小笠原諸島沖に出没する中国漁船、あの人たちは何を考えているのか、ニュースだけを見ている私たちは、何だかすべての中国人が目がつり上がって、無表情で、カネのことしか頭になくて、ぶっきらぼうで、ひょっとするとこちらの命さえ狙いかねない、とても不気味な人々に見えてしまいます。
でも、本来は、普通の人々であり、たまたま日本がいい加減にしか管理していない海に、当然の権利と思ってやってきているのでしょう。たぶん、日本の漁船も、世界でそのように見られているのだと思います。日本の捕鯨船だって同じなのかもしれません。
だから、私たちもシーシェパードになって、あれこれ妨害したり、網を切ったり、船にぶつかったりする民間組織を作ればいいのだと思います。国と国ではダメだけれど、資源保護・環境保全のため立ち上がり、阻止するように実力行使しなくてはいけません。でも、だれがやるのか、それができないのがまた日本らしいのかもしれません。黙っていやだなあと思っているだけです。政府の人たちが交渉するだろうという人任せではいけない。募金をして、妨害する日本版シーシェパードを作らなくては!
というのも、このお話を見ていると、海に暮らす人々は、海の様子に目を光らせ、その変化を見つめ、時には厳しく、時にはあたたかく、時にはシビアーに見ていたのだと思ったんでした。
大島ではえたいの知れない青い火が燃え立っているし、時化(しけ)の日に浦の口を暴風をいっぱいにはらませた帆があとからあとから競争のように走り過ぎて消えて行くのは、皆も見て知っているじゃろが、あれは何ぢゃ、どこの船がどこへ行くのじゃ。————誰も知らない。
わしは若いころ、新町の花相撲に出ようと真夜中に浜づたいを近道していると、浜一帯が妙に騒がしく賑(にぎ)やかに焚火(たきび)をたき立てて船の出るところであった。こんな時刻にこれほど揃って出るとは。烏賊船(いかぶね)ではなし、鯖船ではなし、何船であろうか。変なこともあるものだ。と見ているうちに明るい船は勢いよく出て行って湾の口、入江大明神さまの前あたりへ行くと船の火はのろしを上げたように一度に明るくなったのが不意と火の気がおとろえて引きかえし舷に打つ波音しづしづと帰ると、また一度賑やかにあかりをかき立てて出て行っては港口でまた暗くなって引きかえして来る。
懲り性(こりしょう)もなく何度も繰り返されるのを一つ船であろうか。それとも同じような船がいくつかあるのかと気をつけているうち、また出発しようとする賑やかな船を見かけたので目を据えて見送ると、
「ころがイナ、みんなに外尻をかけているのじゃ!」
というのがこの不思議な船の話の結末の一句である。……[中略]……これは甚(はなは)だ危険でもあり、亡者の船の乗り方と戒めて船では一切厳禁の作法なのである。だからみんな外尻をかけていたの一語は明滅する奇異な船が幽霊船であったことを意味している。
幽霊船の火がその前で一度最後の焔(ほのお)を上げてから消えたという江の浦の口に祭られた入江大明神という奇異な祠(ほこら)の神体についても話がある。
町の網元の一軒、庄助屋で鰹船を出して三マイル程沖に来た時、海上にまんまるな光りながら波の表を漂い流れるものを見つけた。海上であれ流木であれ、屍(しかばね)であれすべてが光りものになって流れるのが普通だから、発光体は少しも珍しくはないが、まんまるいのが何か貴重品らしく思えたので船を寄せて拾い上げてみると古風な鏡。見るからの神々しさに、物の名にちなんで、大島のわきにある鏡島というのへ一度納めておいて漁の帰りに再び持って帰った。
この鏡を道行の守り神にもと、街道筋の木立の奥まったあたりに巌(いわお)のある岩ノ子という場所の石上に祭ると、道を通りかかった荷馬車の馬がその前にさしかかって、みな棒立ちになり、進まなくなってしまう。馬力は馬がアババイのだという。この方言は霊威に打たれて畏怖するの意のようである。
ともあれ、馬がこれでは交通の安全どころか、かえって障害にもなろうというので、鏡は再び持ち帰って今度は街道から遠ざけ、場所がらで新造の船が必ず第一に詣でる神社となったものである。馬でさえ畏怖する神霊であってみればみな外尻の船がそのあたりの航行をはばかるのも当たり前のような気がする。
いろんなお話が伝えられています。入江明神さんの縁起話というのでしょうか、いろんなお話にいろどられていたもんですね。
そういえば、昔はみんなが輪になってあれこれ見聞・経験してきた話を披露するということがありましたが、今の若い人はそんなことをしなくなっているような気がします。そういう習慣がないので、人の話を聞かず、そういう習慣がないので、人とのやりとりの中でお話をつづけていくこともしない。何事も一方的に自己主張だけをして、あとは知らないという感じです。
そういう勉強をさせなきゃいけませんね。集団会話力というか、そういうのを小学校くらいから研究したらどうなのかな?
