フォースターというイギリスの作家さんがいて、その人の作品をもとにして1984年に巨匠D・リーンさんが監督した「インドへの道」というのがあります。遺作ということで、雰囲気もすごくいいし、昔の名作の雰囲気がプンプン匂ってました。新しい映画なのに、ちっとも新しい感じがしなかったような気がします。ロードショーの時点ですでに古典になっていたのかもしれない。
私は、よくはわからないけど気に入って、パンフも買って、ビデオも取って、DVDも買いました。でも、もう長い間見ていません。よかったというのは確かなのに、何がよかったのか、それが思い出せない。でも、よかったはずなんです。
こんな頼りにならないことを書いても仕方ないです。とにかく見なきゃ! そして、唐突にインドの人なんです。よくぞ犀星さん、こういう作品を残していましたね。ストレンジャーの気分を知っておられたんだ。エトランゼですね。
寂しき印度人
自分はよくその印度人を見た
ときには夜の街区の埃(ほこり)にまみれて
バナナを売ったり
たくみな日本語をつかったりしていた
自分はその容貌(ようぼう)の黒漆(こくしつ)な深みから
いつもまだ見ぬ国土の自然を考えた
熱帯の幽遠(ゆうえん)な気は自分をとらえた
さびしく豊富な樹木の世界が視野に広がった
自分は広小路のカフエエで
かれが晩などよく酒をのんでいるのを見た
女中などにしきりになぶりものにせられながら
他の酔った人々から
不愉快な目で眺めれながら
下卑(げび)た微笑をもらしながら
しきりに飲酒に耽(ふけ)っているのを見た
どういうわけか、上野の広小路でバナナ売りをしているアジア系の外国人がいたというのです。そして、その人は仕事が終わると、近所のカフェでお酒を飲んでいた。友だちはなく、みんなにからかわれながら、異国の地でしんみりと、時には快活にお酒を飲んでいた。
酔うとかれは橙色(だいだいいろ)の十円紙幣をとり出して
女中たちにひらひらさせて見せた
そして今から遊びにゆくのだと言い
あたたかい女にふれるのだと言い
嬉しそうに人々をばかにした調子で言った
女中たちはみな冷やかした
あるものはかれの肩を小衝いたりした
しかしそれは明らかに橙色の紙幣が
かれの手にひらひらした瞬間から
みんながすこしあて人間あつかいしたのだった
小バカにするアジア系の外国人、日本語も得意、他の日本人どもに負けないたくましさを持ち、日本で女遊びもできるのだ、お金も持っているのだと自慢している。10円紙幣って、今の一万円の感覚だろうか、もっとだろうか。
まわりの日本人は、このアジア系の男が、どういうわけで東京にいて、何を楽しみに過ごしているのかあまり興味はなくて、とりあえず本国では暮らしていけないから、日本へ流れてきて、これからどんな暮らしをするのか、とにかくインドはあまりに遠くて、自分たちの想像を超えていて、適当におもしろおかしく相手をするだけなのです。とりあえずこの男は日本語がしゃべれるので、ひとまず安心というところ、とにかくワルサだけはしないで欲しいし、大人しくしていれば問題ないと思っている。
自分はそのありさまを見ていて
どうしても自分たちとは通じかねるものが
かれとの間にはあるような気がした
かれはこの寒い日本に
しかも異国の人々のなかにあって
どれだけも寂しそうにしていなかったが
しかし時々
急に黙り込んでぼんやりしていた
ひどい罵(ののし)りの声をうけたときや
極端な大きな嘲笑をあびせかけられたときに
自分はかれが微笑うごとに
人のよいところと
非常に深いずるさとを見た
その人のよいところは豊饒(ほうじょう)な自然のなかに
ひととして育ったかれを見ることができた
人のわるいところは
みなこの日本に来てからのように思われた
それはあまりに日本人らしく
猿のようだったから
自分は夏の暑くるしい広小路の埃の中で
やなぎの並木のしたで
バナナを売っているかれを見るとき
かれが本当のことをしているように思われた
バナナを撰りわけたりする手捌(てさば)きは
かれの幼年時代のあるひと時を思わせた
いたいけな少年としてのかれが
あの熱帯の自然にしたしんでいたころを
私にしきりに連想させた
インドの人が身につけた悪さって、すべて日本で暮らしていると身についてしまうものだという。まさかそんなことはあるまいに、とは思うけど、確かに外国の人たちが日本人に向き合うと、彼ららしさが抑えられて、何とも言えないはにかみになってしまうのは、あれは日本人がそうさせてしまうんだろうなと思います。
外国の人たちも、そこを乗り越えて、もっと日本人を知って欲しいし、もっと外国人らしさをぶつけて欲しい。本当に根気の要る作業だとは思うのですが、ぜひやってほしいなあ。
私はかれの左の中指にはさまっている
めっきの指輪さえ
妙に寂しいものに見えた
沃土(よくど)の一片のような指の色に
こがね色をした金属の光さえ自然らしい
極めて調和のとれたもののように見えた
犀星さんは、この外国人に、寂しさは感じたけれど、でも自然に、本人らしく生きている姿を発見できたようです。それはよかった。
でも、今私たちのまわりに、さびしいフィリピン人・インドネシア人・タイ人・ペルー人・ブラジル人・中国人など、見ることもあって、ぜひこの人たちが、多少のつまらなさと、情けなさを感じながらも、この日本で生きていこうという気持ちになってもらえると、私はうれしいなと思います。決して、「国に帰れ」なんていう意地悪な気持ちはありません。
