甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

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追悼 高倉健さんと『八甲田山』

2014年11月18日 21時26分20秒 | だいたい映画、ときどきテレビ
1982年の10月6日の水曜日に、よみうりテレビで『八甲田山』(1977)を見ていました。こんなことを書いています。

 この映画は大いに当たった(ヒットした)そうですね。それはなぜだかわかります。確かに野村芳太郎の力に依るところが大きい。(前年くらいに『砂の器』が大ヒットし、同じような演出があったので、そのように感じたのでしょう)

 監督は森谷司郎、脚本・橋本 忍、製作・野村芳太郎、そして、音楽は芥川也寸志でした。この音楽はこの2日ばかり気になっていましたが(番宣で何度か流れていたのでしょう)、さすがに映画の中で2時間以上聞かされると、マヒしてしまって、聞き初めほどの新鮮さはないけれど、耳に残る感じがありますね(そして、私は中古のレコード屋さんをはしごして、とうとうLPレコードを買ったのでした)。



 青森第五連隊と弘前第三一連隊に、日露戦争に備えて雪中行軍(せっちゅうこうぐん)をしてはどうかという指示が下る。青森の責任者は神田大尉(北大路欣也)、弘前の責任者は徳島大尉(高倉健)で、2人は行軍の準備で忙しいのだが、八甲田で会おうと誓い、そのことばはお互いの胸に深く刻まれていた。

 いよいよ出発という時点で、青森の部隊の規模は、210名の中隊が編成されてしまい、弘前の部隊は27名の少数で出発することになった。最初から2つのチームでは差ができていた。

 雪中行軍は、1月20日より2つの地点でそれぞれ始まる。弘前の高倉隊は順調に進んでいるように見える。一方の北大路隊は難渋している。命令系統が混乱し、責任者であるはずの北大路の上官の三国連太郎が勝手に指揮をとったり、大隊付きの監督たちも無言のまま圧力をかけ、北大路は焦り、道を見失ってしまう。もう初日にして目的地に到着できなかった。吹雪は激しい。隊員はさらに焦ったり、こごえたりする。泣く。わめく。倒れる。そして、死んでいく。さらに道に迷う。



 見ていてハッとしたのは、最後尾であるはずのソリが前進するのに苦しんでいる時に、後ろの方の森ではまだ道に迷ってうろうろしているヤツらがいた。このシーンは怖かった。どこを進んでいるのだか、わけのわからない死の行進といってしまえばそれまでだが、彼らには少しも死の影はないのだ。

 凍死していくので苦しみ、顔をゆがめることはない。ただ、白く力が抜けて、倒れるばかりである。みんな生きようとして進むのだが、それがいよいよ死期を深めるという悪循環、怖かった。ゾーツとした。(たくさんの集団が自ら知らぬ間に窮地へ落ち込んでいくパターンを見たような気がしたのでしょうね)

 加山雄三、緒形拳、下条アトム、みんな生きようとしている。けれども、みるみる死んでいく。感動の映画というより、たくさんの人間が冷たい大地で死ぬ姿を延々と見せつけられる映画だったのです。そうだとしたら、泣かない方がおかしいくらいの、確かに悲劇なのだ。



 映画のところどころで回想シーンとして、ねぶた、ねぷた、岩木山、緑の高原、少年、海、いろんな原風景が出てくる。ここが野村芳太郎なのだ。セリフがなく、ただ音楽と効果音だけが流れ、この原風景をたたえている。

  場面が変わって、人々の苦しい様子が映し出される。みなそれぞれが自分たちのふるさとのよき日々を持っていて、それを思い返している。死におよんでそんなことばかり思っている。みんながみんなそうだとは言わないが、確かに日本人ならやりそうなことだ。こういう日本情緒をボクは評価している。……62点


 という32年前の感想でした。えらそうな態度で書いています。すべてを知っているような口ぶりです。少しウンザリですね。そして、肝心の物語を語っていません。

 物語は、北大路さんの部隊が全滅し、高倉さんの部隊があちらこちらに変わり果てた姿となった人々を発見し、悲惨な結果となった雪中行軍は、歴史の彼方へ消えてしまっていた。それをわざわざ70年の後に掘り起こそうとしたのは何だったのでしょう。

 これはノスタルジーではなくて、日本的組織の危うさを、映画の中で際だたせる実験だったのかもしれません。大組織となると、さまざまな船頭がいて、船を転覆させかねないし、決して黙ってすべてを任せることはしないし、勝手な判断・勝手な行動で、大混乱してしまう。個々の人間には思いやりも、人情も、家族愛も携えているのに、それらすべては犠牲にされ、切り捨てられ、悲惨な結果を招いてしまうことを浮き立たせていたような気がする。

 何やら、そんな映画から37年が経とうとしていますし、高倉健さんが亡くなってしまい、もう、ストイックで、余分なものをそぎ落とし、黙々と冷静にものごとをなしとげていく人が、また1人いなくなってしまったようです。

 私たちは、そんなこととはつゆ知らず、大勢で集まり、勝手なことを口々に叫び、適当な判断で、みんながこれだという方向に何となくついていくということがありそうな気がします。もう私たちには、健さんも寅さんもそばにいてくれないのです。それぞれが勝手なことをしているうちに自分を見失って、見据えていた未来がゆがんでくるのがわからなくなっている。

 健さんや寅さんは、「何言ってやがんでぃ」と声をかけてくれたり、静かに私たちのめざす方向にいてくれる常夜灯だったのです。そういう人たちはもういなくなりました。私たちはやたら明るい野原を歩いていますが、明るすぎてそこに湿地があるのか、向こう側は深い谷なのか判断できなくなっているのかもしれません。


 みんなが凍えて死ぬかもしれないのに、みんな平気で前に進もうとしている。それは本当に前なのか、ただ道に迷って同じ所を何度もグルグルしているだけではないのか?

 解散が決まり、与党は選挙で勝つように動き、野党は結集するといいつつ、みんなバラバラで、国民はだれに投票すべきか、投票すべき人がいないので、結局選挙にも半数の人は行かず、それぞれにこりかたまってみんなの後をついていくだけではないのか。……ものすごく不安です。

 もう一度、『八甲田山』を見たら、何かヒントでも見つかるでしょうか。たぶん、私にはそれを見る余裕もないですね。ブログのしすぎかな……。



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