夏が近づいてきました。どこかへ旅でもしなきゃ、と思うけれど、去年は奥さんがどこにも行かないみたいだったから、無理やり山陰の旅に出たんですけど、今年はどうやら東北に行くみたいで、それは私はうれしいんだけど、奥様はまたも一緒には行かなくて、飛行機でポンと岩手に向かうようです。
ああ、また長い一人の旅に出なきゃいけないのか。
でも、よく考えてみれば、2011年の夏にでも、私一人でも岩手に行けばよかったんですけど、そのころは行けそうな気持にならなかった。
そうしてチャンスを逃しているうちに、彼女のふるさとには誰も待ってくれる人がいなくなってしまった。
誰かが、私たちの訪れを待ってくれるなんて、それはもう有り難いことなのに、私たちは、ついついいろいろと言い訳をして、大事なチャンスを逃してしまいましたね。私が大事な機会を失うのは、もうどれくらいあったでしょう。
数限りなくチャンスを逃し、たまにチャンスに向き合えたとしても、何だか思ってたのと違うとか、不平をもらしたり、気に食わなかった様子になったり、うまく乗れてなかったなあ。
いや、どれだけチャンスをうまく利用できる人がいるんだろう。うまくいかなくても、不平も言わず、まわりに声かけして、明るさを失わないっていうことがどれだけ大事なことだったのか。
彼女のふるさとの町を、手持無沙汰でふらふら歩いていたら、しんきんのおねえさんを見つけて、調子に乗って写真なんか撮ってました。曇っていました。雨はいくらか降ったんだったか。
彼女ともそんなにお話はできなくて、何となくボンヤリとした時間をすごさねばならなかった。
あれから、もう十何年過ぎてしまった。
今年、久しぶりに、奥さんのふるさとに行けるかなあ。私は行きたいし、本当ならしっかりしゃべりたいし、いろんな人と交流したい。そんな気持ちはあります。でも、たぶん、彼女がそばにいたら、すべてを彼女に任せたままにしてしまう。
それがいけないです。いつまでたっても、いい年なのに、とっちゃんボーヤなんだよ。冗談じゃなくて、お話にならないオッサンだ。いつか脱皮できる、いい大人になれる、そう思ってきたけど、なかなかなれないなあ。