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あと少しでドラマが始まります。「真田丸」はほとんど見ていないので、奥さんが見ているのを耳で聞くことが多いです。でも、今はグランプリファイナルを見ているみたい。
21時から、「そして誰もいなくなった」の最終回を見ます。
だから、ブログは写真を貼り付けたらおしまいです。
奥さんは行きませんでした。母と私たち兄弟と甥っ子の4人だけで、奈良県の下北山にキャンプに行きました。でも、ロッジに泊まったから、ねるところは確保されています。
お肉をいっぱい食べました。クルマにもいっぱい乗りました。
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また、テレビ見たら、つづきを書けそうだったら書きます。
みなさま、いかがお過ごしですか? 私は、のんきに一泊旅行。帰ったら奥さんについさっきまでサンパツしてもらって、それが済んだらお風呂、とても優雅な週末でした。
では、テレビ見てきますね。
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★ ということで、調子に乗ってドラマを見てきました。そして、何だか悪夢を見終わった感じで、ドッと疲れてしまいました。もっと穏やかな気分で日曜の夜を過ごしたかったのに、ドラマなんかを見るから、こういう目に遭います。バカだなあ。テレビ・ドラマを信用してはいけないのです。
そして、だまされた私は、イヤな気分を受け止めて、ウンザリしています。奥さんも忘れるために(?)、グランプリファイナルを見ているようです。
小さな島のお屋敷に8人の客が招待され、2人の管理人と合わせて10人の人たちがいました。次から次と人が殺され、最後は誰もいなくなるという、タイトル通りの結末でしたが、仕掛けはたくさんの犯人たちを有罪にして、その死刑にも立ち会ってきた判事さんで、彼が今まで裁き切れていない分を、まとめて裁いて、ついでに自分も裁いてしまうという破滅的な結末でした。
タイトルがそうなのだから、そうなるのはわかっていました。たた、2回見たから、最終回にもつきあってしまった。そして、そのまんまの結末を見せられ、ウンザリした気持ちになりました。
3回を通してみていると、確かに判事さんが一番冷徹に裁いていたので、判事さんしかいなかったのかもしれない。でも、家庭教師の女性も、相当なワルというか、暗い部分を抱えていて、判事さんが殺していないのに、彼女も1人ここで殺してしまい、最後はおかしくなって自分で死んでしまうという、何だかイヤな感じでした。
とにかく、ガッカリしたんですね。ハイ、わかりました。冷静になって書きましょう!
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今日、帰りは13時半から16時まで2時間半、奈良県の下北山村から、熊野市からR42で矢ノ川峠(やのことうげ)を下って、尾鷲に出て、そこから自動車道で紀北町まで出て、そこからふたたびR42で自宅までノンストップで帰ってきました。
それで、自動車道ができて、ガラガラになったという矢ノ川峠をしみじみ走ってみて、どこかで止めて写真でも撮ろうと思いつつ、とうとうノンストップで走ってきたんですが、20数年前のことを思い出していました。
そのころ、三重県の南に家族3人で生活をスタートさせていました。たまに大阪の父母が一週間くらい遊びに来ることがありました。私たち夫婦は30代前半、父母は60前後、みんな若かったんです。
あるとき、父母を連れて、伊勢神宮に行ったことがありました。大阪から電車で1時間半で行けるところへ、三重県の南からクルマで往復6時間かけてドライプしたことがありました。
行く手をふさぐものは、いくつもの峠でした。その最初で最大の難関が、熊野市と尾鷲市の間の矢ノ川峠でした。直線にしたら20キロ足らずのところを、山また山で、たくさんのクルマたちがヒーコラしながら上り、降りる峠でした。
旧道時代は、峠にお茶屋さんがあって、ボンネットバスはここで休憩をしたということですし、今ではクルマは走れなくて、バイクも無理で、尾鷲側から峠までは一度だけ人のクルマで行ったことがありますが、とにかく大変な峠がありました。
今は、前後左右クルマはいないし、民家も火が消えたようですし、だあーれもいない感じ。時々クルマとすれちがったり、自転車で登ってくる人を1人見かけたくらいで、とにかく誰もいない道を淡々と走りました。
