昨日と今日、二夜続けてテレ東系列のバス旅番組を見ました。二日で八時間の枠があったけれど、かなり真剣に見てしまいました。千葉県の佐倉市あたりから青森県の竜飛岬まで800kmほどをバスでつなげるというものでした。いつも同じパターンなのに、いつもボンヤリと見てしまったりします。たぶん、若い人は見ないのだと思われます。ただバスに乗っているか、歩いているかのシーンしかないわけだから、ずっと同じだし、何が面白いの? と思うかもしれない。
私は、年寄りの部類だから、何も考えないで漫然とテレビを見てしまって、いつ着くのだろう。竜飛岬に夜に着くバスなんかないよ、とあきらめモードで、それでも見ていました。そうすると、JRの津軽線が不通のために代行バスが出ていて、それをたまたま利用できて、三厩(みんまや)駅までたどり着けて、さて、そのあとは20時だから、もう無理だろうと思っていたら、なんと奇跡の20時2分発のバスに乗れて、竜飛岬までたどり着くことができたようでした。少し感動的でしたが、若い人なら、なんだそれだけのことか、で終わってしまうだろうな。
確かにその通り、それだけのことだし、バスでつながったみたいでした。けれども、現在のところ、東北地方は鉄道が不通の区間がいくつかあって(この夏に大雨被害がありましたもんね)、その代行バスによって、それらも織り込み済みでたどり着けたようでした。ちゃんと計算された道の上を、出演者たちは綱渡りでつないで、竜飛岬まで到着できたようでした。秋田は本当にバスがつながりませんでしたし、雪道は大変そうでした。
感動してみてたんですね。さて、内藤濯(あろう)さんの本からの引用です。濯さんは、開成中学→一高→東京帝大という道を歩いてこられた方なんだから、優秀な方であるのはわかってるんですけど、こんなことがあったそうです。
私にとってはなんとしても忘れがたい中学時代の思い出がある。三年級の中ごろから、文学熱に取りつかれたことが禍いして、私はとかく数学をうとんじがちになった。したがってその報いは、容赦なくふりかかった。五年級の二学期のこと、宮本久太郎先生の数学試験問題四題のうち、一題だけはすらすらと解けたが、あとの三題には、なんとしても手がつかぬ。そのうちに時間ぎれになる。思いあきらめたあげく、きれいなマルを三つはっきり書いて、それをかまわず答案にした。
マル三つって、かわいらしいですね。私なら、ダルマさんを描いたり(絶対にしないな)、悔しいけど白紙のまま出したりしたと思われます。試験の裏にはトンチンカンの計算のようなことは書いたかもしれない。答えは絶対に出てこない迷路に入り込んでいたことでしょう。どうなりますか?
どうなることかとおどおどしていると、意外も意外、ぶざま極まる答案は、90点という勿体ない結果になった。奮起すべしという処置だと立ちどころに解釈した私は、教員室の先生の前に行って、だまって頭を下げた。
ひどくこたえた私は、昼となく夜となく不得意の数学と取り組んだ。とこうするうちに、いよいよその時が来て、宿望の一高に入学することができたのは、他でもない、宮本先生のいわは人間的採点が功を奏したのである。
私は昨日今日、かような先生がその跡を絶ったことを思うと、時代の退歩が一も二もなく恐ろしくなる。
と、濯さんは書いておられます。今は説明責任とか、納得のいく採点とか、すべての生徒に平等な評価を行うとか、時代が退歩したせいなのか、進歩ではないですね。客観的な、誰からもクレームのこない評価法みたいなのが求められているんだろうな。
マル三つが90点には絶対にならないですね。仕方ないのかな。違う視点はないのかなぁ。