森田芳光監督の劇場用第1作の「の・ようなもの」(1981)。私は劇場では見ていません。かなり後になってから、彼の存在を知り、才気あふれる監督さんだし、とぼけた味もあるし、少しエッチな描写も簡単に差し込むし、ドギドキしながら彼の話を聞くみたいにして、楽しむことができました。森田さんが大監督になった後、でも80年代の後半かな。
映画の内容は、落語の世界に入った伊藤克信さん(彼の北関東なまりは、好きでした。人に対して思い悩む雰囲気が出ていた)が、若者に出会ったり、秋吉久美子さん扮するトルコ嬢さんにアドバイスももらい、成長するお話でした。
伊藤さん(映画の中では志ん魚シントトという落語修業中の役柄です)のまわりの人たちは次なるステップへどんどん踏み出していきます。みんな同じところにとどまっていないのです。それなのに主人公だけは何も変わらない。どんなに内面では変化があったとしても、目に見える変化がなくては、私たちは達成感が見つけられない!
映画の終わりの場面、みんなと飲んだ帰りだったか、何か事件があった後だったのか、ずっと自宅まで、移動手段がないから、ひたすら歩いて、いくつもの橋を渡り、下町の中を通り過ぎながら、ブツブツ何か言っている姿は、見ている私自身を見つめなおさせてくれる力があって、好きになりました。
いくつものエピソードはあるのに、そういうのは忘れています。もう何年前に見たんでしょう。分からないけれど、見るチャンスがあったら、見たいです。
というわけで、「の・ようなもの」とは、落語家になりたいのに、落語家のようなもの、少し中途半端な存在でいる主人公のことでした。そこから意味が広がって、大家として存在していても、その心はいつも揺れていて、その位置にいることに不安を抱えている。
自分をどうしたら磨けるのか。自分は本当の存在かと、人からは問われないけれど、自分では問うている。本物になりたいけど、どうしたらなれるのか?
そういうのを自問自答する気分にさせる「の・ようなもの」という言葉がありました。芸を身につける人の世界では、その芸の高さを区分するため、細分化された言葉があるように思われます。その下には未熟者の世界があり、落伍者もいっぱいいます。
2007年の1月24日・水曜日 夜22時前 おーいお茶に投句したと私の記録には書かれています。
1 窓くもる枯れ木のシルエット揺れる
五七五になっていないし、わざとそうしたのですが、大したことを言ってないのに思わせぶりがあって、当然ボツでした。
2 父の背に声をかけよか冬の風
このころは父は毎日ゲートボールに出かけていました。「声をかけよか」ではなくて、「声かけられず」にした方がスッキリする。これ、もう一度応募しようかな。
3 かまきりと落ちた朝顔屋根の上
カマキリと朝顔が屋根の上にいるのを見つけた、ということらしいけど、ゴチャゴチャしすぎです。シンプルにポンと出さなきゃいけないのに、うまく出せていない。
4 巨大クモ「地震の知らせ」と妻は言う
今となっては、冗談として通じないし、ただの夫婦の会話メモでしかありません。
5 午前四時ハナミズかんで彼岸かな
これも日記俳句です。どうして「私」を前面に出してしまうんだろう。教育の弊害かな。自分というのをしっかり出しなさい、と言い続けられて、つまらない自分を他人に見せてしまう。俳句の世界では、あまり認められない態度です。そこを抑えて普遍化しなくてはいけないのに、つい日記・感想文になってしまう。
6 パイン缶一人で食べてむせるボク
ドジでマヌケな自分を人に伝えて笑いを取ろうという、情けない体質の私が見えます。
7 昼寝せず勉強もせずカレーまん
俳句ではなく、日記でもなく、ただのザンゲ・反省です。
8 特攻が冬も行われたとは知らず
特攻隊の隊長さんだった人の伝記を読んで(城山三郎さんの本)、それに感化されて作ったものですが、ここにも私が出ている。オマエの発見なんか要らない!
9 長距離走外の寒さを持ち帰る
私が長距離走をするわけはないので、そういう人を見た。その人が外の寒さを持ってきたよ、という内容ですけど、説明しないと分からないもどかしさがあります。スッキリしない。
10 寄り道をしている自転車秋の暮れ
自転車が寄り道をするわけはないから、それに乗る人たちを想像した、ということですね。「秋の暮れ」と「寄り道」はイメージ的に近いから、余計なことを言いすぎ、またはありふれた世界でしかない、ということになりそうです。
11 木槿(むくげ)の名何度も妻に訊く散歩
2007年ころ、何度も「これは何という花?」と訊ね、「何度も答えた」という妻と、相変らずの私、そういう関係性は見えますが、それは日記に書き留めなさい、ということですね。
12 家族寝て夏の気配と波の音
これは自分たちの夏の記憶をよみがえらせたくて作った句です。家族の思い出として作ったものであり、人に見てもらうものではなかった。
13 「の・ようなもの」にさえなれず汗をかく
これを五七五にしたかったのだけれど、リズムが悪くなっています。当時、三重県でリレーで五七五を作るというのがネットの世界でありました。前日の作品の一番最後の音で始まる句を作る、県内からいろんな応募者があり、それを管理している選者の人が今日の一句を選ぶ、ということが行われていました。前日が「の」で終わっていたので、私の「の」は「のようなもの」だったので、応募して、作品が少なかったのか、採用されました。でも、反省の句であることは確かで、ゴロが悪い。
私が何度も送信して、あれこれかき集めて送っても、中身がイマイチなので、全部ボツでした。
同じ年、うちの奥さんが一句だけ、
14 春一番くるりくるりと子のつむじ
14 春一番くるりくるりと子のつむじ
これはアッサリ入選しました。なんと軽やかで、子どもを見つめる目のあたたかさ、これにも参ってしまったのでした。