぎ方も異なっているであろうと思う。
――ああ、日本海、北の海。
洪作はまだ日本海にお目にかからぬうちから、すでに日本海に対して旅情を感じていた。
――潮騒冴ゆる北の海。
いつか蓮実が歌った四高の寮歌の一節が、いまも洪作の耳に残っていた。北の海というのは日本海のことであるが、沼津で毎日のように見ている太平洋とは、潮の色も、潮の騒ぎ方も異なっているであろうと思う。
――ああ、日本海、北の海。
洪作はまだ日本海にお目にかからぬうちから、すでに日本海に対して旅情を感じていた。
旅情といえば、米原駅へ降りた瞬間から、洪作は旅情を感じている。汽車の乗替駅というものは淋しいものだと思う。人々は、男も女も、それぞれに大きな荷物を持ち、子供を背負ったり連れたりして、己が生まれた裏日本の町や村へ帰って行こうとしている。やがて彼等を拉(らつ)し去るために、汽車は白い蒸気を吐きながらホームにはいって来るのであろう。
主人公の洪作は、静岡から金沢に向かっているらしいのです。
旅は人生である。いや、人生は旅である、の方が本当であったかも知れぬ。が、どちらにしても同じようなものである。いま、ここに集まっている人たちは、それぞれお互いに未知の人たちである。たまたま、ある夏の朝、同じ列車に乗るために、ここで落ち合ったのである。が、やがて列車に乗ると、それぞれが思い思いの駅に下車して行く。
旅は出会いと別れをたくさん教えてくれますね。話はしなくても、あれこれ考えるところがあるんだけどな。
――離合集散。
まことに人生は旅であり、旅は人生である、と思う。
三十ぐらいの女の人の背で、嬰児が泣いている。その泣いている嬰児にもまた、洪作は旅情を感じていた。この嬰児もまた、裏日本のどこかの町か村で、生い育って行くであろう。いかなる人生がこの嬰児に訪れるであろうか。
洪作は汽車を待つ時間を、多情多感な極めて充実したものとして過ごした。
汽車に乗りこむと、洪作は窓際の席を占めた。がらあきと言っていいくらい、乗客の数は少なかった。
まことに人生は旅であり、旅は人生である、と思う。
三十ぐらいの女の人の背で、嬰児が泣いている。その泣いている嬰児にもまた、洪作は旅情を感じていた。この嬰児もまた、裏日本のどこかの町か村で、生い育って行くであろう。いかなる人生がこの嬰児に訪れるであろうか。
洪作は汽車を待つ時間を、多情多感な極めて充実したものとして過ごした。
汽車に乗りこむと、洪作は窓際の席を占めた。がらあきと言っていいくらい、乗客の数は少なかった。
洪作は荷物を持っていなかった。腰のベルトに手拭(てぬぐい)を一本さげているだけである。沼津を発つ時、藤尾から借りた鞄(かばん)に参考書と単語帳を一応は詰め込んでみたのであるが、結局何も持たないことにしてしまったのである。どうせ五日か六日の短い旅であるし、その間勉強しても、しなくても、たいした差はないと思った。四高生のいっぱい居る町に行くというのに、参考書を持って行くのも気が利かない気がした。着替えは初めから持って行く気はなかった。着ているものが汚れたら洗えばいいのである。
米原駅を出ると間もなく琵琶湖が見えて来た。湖面はいやに白っぽく、まだ早朝だというのに、小舟が何艘か浮かんでいる。……井上 靖『北の海 上巻』(1975)より
ああ、米原から北に走って、チラチラと琵琶湖が見えてきたんですね。それは今も一緒です。湖西線ならずっと琵琶湖を眺められたりするのに、東海道線・北陸本線って、なかなか琵琶湖は見えないんだったかな。また、電車の窓から琵琶湖が見えるような、そういうところに行きたいです。