昨夜、晩ごはんの後、奥さんと散歩に出ました。その前の晩も、散歩に出て、私たちと同じように夜に散歩をするネコを見かけたので、今夜も出会えるかもしれないと、あわい期待を抱いて短い散歩に出ました。
けれども、まだ夏の夜なので、明るさが残っていて、二度の雷雨が通り過ぎていったあとのキレイさっぱりの空には明るさが残っていた。
西から沈んでいく太陽に照らされた空だけが明るく輝いていた。雲はほとんどないのだから、照らす対象はないにもかかわらず、空気そのものが照らされて妙な明るさがありました。
本来なら、どんなに太陽が照らしたところで、光線を受けるものがなかったら、宇宙のように真っ黒になるはずだけど、それなりにいろんな物質があるからなのか、夕焼でもないし、夕映えでもないのに、明るかった。
変な妄想が起きて、太陽が光のしずくを持っていて、それがまだ空に残っているから、西の空だけ明るいんだよ、なんてバカなことを思う(それは今考えた屁理屈ですけど、光の余韻みたいなのはあると思っていました)。
西の空には金星が輝いていました。もうすぐ屋根の向こうに落ちていきそうな気配でした。最後の輝きを見せていた。これまた、太陽の薫陶を受けた金星が、太陽が沈んだ後も、その光を保持して輝いているような、そんな妄想も起きます。
そりゃ、太陽はそこにあるわけだから、たまたま私たちは太陽が見えなくなったけれど、金星はずっと光を浴びていたんだ。
「最近、ずっと金星はキレイ」
「へー、そうか。輝いてるなあ」
「飛行機じゃないよね?」(星かと思ったら、ヘリコプターだったということもたまにあるので)
「たぶん、金星やと思うけど……」
ともだち「金星の後ろにあるのは、レグルスと火星です」
「へーっ、レグレス」
「いや、レグルス」
「あ、そう。レグルスかあ(レグルス文庫というのがあったから、あのレグルスなんだね)」
表紙の絵は、確認しないで描いたから、「レグレス」になっています。どうしてちゃんと聞き分けられないの! 母が乳製品の会社の「チチヤス」を「チャチャヤス」とハッキリ言うのに似ている。ものすごい聞き込み耳になっている。母は目よりも耳を大事にして情報を得ているんでしょう。私は、私はいろいろとチャランポランですねえ。
フェイスブックで、撮った写真を載せたら、天文が好きな友人は、ちゃんと二つの星の名前を教えてくれました。
一つは赤い星の火星ということでしたが、私たちにはかすかな光で、赤くは見えなかった。
もう一つは、星座の中の一つが、まるで金星のおとものように従っているように見えました。おとも二つを連れて、金星は誇らしいでしょう、なんて、またつまらないことを思ってしまう。星はキャラクターではなくて、ただの物質なんだから、そんなつまらないことは考えないんだ。
でも、ひねくれ人間は、いろんな話を作っていくんでしょう。
空を見上げて、「これは夏の大三角?」「さあ、わからんなあ」と、不確かな会話を続けています。ちゃんと勉強したら、もう少しそれらしい話ができるはずなのに、いつも本気ではないし、ただボンヤリしているだけだから、ちっともお話は進みません。
いつもモヤモヤしているだけです。でも、それはそれ、私たちはわからないことをあれこれ話し、たまには勉強し、人から教えてもらい、分かった気になるけれど、すぐに忘れてしまう。
そんなことを繰り返しています。
だから、散歩のネコちゃんは、私たちを避けて、自分の散歩をしたようでした。ザンネン! だったら、また気が向いたら、今夜も散歩に出よう。そして、チラッとでも会えたら、それはうれしいし、会えなかったら、空でも見ています。そんな風にして夜を過ごしていくことにします。
何だか、夜がいつも同じみたいで、代わり映えしないのがイヤだなあ。