私は、80年代を過ごしたとき、だいたい20代でした。ということは、バブルの時代に、若かったんだから、青春を謳歌したのかというと、まるっきり反対で、社会から切り捨てられた存在としてしっかりいじけていました。自分なんか、全く世の中に受け入れてもらえない、どうしたらこの社会の中で生きていけばいいんだと、道に迷っていました。
80年代の初めは、彼女とつきあい始めたころで、調子に乗ってフワフワしていました。たまに二人で東京なんかに出て行き、デートなどをしたものでした。
文化系カップルの私たちは、デパートや美術館に出かけ、フムフムと言いながら、芸術作品なるものに向き合いました。どちらかというと、デートがメインで、芸術は二の次だから、あまり心動かされることはなくて、サラーッと見ているだけだったような気がします。
だから、上野にベラスケスを見に行くといったって、ベラスケスの何たるかを知らず、とりあえず行ってみただけで、そこから何を得ようか、どうしてベラスケスなのか、ということはありません。ただ物見高く、野次馬的に行ってみるだけでした。
そして、予想通り、折角見に行っても何も憶えていないのです。ただ見たというだけでした。
うすぐらい画面の中に、突然かわいらしい少女が、ものすごく立派な、小林幸子さんみたいな衣装の中に小さく人間が入っているような形で、作品は存在していました。
それもこれも、たまたまチラシを大事にとってたから、かすかに印象に残っているだけで、実際に目にしたときには、あまり何とも思わなかったような気がします。
でも、その後、何度かベラスケスさんの作品を見る機会があって、たぶん同じ人を描いているようだけど、昔見たのと少し違うなあ。昔見た作品の方がかわいらしかったような……、といういい加減な印象しかありませんでした。
それで、約40年くらい前に見たマルガリータ王女さん、ベラスケスさんは宮廷画家なので、何回も描いているというのを知りました。
女官たち、という作品では、王女様はみんなになんだかんだオモチャにされているみたいな、そんなおかしげな絵だってあるようでした。
それで、たぶん、ベラスケスのインパクトが弱かったせいか、もう少し何か見たいという気になったのか、西洋美術館にも入って、イタリア・ルネサンス展も見ちゃいました。
こちらもチラシは記憶にありますが、見た作品は何も憶えていません。イタリア好きの私なのに、当時は何とも思わなかったらしいです。ザンネンでした。
さて、ベラスケスさんは1599年生まれだそうです。私ぐらいの年齢でマルガリータ王女に出会い、ずっとその成長を描き続けましたが、王女様が十代になる頃には亡くなってしまいます。
王女様は、それから神聖ローマ帝国の王様と結婚し、6人のお子さんの母親となるそうですが、みんな若くして亡くなり、ちゃんと育ったお子さんは1人だけだったそうです。ご自身も21歳で亡くなってしまう。
あんなに可憐に描かれ、なんとも言えない賢さがあふれていた少女は、6人の出産で体が疲弊し、たったの21年の人生で終わってしまう。でも、彼女の若き日々は、ベラスケスによってほぼ半永久的に記録され、後々の人々である、遠い日本の私でさえ、彼女のことをしのぶことができる。やはり、絵の力というべきでしょうか。
そして、私が休みの昨日、回しっぱなしにしていたラヴェルのピアノ曲集で、特に気に入っているのが「亡き王女のパヴァーヌ」で、ふと気になって「亡き王女」ってだれ? とネットで見てみると、なんとマルカリータ王女様が、よく古典舞踊みたいなことをされていて、その時の舞踊曲のイメージで作ったのがこの曲というではありませんか! 私の古ぼけた人生の点が、40年ぶりに線になったというのか、細々とつながったというのか、何ともうれしい気分になりました。
王女様が亡くなったのが1673年で、それから200年後の1875年にラヴェルさんは生まれ、きっとベラスケスさんの作品を見たのか、だれかにスペインから神聖ローマ帝国に嫁いだお姫様の話を聞いたのか、とにかく何かに刺激されて曲を書いた。
そして、そこから100年後の私が、どういうわけか、ピアノ曲集を聞く年頃になって、何だかそれなりの気分に浸っている。私へのつながりなんかないのと同じだけど、何だか突然、うちの奥さんとつきあってた頃がよみがえるようで、私としてはうれしかったんです。
上野にはなかなか行けないけど、黒田清輝さんを見に行きたいくらいです。もちろん奥さんを連れて! でも、たぶん、お金もないし、奥さんは黒田清輝さんには心動かされないみたいだから、たぶん行かないでしょうね。ハイ、行かなくてもいいんです。昔、たくさん行ったんですから!