でも、疎外感を感じているんだろうなと思うのです。どうにかしてあげたいのだけれど、シリアの人も留学生として松阪市で受け入れてほしいんだけど、大学がないですね。三重大も規模が小さいし、つまらないと思うかも……。
外国の人が楽しいと思ってもらえる、暮らしやすい日本にしなきゃね。
私は、よくはわからないけど気に入って、パンフも買って、ビデオも取って、DVDも買いました。でも、もう長い間見ていません。よかったというのは確かなのに、何がよかったのか、それが思い出せない。でも、よかったはずなんです。
こんな頼りにならないことを書いても仕方ないです。とにかく見なきゃ! そして、唐突にインドの人なんです。よくぞ犀星さん、こういう作品を残していましたね。ストレンジャーの気分を知っておられたんだ。エトランゼですね。
寂しき印度人
自分はよくその印度人を見た
ときには夜の街区の埃(ほこり)にまみれて
バナナを売ったり
たくみな日本語をつかったりしていた
自分はその容貌(ようぼう)の黒漆(こくしつ)な深みから
いつもまだ見ぬ国土の自然を考えた
熱帯の幽遠(ゆうえん)な気は自分をとらえた
さびしく豊富な樹木の世界が視野に広がった
自分は広小路のカフエエで
かれが晩などよく酒をのんでいるのを見た
女中などにしきりになぶりものにせられながら
他の酔った人々から
不愉快な目で眺めれながら
下卑(げび)た微笑をもらしながら
しきりに飲酒に耽(ふけ)っているのを見た
どういうわけか、上野の広小路でバナナ売りをしているアジア系の外国人がいたというのです。そして、その人は仕事が終わると、近所のカフェでお酒を飲んでいた。友だちはなく、みんなにからかわれながら、異国の地でしんみりと、時には快活にお酒を飲んでいた。
酔うとかれは橙色(だいだいいろ)の十円紙幣をとり出して
女中たちにひらひらさせて見せた
そして今から遊びにゆくのだと言い
あたたかい女にふれるのだと言い
嬉しそうに人々をばかにした調子で言った
女中たちはみな冷やかした
あるものはかれの肩を小衝いたりした
しかしそれは明らかに橙色の紙幣が
かれの手にひらひらした瞬間から
みんながすこしあて人間あつかいしたのだった
小バカにするアジア系の外国人、日本語も得意、他の日本人どもに負けないたくましさを持ち、日本で女遊びもできるのだ、お金も持っているのだと自慢している。10円紙幣って、今の一万円の感覚だろうか、もっとだろうか。
まわりの日本人は、このアジア系の男が、どういうわけで東京にいて、何を楽しみに過ごしているのかあまり興味はなくて、とりあえず本国では暮らしていけないから、日本へ流れてきて、これからどんな暮らしをするのか、とにかくインドはあまりに遠くて、自分たちの想像を超えていて、適当におもしろおかしく相手をするだけなのです。とりあえずこの男は日本語がしゃべれるので、ひとまず安心というところ、とにかくワルサだけはしないで欲しいし、大人しくしていれば問題ないと思っている。
自分はそのありさまを見ていて
どうしても自分たちとは通じかねるものが
かれとの間にはあるような気がした
かれはこの寒い日本に
しかも異国の人々のなかにあって
どれだけも寂しそうにしていなかったが
しかし時々
急に黙り込んでぼんやりしていた
ひどい罵(ののし)りの声をうけたときや
極端な大きな嘲笑をあびせかけられたときに
自分はかれが微笑うごとに
人のよいところと
非常に深いずるさとを見た
その人のよいところは豊饒(ほうじょう)な自然のなかに
ひととして育ったかれを見ることができた
人のわるいところは
みなこの日本に来てからのように思われた
それはあまりに日本人らしく
猿のようだったから
自分は夏の暑くるしい広小路の埃の中で
やなぎの並木のしたで
バナナを売っているかれを見るとき
かれが本当のことをしているように思われた
バナナを撰りわけたりする手捌(てさば)きは
かれの幼年時代のあるひと時を思わせた
いたいけな少年としてのかれが
あの熱帯の自然にしたしんでいたころを
私にしきりに連想させた
インドの人が身につけた悪さって、すべて日本で暮らしていると身についてしまうものだという。まさかそんなことはあるまいに、とは思うけど、確かに外国の人たちが日本人に向き合うと、彼ららしさが抑えられて、何とも言えないはにかみになってしまうのは、あれは日本人がそうさせてしまうんだろうなと思います。
外国の人たちも、そこを乗り越えて、もっと日本人を知って欲しいし、もっと外国人らしさをぶつけて欲しい。本当に根気の要る作業だとは思うのですが、ぜひやってほしいなあ。
私はかれの左の中指にはさまっている
めっきの指輪さえ
妙に寂しいものに見えた
沃土(よくど)の一片のような指の色に
こがね色をした金属の光さえ自然らしい
極めて調和のとれたもののように見えた
犀星さんは、この外国人に、寂しさは感じたけれど、でも自然に、本人らしく生きている姿を発見できたようです。それはよかった。
でも、今私たちのまわりに、さびしいフィリピン人・インドネシア人・タイ人・ペルー人・ブラジル人・中国人など、見ることもあって、ぜひこの人たちが、多少のつまらなさと、情けなさを感じながらも、この日本で生きていこうという気持ちになってもらえると、私はうれしいなと思います。決して、「国に帰れ」なんていう意地悪な気持ちはありません。
でも、疎外感を感じているんだろうなと思うのです。どうにかしてあげたいのだけれど、シリアの人も留学生として松阪市で受け入れてほしいんだけど、大学がないですね。三重大も規模が小さいし、つまらないと思うかも……。
外国の人が楽しいと思ってもらえる、暮らしやすい日本にしなきゃね。