昔、富士山に憧れは持っていました。中三の修学旅行で五合目までスバルラインをたどって、みんなで行きました。少しだけあたりを歩いて、記念写真を撮りました。
「なんだ、富士山なんて、バスで来られて、半分まで来たら、あとはあの見える頂まで行けばいいのか」
なんて軽い気持ちを起こしたものでした。実際に弾丸登山をしてみたら、しんどいこと、もっとゆっくり体を慣らしつつ歩かなくてはいけないのに、睡眠不足で歩いたものだし、徹夜明けだったし、しんどかったのでした。もう、仲間は先に行ったけれど、自分はもうここでいいやなんて、思ったのです。
でも、仲間の声が聞こえた気がしたので、トボトボ歩いて、みんなが待っている山頂にたどり着けた。山小屋みたいなところで食べたインスタントラーメンは、芯が残ってたけど、それでもおいしかった。久しぶりに食べたものでしたね。そうだ! 食料も水も用意しないで登ったなんて、無謀だし、ムチャクチャでした。
学生時代の仲間のLINEがあるのですが、そこで、ふと昔をふり返って、仲間内で登ったのは私だけだったのに気づきました。
みんな、興味はあったかもしれないのに、いざとなると、仲間として登ろうということにはならなかったようです。
どうして、みんなで手を取り合って登ろうとしなかったのか?
たぶん、みんなやらなきゃいけないことがあったり、富士山どころではなかったのでしょう。それくらいにみんな自分に向き合っていたのでしょう。
だから、富士山よりも、新宿に出て行ったり、国会図書館で調べ物があったり、ヨコハマに遊びに行ったり、いろんなことをしなくてはなりませんでした。
そう、若い時は、風景を見るよりも、もっと自分の開拓に忙しかったし、自分そのものを知っていなかったのだと思われます。
そうなんだね。みんな自分探しをしてたのか。今は? 今はできることをして、会いたい人に会って、そもそも会いたい人は誰なのかを考え、お金のことも考え、やれることをしていこう、そういうことになっています。
1 若いときワスレナグサの花空間
2 ハルジョオン富士など知らず十九歳