でも、本来は、普通の人々であり、たまたま日本がいい加減にしか管理していない海に、当然の権利と思ってやってきているのでしょう。たぶん、日本の漁船も、世界でそのように見られているのだと思います。日本の捕鯨船だって同じなのかもしれません。
だから、私たちもシーシェパードになって、あれこれ妨害したり、網を切ったり、船にぶつかったりする民間組織を作ればいいのだと思います。国と国ではダメだけれど、資源保護・環境保全のため立ち上がり、阻止するように実力行使しなくてはいけません。でも、だれがやるのか、それができないのがまた日本らしいのかもしれません。黙っていやだなあと思っているだけです。政府の人たちが交渉するだろうという人任せではいけない。募金をして、妨害する日本版シーシェパードを作らなくては!
というのも、このお話を見ていると、海に暮らす人々は、海の様子に目を光らせ、その変化を見つめ、時には厳しく、時にはあたたかく、時にはシビアーに見ていたのだと思ったんでした。
大島ではえたいの知れない青い火が燃え立っているし、時化(しけ)の日に浦の口を暴風をいっぱいにはらませた帆があとからあとから競争のように走り過ぎて消えて行くのは、皆も見て知っているじゃろが、あれは何ぢゃ、どこの船がどこへ行くのじゃ。————誰も知らない。
わしは若いころ、新町の花相撲に出ようと真夜中に浜づたいを近道していると、浜一帯が妙に騒がしく賑(にぎ)やかに焚火(たきび)をたき立てて船の出るところであった。こんな時刻にこれほど揃って出るとは。烏賊船(いかぶね)ではなし、鯖船ではなし、何船であろうか。変なこともあるものだ。と見ているうちに明るい船は勢いよく出て行って湾の口、入江大明神さまの前あたりへ行くと船の火はのろしを上げたように一度に明るくなったのが不意と火の気がおとろえて引きかえし舷に打つ波音しづしづと帰ると、また一度賑やかにあかりをかき立てて出て行っては港口でまた暗くなって引きかえして来る。
懲り性(こりしょう)もなく何度も繰り返されるのを一つ船であろうか。それとも同じような船がいくつかあるのかと気をつけているうち、また出発しようとする賑やかな船を見かけたので目を据えて見送ると、
「ころがイナ、みんなに外尻をかけているのじゃ!」
というのがこの不思議な船の話の結末の一句である。……[中略]……これは甚(はなは)だ危険でもあり、亡者の船の乗り方と戒めて船では一切厳禁の作法なのである。だからみんな外尻をかけていたの一語は明滅する奇異な船が幽霊船であったことを意味している。
幽霊船の火がその前で一度最後の焔(ほのお)を上げてから消えたという江の浦の口に祭られた入江大明神という奇異な祠(ほこら)の神体についても話がある。
町の網元の一軒、庄助屋で鰹船を出して三マイル程沖に来た時、海上にまんまるな光りながら波の表を漂い流れるものを見つけた。海上であれ流木であれ、屍(しかばね)であれすべてが光りものになって流れるのが普通だから、発光体は少しも珍しくはないが、まんまるいのが何か貴重品らしく思えたので船を寄せて拾い上げてみると古風な鏡。見るからの神々しさに、物の名にちなんで、大島のわきにある鏡島というのへ一度納めておいて漁の帰りに再び持って帰った。
この鏡を道行の守り神にもと、街道筋の木立の奥まったあたりに巌(いわお)のある岩ノ子という場所の石上に祭ると、道を通りかかった荷馬車の馬がその前にさしかかって、みな棒立ちになり、進まなくなってしまう。馬力は馬がアババイのだという。この方言は霊威に打たれて畏怖するの意のようである。
ともあれ、馬がこれでは交通の安全どころか、かえって障害にもなろうというので、鏡は再び持ち帰って今度は街道から遠ざけ、場所がらで新造の船が必ず第一に詣でる神社となったものである。馬でさえ畏怖する神霊であってみればみな外尻の船がそのあたりの航行をはばかるのも当たり前のような気がする。
いろんなお話が伝えられています。入江明神さんの縁起話というのでしょうか、いろんなお話にいろどられていたもんですね。
そういえば、昔はみんなが輪になってあれこれ見聞・経験してきた話を披露するということがありましたが、今の若い人はそんなことをしなくなっているような気がします。そういう習慣がないので、人の話を聞かず、そういう習慣がないので、人とのやりとりの中でお話をつづけていくこともしない。何事も一方的に自己主張だけをして、あとは知らないという感じです。
そういう勉強をさせなきゃいけませんね。集団会話力というか、そういうのを小学校くらいから研究したらどうなのかな?