(新しいカメラなのに、この百日紅の写真、イマイチでした。もっと余裕のある時に撮っておけばよかった。チャンスはあったんですけど、それを逃してたんですね)
夏の終わりに、若い方が始めた私設図書館の「ルチャ・リブロ」というところに行かせてもらいました。
青木真兵さんと青木海青子さんというご夫婦が始めた図書館です(ツイッターとか、インスタとかもされてるみたいで、私もちゃっかりフォロワーになっています)。
場所は奈良県の東吉野村にあります。三重県から和歌山に向かうには、昔は和歌山街道というのがあって、伊勢と大和を隔てる高見山というところ(この文字は懐かしいですね。今は親方で土俵のそばで審判員として控えている高見盛でさえ懐かしいんだから! 人の時間というのはどんどん過ぎていきますね。でも、高見山という存在そのものはずっと変わらずにこれからもあるでしょう)、それを越えるには昔は峠で、今はトンネルですけど、三重県からR166を西側に出たら、そこは奈良県の東吉野村でした。
道では、バイクのおじさんたちがみんな楽しそうに走っておられたりします(そりゃ、平日でもオッサンはガンガン行かなきゃね!)。あの集団は、楽しそうだし、一人でも楽しいだろうな。……そうでした。私のお友だちも、バイクでこの峠に来られたりするんですもんね。少し山の中という感じがありますね。
和歌山街道は、紀伊水道沿いの和歌山という街まで行かなくちゃいけないから、吉野川、紀伊の国に入ったら紀ノ川沿いに通っていきます。ちょうど中央構造線の南側をたどる道になります。
東吉野村の中では、榛原、桜井まで出る道と吉野街道は分岐します。その分岐点を鷲家というみたいで、何と読めばいいのか、わしいえ? わしや? わしか? というんで、バス停の表示では「わしか」と読むみたいで、由緒のある名前のようでした。ここらにルチャ・リブロさんはあるようでした。
川があります。標高が高いから、このまま吉野川まで流れていくのだと思われます。その川沿いに道もできて、道から川をまたいだら、ルチャさんがあるようでした。
(サルスベリは、ルチャさんまで歩く道に三本くらい生えていて、きれいだったのに、写真は夕方まで撮らなかったんです。今だ、という時に写真は撮らなくちゃいけなくて、その今だ、と思ったからといって、いいものが撮れるわけはないけど、自分では納得して撮れたりするんです。だから、与えられたチャンスって、とにかく大事にしたいです。ダメな写真であっても、納得しながら撮らなきゃね!)
お二人の著作の『彼岸の図書館』という名前の通り、ルチャさんは彼方の岸にあります。そこにいくには、天誅組の顕彰碑ののぼりの上がった橋を渡り、林の中の道をたどり、やっと着くことができます。三重県からだと二時間以上はかかるでしょうか。でも、行くのだという意志さえあれば、二時間なんて、まるで平気です! やっと私はたどり着いた。
今まで、ネットやら、本やら、人のうわさやら、何となくモヤモヤとしていたイメージのところは、ここにありました。ネコさんだっていました。七歳のメスネコで、「かぼす」ちゃんという名前だそうでした。私には微笑んでくれなくて、背中だけしか撮れなかった。やはり、私はネコには人気がないらしい……。
目の前にあるものは、ふれたり、話しかけたり、自ら切り開いていかなくてはいけません。ネコさんにも声をかけたかったのに、とうとうネコさんは私なんて相手にしなくて、他の皆さんと触れ合っていた。
私は、リアルなものへの働きかけが足りなかったみたい。ただ、そこにあるんだなあ。ネコだなあ。本がたくさんあるなあ。古民家を改装したんだなあ。こうしたところで生活するって、どんなだろう。地元の人は、ここの図書館利用しているの?
漠然とした疑問しか浮かんできませんでした。同行した人たちが、あれこれと質問し、ご夫婦もあれこれとお話してくれて、少しだけこの図書館がどんなふうにできて、地元ではどんなふうに利用されているのか、わかってきたような気がしました。
そう、ここに来る前、お昼を食べたんですけど、唯一のレストランは、コース料理も食べられる本格的なお店なんですけど、お昼のお客さんはコテコテの地元の方や、ここでお仕事の途中で寄った方、お葬式帰りの人など、地元の雰囲気が一杯でした。
そこへ場違いな私たちが入っていき、地元の方たちも、「ああ、あそこを訪ねてきたんだろうな」という感じが出ていました。少しずつ地域の風景に馴染んでいるところなんでしょうか。
ここは図書館だから、本を借りるには図書カードが必要になりますし、私も借りたい気持ちもあったのだけれど、また来れるかどうか、自信がなくて、見させてもらうだけ、お話を聞かせてもらうだけでした。
聞かせてもらった感じでは、ここにこうした施設ができたこと、地元の人はよくわからないけど、とにかく感心して、興味を持ってくれて、温かく迎え入れようとしている。お二人は、ずっとここに縛られるのではなくて、時々は町に出て、お話を語ったり、いかにして山間のこの場所を生かしていくか、その他のお仕事もして、地域の人たちは草刈りやら、看板作ってくれたり、本を借りに来てくれたり、自分ちで取れたものを持ってきてくれたりしながら、支えてくれているようでした。
みんなで新しい空間を作っていく、そういう実験なのだ、ということでした。それがどんなふうになっていくのか、ネット見たり、時には和歌山街道をたどったりしながら、気にしていこうと思います。
奥さんに頼まれた本があったんですけど、それは買ってこなかった。また、うちの奥さんとドライブした時に買えたらいいかな。
R166を走る楽しみができました。奈良県に出たら、知ってる人がとりあえずいて、仲良くさせてもらえるように、自分ももっと何度も行けたらいいのにね。冬は道が凍結してそうで、秋までがチャンスかなあ。