甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

梅崎春生の「幻化」 ダチュラという花

2014年10月03日 21時52分58秒 | 本と文学と人と
「こんばんは」
 五郎は道を見上げた。道には女が立っていた。軽装で、手に団扇(うちわ)を持っている。ちょっと涼みに出たという格好であった。
「こんばんは」五郎もあいさつを返した。
 女はスカートの裾を押さえるようにして、斜面を降りてきた。
「何をしているの?」
 女は人慣れた口調で言った。香料のにおいが漂った。
「さっきから見てたんですよ。あなたはここの人じゃないね」
 五郎はうなずいた。



「遠くからやって来たんだよ。時にこの花、何という名前だったかな」
「ダチュラ」
 女はすぐに答えた。唇には濃めに口紅を塗ってある。商売女かな、と彼は一瞬考えた。 
「原名は、エンゼルトランペット」
「エンゼルトランペット?」
「ダズラじゃないのかね?」
「いいえ。ダチュラ」

 五郎はまだ考えていた。口の中で言ってみた。
「エンゼルトランペット」
「何をぶつぶつ言ってるの?」
「いや。何でもない」
「遠くからあんたは、何のためにやって来たのよ?」
 それは君と関係ないと、いつもならつっぱねるはずだが、時は黄昏(たそがれ)だし、女の言葉や態度が開放的だったので、つい五郎は応じる気になった。
「まあ、見物かな」
 五郎は湾の方を指差した。
「あの岩の島の名は、何だったかしら」
「双剣岩よ」



 二つの岩が鋭くそそり立ち、大きい方の岩のてっぺんに松の木が一本生えていた。その形は二十年前と同じである。忘れようとしても、忘れられない。
「君はここの生まれかい。戦時中、どこにいた?」
「ここにいました」
「じゃ戦争の終わりに、この湾で溺れて死んだ水兵のことを、覚えてるかね。覚えてないだろうね」
「覚えてる。覚えているわ」
 女は遠くを見る目付きになった。
「あたしが小学校の五年の時だった。いや、国民学校だったわね。体は見なかったけれど、棺に入れて運ばれるのを見た。うちの校舎でお通夜があったはずよ」
「そうだ。その棺をかついだ一人が、おれだよ」
「まあ。あんたもあの時の海軍さん?」
 五郎はうなずいた。女は五郎の頭から足まで、確かめるように眺めた。

「あの棺の中に、このダチュラの花を、いっぱい詰めてやった。この花は摘むとすぐにしおれたけれど、匂いは強かった。棺の中で、いつまでも匂っていたよ」
「そういう花なのよ。これは」
「しかしなぜ死体を国民学校なんかに運んだんだろう」
「あそこはもともとお寺だったのよ。一乗寺といってね、明治の初めに廃寺になったの。その後に石造の仁王像が二つ、海から引き上げられて、校庭に並んでるわ」
「それは気が付かなかった。もっともここには三週間しかいなかったし、学校内に入ったのも、その時だけだからね。二十年ぶりにやって来ると、おれはまったく旅人だ」
「そうねえ。あの頃の海軍さんとは、とても見えないわ」
 女はあわれむような、切ないような目で、五郎を見た。
「でも、あたしも小学生じゃない。三十を過ぎちまった」




 女は、学校を卒業後、東京に出て仕事につき、そこで知り合った男と結婚。何年間かの生活があったものの、二人の仲はうまく行かなくなって、1ヵ月前にふるさとに戻ってきた。ところが、ふるさとは田舎なので、出戻り女には息苦しく、毎日が重くのしかかってきて、夕方になると、ついフラフラと町をさ迷い歩くのだというのです。

 ここの舞台は、薩摩半島の西南端の枕崎よりもさらに奥の、坊津というところです。その昔は、遣唐使の船が出たり、薩摩の密貿易の港となったり、独特の歴史を持つ、隠された港です。

 そこに「幻化」の主人公の五郎がやってきたのです。実は五郎さんは戦争終盤の時期にここで通信兵として暮らしていた過去がありました。あと何ヶ月かしたら米軍がやってきて、自分たちの命も終わってしまう、その直前の落ち着かない緊張の日々の中で、とある思い出が引っかかっていて、20年ぶりにここを訪れたのでした。

 五郎は女の話に刺激を受けて、自分も思い出話をついしてしまって、戦争の末期に、双剣石まで酔っ払ったまま泳ぎに出て帰らなかった同僚の話を始めるのでした。



 私は、オッサンになってから、やっと「ダチュラ」を判別できるようになりました。高校生の時にこの小説を読んでいるので、この花の名前は見ていたはずですが、全く記憶に残っていませんでした。

 結婚して、奥さんと2人でどこかを歩いていたとき、ひょっとして松阪のベルファームでしょうか。いや、もっと昔かもしれません。とにかく、立派な花がダラリと垂れ下がっていて、妙な花だと思い、それでもやっぱり立派な花ではあるので、「これ、何?」と妻に訊いたのです。

 そうすると、妻は「ダチュラ」と教えてくれました。
その音感が耳に残って、あれ、こういう場面どこかで見たことあるなあと思ったら、ずいぶん昔に読んだ小説の一場面であったのだと、書棚をひっくりかえしていてふと見つけたんでした。



 小説の中では、五郎さんがこの行きずりの女性と関係を持ってしまいますが、私は妻とは関係はできているので、わざわざ関係することはなく、とにかく、女の人が唐突に「ダチュラ」と言うと、男の人は変なスイッチが入ったりするのかなと思います。まるで「私を愛して!」というふうに聞こえるような、ものすごく男に都合のいい解釈ですが、そう聞こえてしまいます。

 女の人には危ない花なのだと思います。だから、たまたま男の人と同席し、たまたま男の人に
「この花は何という花なんだろうね? 不思議な花だね」と訊ねられても、
無視するか、「さあ、わかりません」と答えなくてはいけないです。

 まちがっても「ダチュラ」と口にしてはいけない。そうしたら、男の人の変なスイッチが入って、襲われるか、食事に誘われるか、突然キスされるか、もう先が読めないあぶない展開になってしまうので、気をつけましょう。

 男の人は、なるべく平和に暮らして行くには、ちゃんと「ダチュラ」の花を憶えて、女の人に訊かれるようにならなくてはいけません。「この花は何という花?」と訊かれたら、「エンゼルトランペット!」と答えて、天使が下向いて吹いているのかも……」と、つまらない冗談を言って安心させてあげなくては!


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