甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ゴーヤ、シャケ、煮物、ゆでたまご

2024年09月01日 19時34分27秒 | 本読んであれこれ

 台風ははるばる熊野灘まで来て、その勢いを失いました。けれども、雨雲は刺激する力があるみたいで、今日も何度かケータイは注意勧告をしてくれました。今も警戒レベルは「3」なんだそうです。夜にも大雨は降るということでした。

 皇室のことを研究しておられる先生は、X(旧ツイッター)の中で、今度の台風の進路はたまたまではあるけれど、神武東征と似たようなコースになったと書いておられました。確かに、少しズレはあるけど、九州、四国、紀伊の国から太平洋まわりで北上することにしたようでした。

 そして、明日は日本海に抜けて行くんでしょうか。明日までずっと雨が降るようです。降る時は立て続けです。恐ろしい集中度です。昔習った温帯的なところをどんどんなくしていくんでしょう。名実ともにアジアの小国になっていくようです。


 この何日か、テレビはほとんど見ませんでした。動画も見ないし、パソコンは開いていたけれど、なかなか動かないからじっと開いてくれるまで本を読んだり、何だか落ち着いて物事に取り組んだということがありませんでした。

 中島らもさんの本を読んでいて、関西の沈没を予測している表現にぶつかりました。

 僕の予想では、ここ百年くらいの間に関西の料理の水準はどんどん落ちていき、逆に東京の料理は良くなっていくと思う。関西を駄目にしていくのは関西人が持っている偏執的な郷土愛が足を引っ張るためである。

 らもさんは料理の没落を言っているだけではあります。関西人は、いろんなこだわりで関東・東京へのコンプレックスを晴らそうとするけど、もっと自然になってほしいんだけど、無理なんだろうな。

 東京へ行けば関西風のうどんもお好み焼きも探せばいくらでもある。それはインドネシア料理やインカ料理があるのと同じようにある。膨大な吸収力で全てを混在させ、それらは街の中でゆすり続けられ、やがて淘汰されていく。この状況では料理はどんどん進化していく。

 かたや関西人は東京のうどんはいつまでもまっ黒なままだと信じて食べてみようとさえしない。そういう内閉した街では全ては衰退するのみである。伝統という言葉もいつかはアナクロニズム(時代錯誤)と同義語になる。こうした関西人の頑迷さと吸収のされ肩は、「世界の中の日本」の構図によく似ていると思う。〈中島らも『西方冗土』 1991より〉

 関西だけではなくて、そのまま日本というものが世界の中で意固地になっている間に取り残されてしまう。世界水準はとっくの昔に外れているようです。そして、せめて世界に合わせようという努力さえしなくて、自分たちはこれでいいんだ、なんて思わされている。

 そうなんです。私たちは外に目を向けることを忘れている。そして、よその国は遠く「あこがれ」るだけなのです。大谷くんの活躍に期待するだけなのです。大谷くんは戦っているのに、私たちは戦う気持ちも失っている。軍備だけは世界のトップ5ということですけど、どんなに立派な武器があっても、役に立たないかもしれないな。

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