47人の亡くなった方々のご冥福を祈りたいと思います。
* 以下の記事で重大な間違いがあると、家族に指摘されました。火山の観測費用を削ったのは民主党の仕分けだと、いい加減な情報をそのまま書いてしまいました。それは間違いだそうです。今後とも、ウソのないように真面目に、なるべく自分の見たものを見たままに記録していきたいです。失礼しました。
今日、帰宅するときにラジオを聞きながら帰ってきましたが、長野県の東御市の方で亡くなった方がおられて、その奥さんが旦那さんを見たときの気持ちや、「今後何を頼って生きていけばいいのか」などと語っておられるのを聞き、人ごとながら悲しくなりました。土曜の朝、家族へのサンドイッチを作り、1人御嶽山に向かい、遭難されたということでした。灰まみれのリュックには、まだ食べていなかったサンドイッチが残っていたということです。山頂で自作のサンドイッチを食べ、日帰りでおうちに帰ろうと思っておられたのでしよう。残念です。人生には、時としてこういう落とし穴があるのですね。
山頂付近で、火山弾に足を直撃され、歩けなくなり、ものすごい熱気も吸ってしまって意識がもうろうとした東京の女性がいたということでした。彼女を仲間が励まし、一緒に降りようと声をかけたものの、意識が薄れてしまって、家族と話がしたいというので、仲間が彼女の家に電話をしてくれたそうです。
彼女は家族に感謝の言葉などを述べたということでした。そして、東京のお母さんは、仲間の人たちに「この子はもう意識が薄れているので、あなたたちは避難しなさい」と話したと言うことでした。親としてはつらい決断だけれど、そう言わざるを得なかったのでしょう。
突然に訪れたいくつかの人の死ですが、それらはすべて、私たちもその体験を自分のものとできるように日々肝に銘じて生きていきたい気持ちです。なかなか自分のこととして感じることは簡単ではありませんが、他人事として切り捨てられません。なんだかとても近しい人の死のような気がしてなりません。人の死に遠い、近いをいうものではありませんので、今回は妙に気になるといえばいいのでしょうか。
登山に全く縁のない私ですが、登山への憧れは持っていました。夫婦でチャレンジしたり、団体で励まし合って山頂をめざすなんて、人間にしかできない最高の遊びだと思います。なかなかその道に行くには勇気が必要なんですけど……。
登山をするということは、当然自然を相手にするということで、それなりにリスクをともなうものだけれど、たまたま噴火に遭ってしまった。しかも土曜の昼前だった。気象庁には情報はあったものの、警報を出すほどの情報はそろっていなかった。
本来であれば、お金を掛けて国内の個々の火山の様子を研究しなくてはいけないのに、民主党政府の時代に予算はけずられてしまっていた、ああ、いろんなアンラッキーが重なって、悲しい結果になりました。
私たちはこれからも、御嶽山をめざすでしょうし、悲しい事故があれば、これからもまた人々は胸を痛めるでしょう。私は、何度でも祈りを捧げたい。それで何がどうなるわけでもありませんが、そうしないとダメだと思います。のん気な私の毎日も、ここんところ少し重かった気がします。カン違いかもしれないけど、とりあえず祈ります。
なるべく静かに祈りたいです。ガチャガチャしててもいいから、静かな気分でいたいです。
1 紅葉の灰を流せよ秋の雨
2 灰だけの紅葉の山に救助隊
3 自家製のサンドイッチを食べるとき家族とつながるはずだったのに
4 自然には文句は言うまい嘆くまい 部外者の私はただ祈るのだ
★ 昨日だったか、四年ぶりに山頂に登れるようになったそうで、遺族の方たちは山頂を訪れたそうです。いくら嘆いてももう亡くなった人たちは戻ってきません。でも、家族を感じるためには、家族がそこにいたという空気を味わいたいし、そこに立ってみたい。
なんて私たちって、イメージが足りないんですよね。イメージできたら、わざわざそこに行かなくても、その無念さや怖さが感じられるんだろうけど、できないし、家族と一緒になるためにはそこに行くしかないのです。
ああ、そういうイメージの足りない私たちですけど、それを支えに生きていくしかないのかな。(2018.9.27)
