甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

晩秋の丹生大師 久しぶりのいい天気! 

2014年11月23日 00時15分53秒 | 三重・熊野さんぽ
 栗の紅葉って、初めて見たような気がします。栗の木は何度か見る機会はあるのですが、改めて栗の木が紅葉しているとは知らなかった。実が収穫された後は、何となくどうでもいい存在になっていたような気がします。そりゃ、紅葉して、落ち葉となって、新しい季節を迎えなければ、栗の木もふたたび再生することはできないのですね。

 今日は昼から、奥さんと一緒にドライブに出かけました。目的は丹生大師(にうたいし)さんで、2日前がお大師さんの日でした。丹生ではなにかイベントがあったのかどうかわかりませんが、毎年春と秋のお大師さんの日には盛大なお祭りがあるということです。残念ながら、私は参加したことがありません。こういうのは気合いの問題で、うまく呼吸が合えば参加できるらしい。たまたま私は未経験です。

 丹生大師前のふれあいの館にクルマを止めて、私だけ神宮寺の方へ行きました。奥さんはふれあいの館という産直みたいなお店でお買い物です。経営が変わったら仕入れも変わってしまって、昔ほどの愛着はなくなってしまったけれど、とりあえず買い物をしているようでした。

……立派な門です。地域から慕われている証だと思われます。




 仁王門というくらいだから、この二体の仏さまが主役です。東大寺ほどではないけれど、なかなかの迫力です。でも、仁王さんには金網越しでしか拝めなくて、それがもどかしい。


 門の下から丹生の町へとつづく通りをながめてみました。

 紅葉とハス池があります。池の水は少し抜いてあるような感じで、もみじがりりしいのです。

 門の中にいくつか彫刻がしてあるのを見上げてみました。よく見えないのが残念でした。

 門の手前に日露戦争の戦没者を悼む立派な石碑がありました。そのお隣にもありましたが、こちらは太平洋戦争なのかもしれません。「殉国」というのが少しイヤな感じなので、写真は撮りませんでした。「表忠」も同じようなものですが、国に殉ずるというのを言葉にしてもらいたくありません。そんなのは過去の遺物であり、二度と繰り返してはならないことです。それより「鎮魂」にしてもらいたかったなあ。

 和歌山別街道のお堂も門のそばに立っています。そりゃ旅人にしてみれば、この立派なお寺と町並みにたどりつけたら、うれしかったろうと思います。でも、旅人はどこをめざしていたのやら、お伊勢さんだったのか、江戸への途中か、それともここから熊野へと向かったのでしょうか。

 そして、神仏混淆なので、神宮寺のお隣に丹生神社があります。同じ敷地内にあります。昔の人はおおらかで、神社も拝み、お寺にもお参りした。そうした伝統をぶった切って、寺と神社を無理矢理分離してしまった。もしくはお寺のすべてを破壊した。そんな恐ろしいことが日本人にできてしまった。

 これはお上に指示されたということもあるでしょうが、一般の人の中には率先してお寺を壊した人たちもいたことでしょう。大人しい顔をして、日本人はやるときはとんでもないことを平気でやらかしてしまう。集団心理とは、そういうものなんでしょう。私たちは、今もその流れを受け継いでいて、突然今まで大事とされてきたものを破壊する暴挙だってできる人たちなのだと思います。せいぜいそんな手のひらを返すような、コロコロ変わる人間にはなりたくありません。いつもボンヤリ、なるべくいつも通りでやりたいです。

 柿の木にカキはもうあまり残っていませんでした。もうおいしくないカキばかりが残っていました。草の花はもうタネになりつつあります。

 桜の木には葉っぱが何もありませんでした。桜や梅ははやくからスタンバイしなくてはいけないのですね。



★ 昨年の台風で、丹生大師の回廊は全壊し、取り壊されていました。再建できるのかどうか、不安ですけど、ふたたびもとの姿に戻ればいいけど、もう少し広く世間に寄進を求めたらどうなのかな。いや、その前に、私がお参り行かなくては!

 来週末、できれば行きます。

 仁王さんのおられる門も解体修理中で、今は更地になっています。いつになったら、復活するのか、私は何もしないしないでいいのか、お祈りにいかないとダメかな。(2018.2.17)





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