今私は、ちゃんとみんなの困った感じ・気持ちを受け止めているかなあ。それが不安です。でも、この不安こそが大切で、いつも不安を抱えながら生きていかなくてはと思ってるんです。
でも、たいていは何も考えないでボンヤリしていることが多いけど。もっと、うちの奥さんみたいに真剣に悩みたいんですけど、すぐ忘れてしまう。困ったことです。ニワトリの頭なんでしょうね。ハートがチキンなんじゃなくて、脳みそがチキンなんです。
みんなが同じ困った気持ちを共有できているなあとずっと思っていました。
よく見てみると、それは間違いでした。世の中には、平和でのん気な人がいて、オリンピックまであと二ヶ月と、できもしないことに突き進もうとしている人たちがいる。聖火リレーはまだ中止にならないで、持ち回りでやらされているようです。誰かが止めない限り、進められていきます。
緊急事態宣言というものが出ても、「仕方がないんだよ」と言い訳しつつ、出歩く人たち、若い人に多い気がする。確かにあなたは大丈夫かもしれない。でも、あなたが動き回ることでどれだけまわりに波風が立つのか、それを考えてもらいたい。人間の社会は動き回ることで成り立っているし、人間の本質はジタバタすることではあるのだけれど、今はたまたま二年ばかり大人しくしなくてはならない時節なんだけど、そういう理屈は通じないだろうな。
関西、首都圏、東海地区、北海道の札幌、九州北部、人がたくさんいる所でコロナが広がっています。
みんな同じ気持ちでコロナを抑えなきゃ! とみんなが思っていると、私は思ってたけど、みんながみんな同じ気持ちではないようです。たぶん、これからも「私は関係ない」とか、「私の地区は大丈夫」とか、「今のうちにこれだけはしておかなくては」とか、何人かの人は、誰がなんて言おうと、自分はこれだけはやっておきたい、そういう理屈で動いている人もいます。
そして、コロナは静かに進行し、ウイルスを広げたくないのに、知らない間にウイルスは移動してしまう。「大丈夫」「自分だけは」という理屈の人たちのはたらきによって、確実に進んでいくでしょう。
私たちって、基本は「自分だけは違う」「自分だけは許される」という自分に甘いところがありました。そして、よその大変さを知らないふりをするクセもありました。
沖縄は基地がたくさんあるせいで、人々の暮らしは大変だし、新しい基地を新設するということでキレイな海を埋め立ててしまうと聞いても、「普天間基地がなくなるのなら、地元の人にはいいじゃないの。海なんて、人が困るわけではないんだから、埋め立てても仕方がないさ」と平気でいられる。
島根県の竹島、隠岐諸島から少し行けば島はあるし、隠岐の人々がそこと関わりもあったという。でも、今は韓国の軍隊が進駐している。「漁場のこともあるけど、韓国みたいに必死にならなくていいや。特に困ったことはないさ。政府がちゃんと話をつけて来るだろう」程度の認識だったかな。
日本海側のあちらこちら、行方不明の人たちが続出していた。「日本海側で心中とか、怪事件が起きるもんなんだろう。それとも、何か理由があるんだろうか。よくわからないなあ」という時代がありました。三十年くらい前でしょうか。家族がいなくなったおうちは大変だったはずですが、それは仕方のないこととして私たちは知らんぷりをしていた。時にはヨーロッパで行方不明になった人もいたようですが、そんなのはたまにあること、事件でも巻き込まれたんだろう、くらいで忘れていた。
実はそれは、国家による組織的な誘拐でした。そういう事実がはっきりしてきても、何人かが連れ戻された後でも、その国からすべての被害者が帰って来ることはなく、待ち望む家族は待ちきれなくなっている。
そういうことに関して、私たちはどれくらい真剣になれたんでしょう。
もっともっと数え上げたらきりがないくらいに、私たちは世の中のいろんなことに無関心を装っています。
東日本大震災の時、日本の国全体が一つになれた気がしました。みんなが同じように悲しみ、そこから立ち上がろうとしたように思ったけれど、そうではなくて、すぐに線を引いて、私たちはあそことは違う、できたらあまり関わりたくないという見えないバリアができてしまったように思います。
私たちは、簡単にはわかり合えない生き物だし、すぐに「私はあいつらとは違う」と思いたがるものなのかもしれません。
そして、他人の苦しみは知らないふりで、自分のことを最優先する。そういう生き物なんでしょう。
でも、それではいけない、少しでも誰かのそばにいてあげなきゃ! 何かのお役に立てることしなきゃ! 自分にできることは何がある? と、考えることもできる。そして、思いついたら、なるべく早く行動しないといけないと思うんです。
もちろん、私はわがままで、自分のことしか考えないとんでもないヤツだけど、気づいたらすぐに行動したいとも思っています。
わかり合えないけれども、わかり合いたい。何だか矛盾してるけど、私の中ではその通りです。
雨が降る、梅雨に入ったかもしれない日曜日の朝、いろんなところの人とわかり合いたい気持ちは持っています。具体的な方法がないけど、いつも指くわえて見てることが多いけど、何かお役に立てること、考えていきたいです。
(いつも口だけの私ですけど、毎日の生活の中でも、みんなの日々がおもしろおかしくなるようにしたいなとは思ってます。家族にもそうしていきたいけど、どれくらいできてるんだろう)