高校の同窓会から1か月ほど経過しました。そこで、もともとは知り合いだったけれど、この年になって少し友だちになれた人、私が心の中で取れ戻せたと思えた人が何人かいました。
その人たちにメールであれこれと教わって、私みたいなものでも、少しだけ成長できたような気がしている(?)今日この頃なんです。
高校の時のことを語るのは、ほろ苦くて、でも楽しくて。
今のことを話すのは、私は相変わらず恥ずかしくて情けないことばかりですけど、メールをくださる人たちは、それぞれに人生のいろいろを踏まえて書いてくれるみたいで、私はちゃんと理解できているのかどうか。とにかく、みんなの生きてきた時間を感じさせてもらって、何だかうれしいんです。
そう、あの軽やかさを思い出そう! と、抜き書きしてみます。
「私たち、窓際(まどぎわ)の席だったじゃない?」
友子が言った。きゅっと問い詰めるような明るい口調も変わっていなかった。
「うん、俺は君のうしろだったよ。」
「よくさぁ、夏、プールの後ってくたびれて授業中熟睡しちゃうことがあるじゃない。ほら、あの感じ。体がまだ半分泳いでいるようなね、心地良くて、陽がたくさん当たって。それで先生の声がとおーく、子守歌になっちゃって、ぐうぐう寝ちゃうのよね。それで、ぱっと目が覚めると、五分くらいしか寝てないのに、なぜかしらすごくいっぱい寝たような不思議な気分にならなかった?」
「なった、なった。やっぱり熟睡だからだろうな。」
友子が言った。きゅっと問い詰めるような明るい口調も変わっていなかった。
「うん、俺は君のうしろだったよ。」
「よくさぁ、夏、プールの後ってくたびれて授業中熟睡しちゃうことがあるじゃない。ほら、あの感じ。体がまだ半分泳いでいるようなね、心地良くて、陽がたくさん当たって。それで先生の声がとおーく、子守歌になっちゃって、ぐうぐう寝ちゃうのよね。それで、ぱっと目が覚めると、五分くらいしか寝てないのに、なぜかしらすごくいっぱい寝たような不思議な気分にならなかった?」
「なった、なった。やっぱり熟睡だからだろうな。」
どういう設定だかすっかり忘れているから、明日でも読みなおさなくちゃいけませんけど、まだうちにあるかな。十数年前に熱心に読んだ若者文学(ばななさんはそういう存在でしたっけ?)、私には関係ないから売り飛ばしたような気がする。
女の子が会話を引っ張っているようです。男の子はふりまわされてる。
「まわりはなにも、変わってないの。先生は相変わらず黒板になにか書いてしゃべってるし、みんなも変化がなくって、体がほんのりあったかくって、窓の外は晴れてて、なにもさっきと変わってないのに、私だけ急にそこに降ってわいちゃったみたいな変な感じで、なんだかとても誰かとなにかしゃべりたいような不安な気がして、ねえって振り向くと智明くん、必ず! 寝てるの。おかしかったあ。ぼうぜんと智明くんの眠る背中を見て、笑いながらまた前向いて、……懐かしいなあ。」
十数年前には、私だってこんなことあったかもしれない、と思ってましたけど、ひょっとしたら、そういうことはなかったかもしれない。
でも、もちろん授業で脱落はしていたのだから、やむにやまれず、窓の外を見ることはあったでしょう。その時、うちの学校の中庭はすごい森になっていたので、そこの大きなメタセコイアは優しかったですよ。
人じゃなくて、木なのか。いや、それもアヤフヤです。
友子は高校の頃のことを楽しそうに嬉しそうにいくらでもしゃべった。そして今のことになると口をつぐんだ。
店を出て、もうすっかり終わった縁日の、カバーのかかった暗い店先や、石畳の神社を抜けて行った。赤い鳥居が闇の中で夢のように暗く見えた。
月は高く、その輝きにとても近い所でごっそりと暗い枝々がスローモーションでざわざわ揺れた。二人ともなんとなく、そういう景色を見ながら黙って歩いた。わけもわからずしんみりした。 〈吉本ばなな『サンクチュアリ』1988(角川文庫)より〉
* 同級生の会話、夏の思い出、そして、現在の暮らしはつづく。
というのだけ抜き書きしていました。抜き書きばかり集めた冊子だって作りましたっけ。私にとって宝物みたいな冊子だったのに、もう宝物を忘れたまんまでした。
でも、突然十数年ぶりに取り出せた。ブログしててよかったですなあ。新しい友だちもできて、少し、ほんの少し私の世界は広がった、かな。
将来どうするんだよ。死ぬまで働かなきゃいけないよ。
はい、わかってるんですけど、お仕事というより、ブドウ畑とか、ミカン畑とか、イチジク畑とか、果物栽培やりたいです。
それは、どうなんだろうね。
★ 2019.12.1 「サンクチュアリ」を探しました。でも、うちにはもうなかった。
売り飛ばしたのかも、二束三文で! 私の青春なんて、そんなものだったのかあ。いや、いつかまた青春を取り戻さなくちゃ!