西日が家の中まで入り込んでいました。こんなに家の中に光が差すのかと、少し怖い感じがしました。
何しろ、うちの中にあるいろんなモノたちは太陽が苦手です。子どもが生まれた時、何冊も大きな台紙のノリのついた紙にフィルムがついてたアルバム、ああいうのを喜んで次から次と増やしたものでしたが、すぐに勢いはなくなって、重いし場所を取るから、差し込み式のアルバムにしようと、こちらにシフトしてから、何冊かこの形で買い足していきましたが、それも次第に邪魔になって、とうとう写真はデータだけになってしまっていますけど、過去に差し込み式で買った何冊ものアルバムは、もうちぎれる、破ける、崩壊すると、悲惨な状況です。
時間の経過もありますが、太陽光線にはめっぽう弱いようです。
だから、光は家の中に入れたくないのです。実家の母は、窓という窓に黒い暗幕のようなカーテンを何重にもかけています。夏でも光をさえぎり、冬は冷蔵庫のような冷たさになりますし、うちの奥さんなんかは「お母さん(うちのオカンです)はドラキュラみたいに太陽を嫌ってる」といつも言いますが、まさにその通りでした。
うちの母は、太陽にはドラキュラとして立ち向かっています。
息子の私は、日に焼けるのも好きだし、夕日が落ちていくのも昔は好きでした。そんな生活をしていたある日、夕日で目が見えなくなるし、目の色が変わって来たようでした。このままでいくと、こんなに目が痛いのであれば、目の病気になるかもしれない、という恐怖に変わって来て、もう母と同じようなオッサンになりつつあります。
息子の私は、小ドラキュラになりつつある。
でも、家の中に入り込む光は、何だか不思議でした。
ひっちゃかめっちゃかのウチも、この光によって床が海に見えてきました。だったら、船を浮かべてみようと、写真を撮ったら、それらしい気分になれました。
違う日に、だったらいろんなビンとか、砥石とか、ありあわせのものでビルみたいなのを作って、そこにソフビの怪獣を置いてみよう、そんなつまらない遊びを始めました。
夕方に家にいることが多くなって来たようです。ヒマとしか言いようがないなあ。
それで、写真を撮ってみたら、ビンや砥石の文字が気に入らないし、それらしく見せるのなら、ビル群みたいなのを紙ででも作らねばならないと思いました。
遊ぶんなら面白く、リアルを追求するべきです。でも、それはどこまでやればいいんだろう。どこがゴールになるのか。
それとも、そんな遊びはやめるべきか。
つまらないこと書いてないで、本でも読みましょう。寒くなってきました。どんどん秋は深まるのに、私は何だか空っぽです。ふところもそうだけど、頭の中も空っぽで、気持ちもあまり動かない感じです。早く寝ようと思いました。失礼しました。