世の中は、コロナなんて怖くないから、勇気をもって経済活動しよう、どんどん今までの分を取り返そう、というような勢いで各地にみんなが繰り出しているようです。
それは、仕方のないことだと思います。でも、それでいいんだろうか。
いや、私なんかが世の中を論じることなんてできない、という気がしてきました。私はそんなに世の中に流されたくないと思ってるし(実はたくさん流されてたりするけど)、それは自分とは関係のないことだという風にしてきました。世の中の流れから外れて、ボンヤリみている私ですから。
これから、コロナの状況がどうなるのか、もう私は知らないふりをすることにします。ほんの少しだけ世の中に触れたとしても、すぐに家に引っ込んで、大人しくしていようと思います。
人生とは旅ではなかったのかい?
あれ、あなたはどなたです?
心の声だよ。
そうなんです。私は、いつもの毎日でさえ旅なのだ。日々旅だ。みたいな、芭蕉さん的世界観でやってきたつもりでしたが、ここへ来て、毎日が自粛で、毎日は決まりきった日々というふうに変わってきました。とても旅だ、といえる気分はありません。もうほとんどずっとグッタリしている。時々、きれいな夕焼けを見てホッとするくらいかな。
もうしばらく、どこにも世界への窓が開いてない感じがしていました。それに、今朝は朝から散歩して、すぐに疲れてしまって、もう眠くなってきたような、まだ朝の十時過ぎですけど(そして、恐ろしいことに少し朝寝しました)。
やれることだけを、体調に合わせてやっていくんだね。それでいいけれど、それでも旅はできるんじゃないかい。
はい、それはわかります。でも、旅をするんだという気力がなくなっているというのか、他者へ関わりたいという欲求・願望というのか、そういうのが弱くなってて、もうなるようにしかならないさ、みたいな投げやりな気分になってたりします。
そうだろう。それは他者と関わってないから、つまり、旅をしてないからなんだよ。少し無理をして旅なんかしたらどうなんだろう。君が言うように、日常生活のありきたりなところから、旅をしたらいいじゃないの。
ありきたりなところ、そういうところに、目も心も向いてなかったかもしれません。そんなのもう見飽きた。いつも同じことだと思ってしまってましたね。
どんなふうに日常を変えたらいいのやら。
それはもう、徹底的に日常に向き合えばいい。徹底的に目を背けているところに立ち向かわなくては!
ハイ、そうします。身のまわりの片付け、掃除、整理整頓。すべてやれていません。すべてホッタラカシてパソコンで遊んでたりしました。反省してやります。
と、朝書いて、今日は大谷くんのエンジェルス、阪神タイガースなど、野球をたくさん見てしまいました。夜にはサンパツしてもらおう。
どんどん秋は過ぎていきます。今も、朝と同じようにキンモクセイがどこからか匂っています。もうすぐ日が暮れます。昼間はとても暑かったし、日差しは強かったです。