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まだ真っ暗の松本電鉄の新島々でバスに乗り込んだはいいものの、トイレに行きたくなって、ちょっと待ってくださいとかなんとか言って、彼女を心配させてしまったこともありました。……これは上高地行きのバスに乗り込むときでしたね。
バスの中では、何度かトンネルを目まぐるしくくぐって、あたりはまだ薄ぼんやりしているし、バスの満員のお客さんたちは眠りこけてた。彼女も寝てました。夜行列車では眠れなかったもんな。
ボクは時々目を開けて、外を眺めたりしたけど、やはり半分寝ていました。
そして、一時間ばかりして、グイグイ走るバスの車掌さんが、「日が当たってる焼岳が左手に見えます」とアナウンスしたら、みんな目を覚まし、そこが上高地だったようです。
もやの中に池が見え、かすんだ林をどんどん抜けてバスは走っていた。車内は寒くなっていて、足もとにひやっ冷気があった。バスの外は寒いだろうなって思ってた。
朝もやの、まわりを林に囲まれたポッカリしたバスターミナルに放り出されたときは、どうしようもなく寒かった。寝ている間に、違う世界に連れてこられたみたいだった。
登山客のみなさんは慣れたもので、悠々と登山への準備に余念がなく、ボクはただびっくりしていました。何をしていいのか、それが靄に包まれたままだったのです。寒かったし、これではどうしようもないと放心していたけど、とにかく歩かねばと、割とすぐ近くにあった梓川のほとりに出たら、日の当たる険しい山を見た。
川は完璧に澄み、流れていた。まだ靄はあたり一面にあるので、ものの輪郭が不鮮明なのに、山々の稜線はクッキリと明るかった。天上と地上の違いというものだったのか。
寒かったけれど、うれしかったから、写真を撮ってみた。山々をバックに何枚もとった。失敗もしたかもしれないけれど、たくさん撮りました。それほどに心楽しくはずんでいて、感激した。
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河童橋のあたり、朝もやに包まれながら、まばらな人々にまぎれて写真を撮ってる時なんて、ひどく盛り上がった気分だった。
それから、大正池まで歩いて、ふたたび河童橋に戻ってきたら、もう人がたくさんいた。でも、これもまた別の情緒だった。あれほど朝には神聖だったところが、何か俗っぽくなってても、山は厳然とあって、ちっとも堪えなくて、相変らずよかった。
そこで、温かくなってきたから、Tシャツ姿になって、彼女が作ったオニギリ、玉子焼き、鶏のカラアゲ、フライドポテトをそこいらにあるテーブルに広げて食べた時の幸福感、忘れないようにいよう。あんなに幸せを感じる時なんて、そうそうないだろうか?
とにかく、彼女のお手製のお弁当を朝飯代わりにして、明神池まで歩いて、これでちょっと疲れて、テクテクもう一度河童橋に戻ってきて、ひと休みして、バスターミナルへ行きました。
それであっさり14:40分発のバスで上高地を去ってしまった。
あっさりボクたちは、お山を背にして、朝から歩き回ったところを、素早い時間で走り去っていった。まるでそれまでが何か夢のようだった。
でも、バスがどんなに頑張っても、ちゃんとたくさん写真は撮ったから、大丈夫でしょう。
松本城、開智学校と、そのあとも観光したけれど、ちょっと疲れぎみで、帰りは急行アルプスに乗る。ビールなんか飲んじゃって、生意気に登山客気取りだった。
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