いくつかのトンネルを抜けて、たぶん私は、20数年前に気分はもどっていたのです。
あの時、父母は何を考えて、私の運転するクルマに乗っていたのか。あの時、自分は父母にどんな話をしてあげたのか、どんなところを案内してあげたのか? 写真も残してなくて、ただ行って帰っただけのとんでもないドライブでした。
今の私は、あのころの父母の年に近づいています。そして、ボーツと何も考えないで、ただ過去の父母とのドライブのことを考える。
何もしてあげていないし、何も案内していない。6時間のドライブのあとは、みんなでゴハンを食べて、ああ疲れたとかなんとか言いながら、寝てしまったことでしょう。
あれから、ただ歳月が過ぎて、父はいなくなり、母とはつい1時間前まで、一緒に下北山村の青空の下にいたけど、母はやたらと「私も年をとった。こんな階段でヒーヒー言っている」と、自分が年をとったのを訴えていましたけど、何も変わっていないのに、時間だけが過ぎている。
矢ノ川峠は、当時はすごい峠で、今も道の整備やら、橋の点検やらはしているみたいでしたけど、あまり変わっていない。
当時の父の気持ち・ことば、何も憶えていないし、本当なら、父の日記を見直すしかありません。でも、父は淡々と業務日誌のように、時間とできごとと、自分の行動を書いているだけで、あまり感情・感想は書いてないような気がします。
だから、父の気持ちを知りたいと思ったら、ただ思いやるしかないのだ、とにかく一緒にたどった道を、今自分は1人で走っていて、ラベルを聞きながら、ぼんやりと思い出そうとしている。
でも、それは見つからない。
となると、もう懸命にその時を思うしかないのだ、とか何とか考えていたでしょうか。
つまらない俳句も考えました。
下北山村、朝は寒かったけれど、昼間はとてもポカポカでした。全身がポカポカしていた。首筋も、太陽の残りがあるような気がしました。
日だまりをうなじに残し冬キャンプ
まあ、そういう感じ、と思いながら、車窓の風景を飛び散らせていました。
21時から、「そして誰もいなくなった」の最終回を見ます。
だから、ブログは写真を貼り付けたらおしまいです。
奥さんは行きませんでした。母と私たち兄弟と甥っ子の4人だけで、奈良県の下北山にキャンプに行きました。でも、ロッジに泊まったから、ねるところは確保されています。
お肉をいっぱい食べました。クルマにもいっぱい乗りました。
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また、テレビ見たら、つづきを書けそうだったら書きます。
みなさま、いかがお過ごしですか? 私は、のんきに一泊旅行。帰ったら奥さんについさっきまでサンパツしてもらって、それが済んだらお風呂、とても優雅な週末でした。
では、テレビ見てきますね。
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★ ということで、調子に乗ってドラマを見てきました。そして、何だか悪夢を見終わった感じで、ドッと疲れてしまいました。もっと穏やかな気分で日曜の夜を過ごしたかったのに、ドラマなんかを見るから、こういう目に遭います。バカだなあ。テレビ・ドラマを信用してはいけないのです。
そして、だまされた私は、イヤな気分を受け止めて、ウンザリしています。奥さんも忘れるために(?)、グランプリファイナルを見ているようです。
小さな島のお屋敷に8人の客が招待され、2人の管理人と合わせて10人の人たちがいました。次から次と人が殺され、最後は誰もいなくなるという、タイトル通りの結末でしたが、仕掛けはたくさんの犯人たちを有罪にして、その死刑にも立ち会ってきた判事さんで、彼が今まで裁き切れていない分を、まとめて裁いて、ついでに自分も裁いてしまうという破滅的な結末でした。
タイトルがそうなのだから、そうなるのはわかっていました。たた、2回見たから、最終回にもつきあってしまった。そして、そのまんまの結末を見せられ、ウンザリした気持ちになりました。
3回を通してみていると、確かに判事さんが一番冷徹に裁いていたので、判事さんしかいなかったのかもしれない。でも、家庭教師の女性も、相当なワルというか、暗い部分を抱えていて、判事さんが殺していないのに、彼女も1人ここで殺してしまい、最後はおかしくなって自分で死んでしまうという、何だかイヤな感じでした。
とにかく、ガッカリしたんですね。ハイ、わかりました。冷静になって書きましょう!