80年代の初めは、彼女とつきあい始めたころで、調子に乗ってフワフワしていました。たまに二人で東京なんかに出て行き、デートなどをしたものでした。
文化系カップルの私たちは、デパートや美術館に出かけ、フムフムと言いながら、芸術作品なるものに向き合いました。どちらかというと、デートがメインで、芸術は二の次だから、あまり心動かされることはなくて、サラーッと見ているだけだったような気がします。
だから、上野にベラスケスを見に行くといったって、ベラスケスの何たるかを知らず、とりあえず行ってみただけで、そこから何を得ようか、どうしてベラスケスなのか、ということはありません。ただ物見高く、野次馬的に行ってみるだけでした。
そして、予想通り、折角見に行っても何も憶えていないのです。ただ見たというだけでした。
うすぐらい画面の中に、突然かわいらしい少女が、ものすごく立派な、小林幸子さんみたいな衣装の中に小さく人間が入っているような形で、作品は存在していました。
それもこれも、たまたまチラシを大事にとってたから、かすかに印象に残っているだけで、実際に目にしたときには、あまり何とも思わなかったような気がします。
でも、その後、何度かベラスケスさんの作品を見る機会があって、たぶん同じ人を描いているようだけど、昔見たのと少し違うなあ。昔見た作品の方がかわいらしかったような……、といういい加減な印象しかありませんでした。
それで、約40年くらい前に見たマルガリータ王女さん、ベラスケスさんは宮廷画家なので、何回も描いているというのを知りました。
女官たち、という作品では、王女様はみんなになんだかんだオモチャにされているみたいな、そんなおかしげな絵だってあるようでした。
それで、たぶん、ベラスケスのインパクトが弱かったせいか、もう少し何か見たいという気になったのか、西洋美術館にも入って、イタリア・ルネサンス展も見ちゃいました。
こちらもチラシは記憶にありますが、見た作品は何も憶えていません。イタリア好きの私なのに、当時は何とも思わなかったらしいです。ザンネンでした。
さて、ベラスケスさんは1599年生まれだそうです。私ぐらいの年齢でマルガリータ王女に出会い、ずっとその成長を描き続けましたが、王女様が十代になる頃には亡くなってしまいます。
王女様は、それから神聖ローマ帝国の王様と結婚し、6人のお子さんの母親となるそうですが、みんな若くして亡くなり、ちゃんと育ったお子さんは1人だけだったそうです。ご自身も21歳で亡くなってしまう。
あんなに可憐に描かれ、なんとも言えない賢さがあふれていた少女は、6人の出産で体が疲弊し、たったの21年の人生で終わってしまう。でも、彼女の若き日々は、ベラスケスによってほぼ半永久的に記録され、後々の人々である、遠い日本の私でさえ、彼女のことをしのぶことができる。やはり、絵の力というべきでしょうか。
そして、私が休みの昨日、回しっぱなしにしていたラヴェルのピアノ曲集で、特に気に入っているのが「亡き王女のパヴァーヌ」で、ふと気になって「亡き王女」ってだれ? とネットで見てみると、なんとマルカリータ王女様が、よく古典舞踊みたいなことをされていて、その時の舞踊曲のイメージで作ったのがこの曲というではありませんか! 私の古ぼけた人生の点が、40年ぶりに線になったというのか、細々とつながったというのか、何ともうれしい気分になりました。
王女様が亡くなったのが1673年で、それから200年後の1875年にラヴェルさんは生まれ、きっとベラスケスさんの作品を見たのか、だれかにスペインから神聖ローマ帝国に嫁いだお姫様の話を聞いたのか、とにかく何かに刺激されて曲を書いた。
そして、そこから100年後の私が、どういうわけか、ピアノ曲集を聞く年頃になって、何だかそれなりの気分に浸っている。私へのつながりなんかないのと同じだけど、何だか突然、うちの奥さんとつきあってた頃がよみがえるようで、私としてはうれしかったんです。
上野にはなかなか行けないけど、黒田清輝さんを見に行きたいくらいです。もちろん奥さんを連れて! でも、たぶん、お金もないし、奥さんは黒田清輝さんには心動かされないみたいだから、たぶん行かないでしょうね。ハイ、行かなくてもいいんです。昔、たくさん行ったんですから!