大学の1年の頃、勉強はしない、レポートも書かない、女の子の近くに行きたいけど行けない。カッコイイ生活をしたいのに、それはもともとできない。クラブはずっとやらなかった人間でしたので、それもやってなかった。今から思うと、何だかもったいない生活を送っていました。
もっと何かに打ち込んだらよかったのに、打ち込む「何か」がわかりませんでした。とんでもない文系学生でした。
もっと日本各地を旅してみるとか、いろんな本を読むとか、ボランティアしてみるとか、自分の研究テーマを見つけるとか、アクティブなことをしてみたらよかったんだけど、今のまんま学生になったとしても、たぶん、私のことだから、同じようにダラけてしまうだろうな。
この前の連休とか、その前の自粛期間とか、振り返ってみたら、すぐにわかります。私の本質はとことんグータラです。何にもしなくて、それをむしろいいことだと思っているところがある。ゆったりとした生活とかなんとか口では言いますが、貧乏性でもあるので、何か焦るところもあるだろうな。その両輪で今も生きています。
学生になりたての頃、自らの本質が現れて、グータラな毎日を送っていました。とはいうものの、オタク系だから、クラシックで、ベートーヴェンは聞いていました。その頃のお気に入りは、第5番「運命」でした。少しだけそういうのを気取る部分もあったんです。グータラで気取り屋!
カール・ベームさんか、カラヤンさんかくらいしか知らなかった私が、少しずつ見聞を広めて、トスカニーニさんやフルトヴェングラーさんを聞くことができるようになりました。
でも、相変らずトスカニーニは音楽を聴いても、あまり何も感じられなくて、それよりフルトヴェングラーさんには肩入れしました。ナチスに協力していたということで戦後活動できなくなり、その彼がふたたびベルリン・フィルを指揮したライブ録音というのをFMで録音して(これを当時はエアチェックと呼んでいました)、そのテープは何度も聴きました。「運命」の数十分でひとりの世界に入れたんですね。
なかなか陶酔まではできなかったけれど、何かがあるような気がしました。今なら、何も感じられないと思います。ただ、音のうらに情熱を感じるのかな……。
下宿では、当時の学生たちはマージャンなるゲームをするのが通例でした。でも、人見知りで、少しオタク系を引きずってた私は、そんなありふれたゲームをしてみたいと思いませんでした。
ただ、下宿でお酒を飲む会が開かれそうになると、それには参加して、お酒の味を少しずつ覚えていきました。
ビールは苦かった。とても飲めないし、ただクーッとのどに入れていくことには慣れていきました。「おいしい」なんて、言えるようになったのはいつだったのかなあ。ずーっと「まずビール飲もう」なんて言えない人間でした。
日本酒は、熱くても冷やでも、あまりおいしいとも思えなくて、大人になるための苦行みたいなものだと割り切りました。そして、今も日本酒はなかなか飲まないのですが、今となっては、どれを飲んでもちっとも酔えなくて、「何だ、もっと酔える焼酎の方がいいなあ」なんて、日本酒の奥深さをわかっていない。
お酒は、酔うために飲むんですか?
違いますよね。お酒は、みんなと楽しく過ごすために飲むものであって、今みたいに、家に帰ればとにかくお酒と少しゴハンみたいな生活、あれは邪道です。もっと家族とでも仲良く飲めなきゃいけないのに、あんまりそういう時ってないから、ひとりで飲んで酔っ払うクセがついてしまったんでしょうね。
お酒は、みんなと楽しく過ごすためのものでした。
でも、ビールも、日本酒も、ウィスキーも、そんなにおいしいとは思えなかった。ただ、みんなで「さあ、飲もう。酔っぱらおう。ついでにつまんない話もしよう」という空気感、あれはとても楽しかった。
楽しいと思っているうちに飲みすぎて、何度も失敗しましたし、飲みすぎていいことはありませんでした。朝目覚めると、布団が砂まみれで、「どうしてこんなに汚れたまま寝ているの?」と怖くなったこともありました。
あとから、「陽気だったけど、ムチャクチャなことしてた」と、友だちに聞かされて、冷汗三斗になることもありました。
何をするのか分からない、お酒で何もかも解放されて、とんでもないことをしでかすのが私でした。これは一つの発見でしたか。いや、今さらながら、自分のダメさに向き合わねばならかったというところかな。
下宿の飲み会も楽しかったけれど、下宿の先輩は、各地に遠征して飲み歩いているし、折角なんだから、自分もそんなことをしてみようと、各地で飲み会があれば、ぜひ誘ってと、積極的に参加していく方だったと思います。
そう、狭い下宿に集まって、一晩ずっと歌い続けた宴会もありました。