* 以下の記事で重大な間違いがあると、家族に指摘されました。火山の観測費用を削ったのは民主党の仕分けだと、いい加減な情報をそのまま書いてしまいました。それは間違いだそうです。今後とも、ウソのないように真面目に、なるべく自分の見たものを見たままに記録していきたいです。失礼しました。
今日、帰宅するときにラジオを聞きながら帰ってきましたが、長野県の東御市の方で亡くなった方がおられて、その奥さんが旦那さんを見たときの気持ちや、「今後何を頼って生きていけばいいのか」などと語っておられるのを聞き、人ごとながら悲しくなりました。土曜の朝、家族へのサンドイッチを作り、1人御嶽山に向かい、遭難されたということでした。灰まみれのリュックには、まだ食べていなかったサンドイッチが残っていたということです。山頂で自作のサンドイッチを食べ、日帰りでおうちに帰ろうと思っておられたのでしよう。残念です。人生には、時としてこういう落とし穴があるのですね。
山頂付近で、火山弾に足を直撃され、歩けなくなり、ものすごい熱気も吸ってしまって意識がもうろうとした東京の女性がいたということでした。彼女を仲間が励まし、一緒に降りようと声をかけたものの、意識が薄れてしまって、家族と話がしたいというので、仲間が彼女の家に電話をしてくれたそうです。
彼女は家族に感謝の言葉などを述べたということでした。そして、東京のお母さんは、仲間の人たちに「この子はもう意識が薄れているので、あなたたちは避難しなさい」と話したと言うことでした。親としてはつらい決断だけれど、そう言わざるを得なかったのでしょう。
突然に訪れたいくつかの人の死ですが、それらはすべて、私たちもその体験を自分のものとできるように日々肝に銘じて生きていきたい気持ちです。なかなか自分のこととして感じることは簡単ではありませんが、他人事として切り捨てられません。なんだかとても近しい人の死のような気がしてなりません。人の死に遠い、近いをいうものではありませんので、今回は妙に気になるといえばいいのでしょうか。
登山に全く縁のない私ですが、登山への憧れは持っていました。夫婦でチャレンジしたり、団体で励まし合って山頂をめざすなんて、人間にしかできない最高の遊びだと思います。なかなかその道に行くには勇気が必要なんですけど……。
登山をするということは、当然自然を相手にするということで、それなりにリスクをともなうものだけれど、たまたま噴火に遭ってしまった。しかも土曜の昼前だった。気象庁には情報はあったものの、警報を出すほどの情報はそろっていなかった。
本来であれば、お金を掛けて国内の個々の火山の様子を研究しなくてはいけないのに、民主党政府の時代に予算はけずられてしまっていた、ああ、いろんなアンラッキーが重なって、悲しい結果になりました。
私たちはこれからも、御嶽山をめざすでしょうし、悲しい事故があれば、これからもまた人々は胸を痛めるでしょう。私は、何度でも祈りを捧げたい。それで何がどうなるわけでもありませんが、そうしないとダメだと思います。のん気な私の毎日も、ここんところ少し重かった気がします。カン違いかもしれないけど、とりあえず祈ります。
なるべく静かに祈りたいです。ガチャガチャしててもいいから、静かな気分でいたいです。
1 紅葉の灰を流せよ秋の雨
2 灰だけの紅葉の山に救助隊
3 自家製のサンドイッチを食べるとき家族とつながるはずだったのに
4 自然には文句は言うまい嘆くまい 部外者の私はただ祈るのだ
★ 昨日だったか、四年ぶりに山頂に登れるようになったそうで、遺族の方たちは山頂を訪れたそうです。いくら嘆いてももう亡くなった人たちは戻ってきません。でも、家族を感じるためには、家族がそこにいたという空気を味わいたいし、そこに立ってみたい。
なんて私たちって、イメージが足りないんですよね。イメージできたら、わざわざそこに行かなくても、その無念さや怖さが感じられるんだろうけど、できないし、家族と一緒になるためにはそこに行くしかないのです。
ああ、そういうイメージの足りない私たちですけど、それを支えに生きていくしかないのかな。(2018.9.27)