近ごろは何だか仕事の夢を見ることが多いような気がします。特に気になることはないんですけど、目覚める前というのが、もう現実生活への助走みたいになっています。あんまりいいことではないな、もっと荒唐無稽な夢を見たいです!
夢は起きたらすぐに忘れています。イヤな夢ではない感じです。それなりに何かをしようとアクセクしている感じの私が見えてきます。そりゃ、現実に即した夢ですから、今関りのある人たちが出てくるんでしょう。でも、起きたらその瞬間に忘れてしまうので、夢なのか、現実なのか、わからなくなってしまいそうです。
でもまあ、現実の私は、だいたい想像できるし、特に大したことをしているわけではなくて、目の前のことをしているだけです。もっと大きな戦略みたいなのがあればいいけど、何もなくて、リスみたいに身に降りかかる危険を避け、食べたいものを集めしています。でも、リスさんはちゃんと世の中の役に立ってるけど、私はどうなんだろう。何かの役には立っていますか?
目覚めたら、お仕事があって、それでゴハンを食べたら仕事に行って、帰ったらネットして、変な夢を見て……、毎日あまり変化のない日々です。
せめて夢くらい、突飛な感じのものであったらいいのに、夢の中まで仕事に占領されてしまったら、何だかつまらない。
かといって、知らないところの夢は見られないだろうし、夢は普段の生活の裏返しということなんでしょう。だから、せいぜい現実を反映したそれらしい何かを見ているんでしょう。夢の中でもボケていて、ああ、これができないとガバッと起きることがあるので、そういうストレスというのか、不安は持っているみたいです。私はできないことがたくさんあるショボクレ系のオッサンですからね。
知らない間に、10月になりました。10月が来るとは知ってたけれど、昨日からそうだったなんて、実感はないけど、みんながそう思ってるから、たぶんそうなんでしょう。
時間の過ぎていくのを嘆いても何にもなりません。時間なんてそんなものです。あれ、もうこんな時間なのか、ということは何万年も昔から人間たちが感じてきたことなんでしょう。人間たちに与えられた時間は、そんなにたくさんはありません。でも、他の生き物たちよりはたくさん時間を与えられています。そちらを感謝しなくてはいけませんね。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身一つはもとの身にして
1100年前に在原業平さんは詠んでいました。若い業平さんは、こんなにスラッと時の流れを詠んでいました。
月とは、遠くに行ってしまう彼女になりますね。春は彼女との楽しい日々なのかな。そんなに仲良く過ごせた彼女なのに、時は過ぎてしまい彼女は違う世界に行くことになった。自分は変わらない、昔のままの自分であると。
実は、我が身も知らない間に少しずつ崩壊していくのだけれど、若い業平さんは、そんなことは書きません。若い彼は、彼女を失うことになって、どん底に突き落とされて、業平さんは過去の楽しかった日々を思い出してみた。自らは、永遠に彼女のことを思い続けるぞと宣言した、そういう感じ。
その気持ちは大事です。でも、人間の言う「永遠」は「一瞬」という意味です。重々しく言ったとしても、気持ちは永遠であったとしても、現実はすぐに変化していきます。それでいいんです。そんなものなのかも。
月は、わりとずっと変わらない姿を日々変化しつつ私たちに見せてくれます。そう、ずっと同じというのは、多少の変化をしてもいいから、そこにあるということです。どこか見えないところに行ってしまったら、それは永遠ではなくなってしまう。
どれだけずっとそばにいられるのか、それこそ試されています。私は、いろんな人のそばに行きたいけど、とりあえず今いる所でもがいています。だから、時々電話したり、メールしたりしなくちゃ!