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今日、帰りは13時半から16時まで2時間半、奈良県の下北山村から、熊野市からR42で矢ノ川峠(やのことうげ)を下って、尾鷲に出て、そこから自動車道で紀北町まで出て、そこからふたたびR42で自宅までノンストップで帰ってきました。
それで、自動車道ができて、ガラガラになったという矢ノ川峠をしみじみ走ってみて、どこかで止めて写真でも撮ろうと思いつつ、とうとうノンストップで走ってきたんですが、20数年前のことを思い出していました。
そのころ、三重県の南に家族3人で生活をスタートさせていました。たまに大阪の父母が一週間くらい遊びに来ることがありました。私たち夫婦は30代前半、父母は60前後、みんな若かったんです。
あるとき、父母を連れて、伊勢神宮に行ったことがありました。大阪から電車で1時間半で行けるところへ、三重県の南からクルマで往復6時間かけてドライプしたことがありました。
行く手をふさぐものは、いくつもの峠でした。その最初で最大の難関が、熊野市と尾鷲市の間の矢ノ川峠でした。直線にしたら20キロ足らずのところを、山また山で、たくさんのクルマたちがヒーコラしながら上り、降りる峠でした。
旧道時代は、峠にお茶屋さんがあって、ボンネットバスはここで休憩をしたということですし、今ではクルマは走れなくて、バイクも無理で、尾鷲側から峠までは一度だけ人のクルマで行ったことがありますが、とにかく大変な峠がありました。
今は、前後左右クルマはいないし、民家も火が消えたようですし、だあーれもいない感じ。時々クルマとすれちがったり、自転車で登ってくる人を1人見かけたくらいで、とにかく誰もいない道を淡々と走りました。
いくつかのトンネルを抜けて、たぶん私は、20数年前に気分はもどっていたのです。
あの時、父母は何を考えて、私の運転するクルマに乗っていたのか。あの時、自分は父母にどんな話をしてあげたのか、どんなところを案内してあげたのか? 写真も残してなくて、ただ行って帰っただけのとんでもないドライブでした。
今の私は、あのころの父母の年に近づいています。そして、ボーツと何も考えないで、ただ過去の父母とのドライブのことを考える。
何もしてあげていないし、何も案内していない。6時間のドライブのあとは、みんなでゴハンを食べて、ああ疲れたとかなんとか言いながら、寝てしまったことでしょう。
あれから、ただ歳月が過ぎて、父はいなくなり、母とはつい1時間前まで、一緒に下北山村の青空の下にいたけど、母はやたらと「私も年をとった。こんな階段でヒーヒー言っている」と、自分が年をとったのを訴えていましたけど、何も変わっていないのに、時間だけが過ぎている。
矢ノ川峠は、当時はすごい峠で、今も道の整備やら、橋の点検やらはしているみたいでしたけど、あまり変わっていない。
当時の父の気持ち・ことば、何も憶えていないし、本当なら、父の日記を見直すしかありません。でも、父は淡々と業務日誌のように、時間とできごとと、自分の行動を書いているだけで、あまり感情・感想は書いてないような気がします。
だから、父の気持ちを知りたいと思ったら、ただ思いやるしかないのだ、とにかく一緒にたどった道を、今自分は1人で走っていて、ラベルを聞きながら、ぼんやりと思い出そうとしている。
でも、それは見つからない。
となると、もう懸命にその時を思うしかないのだ、とか何とか考えていたでしょうか。
つまらない俳句も考えました。
下北山村、朝は寒かったけれど、昼間はとてもポカポカでした。全身がポカポカしていた。首筋も、太陽の残りがあるような気がしました。
日だまりをうなじに残し冬キャンプ
まあ、そういう感じ、と思いながら、車窓の風景を飛び散らせていました。
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