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三月の五日、今でいうと四月の半ばくらいでしょうか。旅の初日は雨らしいです。それでも宣長さんは進むのでした。それが当たり前なんですもんね。
さて三渡(みわた)りより二里といふに。八太(はた)といふ駅(うまや)あり。八太川。これも板橋なり。雨なほやまずふる。かくてはよし野の花いかゞあらんと。ゆくゆく友どちいひかはして。
春雨にほさぬ袖(そで)よりこのたびはしをれむ花の色をこそ思へ。
田尻(たじり)村といふ所より。やうやう山路にかゝりて。谷戸大仰(たにどおおのき)などいふ里を過ぎゆく。こゝまで道すがら。ところどころ桜の花ざかりなり。立ちやすらひては見つゝゆく。
しばしとてたちとまりてもとまりにし友こひしのぶ花のこの本。
春雨にほさぬ袖(そで)よりこのたびはしをれむ花の色をこそ思へ。
田尻(たじり)村といふ所より。やうやう山路にかゝりて。谷戸大仰(たにどおおのき)などいふ里を過ぎゆく。こゝまで道すがら。ところどころ桜の花ざかりなり。立ちやすらひては見つゝゆく。
しばしとてたちとまりてもとまりにし友こひしのぶ花のこの本。
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松阪の参宮街道と初瀬街道との分岐点の三渡りというところから8キロ歩いて、八太(はた)という宿場町に到着しました。青山峠はまだまだ先にあります。
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そこに八太川が流れています。ついでにいうと、上流には八田城という山城があって、そこで北畠の軍勢は何万という織田軍と対峙したことがあります。いずれは織田にやられる運命にあったのかもしれませんが、抵抗して織田軍を苦しめたこともありました。八田・八太というのは、このあたりに多い名字になっています。伊賀地方には「治田」と書いて「はった・はた」と読ませる地域があって、語源はわかりませんけど、なんとなくつながっている感じはしますね。
海のつながりで、和歌山に勝浦・白浜があって、それが房総地方にもそのまま使われているように、ひょっとして伊豆にも、三浦半島にもあるのかもしれないけれど、つながっているところはつながっているのかもしれない。
八太川が流れていて、雨ばかりの天気で川の水も増水していて、これから先、吉野のサクラはどうなっているのか心配になっています。同行の人たちとも、それがつい話題になってしまうのです。
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春雨にいつも濡れてばかりの私たちだけれども、吉野のサクラを目的に旅立った私たちは、雨でしおれたり、散ったりするサクラのことが気になるのです。
そんな歌でも詠んでみました。やがて田尻という集落に出て、そこから山の中に入っていく雰囲気を感じた。見上げると、サクラが花盛りで、少し休んではサクラを見ている。
ほんのしばらくと思って立ち止まると、同様に止まった同行の人は、サクラの花から下から吉野のサクラを連想してしみじみしているようだ。
大(おお)のき川大きなる川なり。雲出(くもず)川のかはかみとぞいふ。此川のあなたも。なほ同じ里にて。家共立ちなみたり。さて川辺をのぼりゆくあたりのけしき。いとよし。大きなるいはほども。山にも道のほとりにも。川の中にもいとおほくて。所々に岩淵(いわぶち)などのあるを。見くだしたる。いとおそろし。かの吹黄刀自(ふきのとじ)がよめりし。波多(はた)の横山のいはほといふは。
【萬葉一に 川上のゆつ岩村にこけむさずつねにもがもなとこをとめにて】
此わたりならんと。あがた居のうしのいはれしは。げにさもあらんかし。鈴鹿にしも。かの跡とてあなるは。はやくいつはりなりけり。
【萬葉一に 川上のゆつ岩村にこけむさずつねにもがもなとこをとめにて】
此わたりならんと。あがた居のうしのいはれしは。げにさもあらんかし。鈴鹿にしも。かの跡とてあなるは。はやくいつはりなりけり。
大仰川(おおのきがわ)は大きな川でした。雲出川の上流部分にあたるらしい。この川の向こう側も同じ里で、家がいくつか立っている。川に沿って街道は続いていて、景色はなかなかステキです。特にゴツゴツとした岩がなんとも言えない味があるようです。道沿いにも、川の中にもところどころに岩が露出している。
川上の岩には苔むすことがないのです。まるで永遠にあるような乙女のような感じでツルツルっとしている感じです。
というふうに「万葉集」で歌われているのはこのあたりなのかもしれない。とだれかがおっしゃっていたのは、本当にそうかもしれない。鈴鹿の方にもこの歌のモデルとされるような土地があるようですが、それはまちがいではないかと思われます。
当時の先進地のこちらが歌に詠まれた可能性があるような気がします。
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此(この)わたりゆく程は。雨もやみぬ。小倭(おやまと)の二本木(にほんぎ)といふ宿にて。物などくひて。しばしやすむ。八太よりこゝ迄(まで)二里半なりとぞ。そこを過ぎて。垣内(かいと)といふ宿へ一里半。そのかいとをはなれて。阿保の山路にかゝるほど。又雨ふりいでて。いとわびし。をりしも鴬のなきけるをきゝて。
旅衣(たびごろも)たもととほりてうぐひすとわれこそながめ春雨のそら。
旅衣(たびごろも)たもととほりてうぐひすとわれこそながめ春雨のそら。
初瀬街道を進んで、山の中に入り込んでいくうちに、雨が止んだ。二本木という集落で休憩して食事をしたあと、気づいてみると八太から10キロ進んでいる。垣内(かいと)の宿場町まで6キロほどです。そこを抜けて峠越えにかかると、雨が降ってきて、わびしい気持ちになった。ウグイスも鳴き始めました。
旅の衣を通り過ぎてウグイスの鳴き声が聞こえてくるけれど、ぼんやり遠くを見つめてしまう春雨の空なのです。
そのような歌を詠んで、いよいよ青山越えになります。