顔回さんって、どんな人だったんでしょう。
日本でドラマを作るとしたら、顔回さんは西島秀俊さんなんでしょうか。若くして亡くなってしまうのがザンネンです。それが人生というものかもしれないけれど、とにかく、孔子さんたちの弟子仲間の中では、それはもうナンバーワンの存在でした。
顔回さんは、他のお弟子さんと一緒に群れるということがあったんでしょうか。あまり一緒の場面を読んだことがないので、たいていは1人で勉強していて、時々みんなと顔を合わせる場面もあるけど、あまり言葉も交わさず、何かについて考えている。
時々は先生に質問もするのですが、それを聞いているお弟子さんたちには、何のことだかチンプンカンプンなのです。
「あれ、この人、私たちの仲間のはずだけど、どうしてこんなにわからないことばをしゃべるの? ぜんぜん意味がわからない。先生は、顔回さんと短いことばのやりとりですべてがわかるみたいだけど、どうして会話が成立するのか、私たちには意味不明だ。
第一、顔回さんって、何について考えているんだよ。私たちは、やがて政治家になるために修行しているつもりだけど、顔回さんって、政治家になる気はあるの? 興味ないんじゃないの?」
他の弟子たちは思っていたことでしょう。お金持ちの子貢さん、やんちゃの子路さんたちも、顔回さんとからんだりしないです。一目置いていて、顔回さんに関してはノーコメントで、独立独歩、あまり干渉せずという関係だったのかもしれません。
さて、お言葉です。
20【一を聞いて( )を知る】……物事の一部分を聞いただけで全部を理解する。→若くして亡くなった高弟・顔回(がんかい)を評した言葉。〈公冶長〉
先生が子貢(しこう)さんに問いかけをなさいます。「おまえと顔回とでは、どっちがすぐれているだろうね?」
弟子としては、少しドキッとする質問です。あれこれ述べて、自分はこの子とは、こういうところが違いますとかなんとか、負けるところはあるかもしれないけど、それなりに自己主張したいところです。
子貢さんは答えます。「私など、どうして顔回を望むことができましょう。顔回は一を聞いたら……を知る人です。私などは一を聞いて二を知るレベルの人間です。とても顔回にはおよびません。」
子貢さんは出しゃばりの人ではないし、わりと冷静にみんなを見ることのできる人だったんでしょうか。その子貢さんが顔回さんについてコメントしているなんて、なんだか新鮮な感じです。
先生はおっしゃいます。「顔回にはおよばないね。私もおまえと同じく及ばないのだよ。」
それくらい、顔回さんが優秀であったということもあるでしょう。いろんなことを考えていた。一つの事柄でいろんなことに考えがつながる人であった。ああしたい、こうしたい。あれこれと発想のわき出る人で、長生きしたら社会に貢献できたかもしれない。
でも、残念ながら若くして亡くなってしまいます。でも、「論語」の中で生きておられるので、2500年後の私としては、その人柄をしのぶくらいしかできないけど、何だかステキな方です。私たちのあこがれですね、顔回さんは!
ある時、顔回さんが先生に「仁」の行い方を訊ねたそうです。
すると、先生はおっしゃいます。「礼にあらざれば見ることなかれ。礼にあらざれば聞くことなかれ。礼にあらざれば言うことなかれ。礼にあらざれば動くことなかれ。」だよと。
意味としては、「礼にはずれたことは見ない。礼にはずれたことは聞かない。礼にはずれたことは言わない。礼にはずれたことはしない。」というところです。
さて、顔回さんは、「私はおろかでございますが、このお言葉を実行させていただきます。」と答えます。
それができる人だったんですね。私なら、「先生、どうしたら、礼にはずれたことを判断できるでしょうか? 私はその判断にいちいち迷ってしまいます。」と質問してしまいそうです。
先生は、「まあキミ、せいぜい私たちのしていることをちゃんと見ていなさい。」と言ってくださるかどうか。ただ、笑ってあちらに行かれるかもしれません。まだまだ先生に「仁」を問える立場にないかもしれない。たぶん、質問できるような突きつめたところまで達してないです。
ことばにすればカンタンな「仁 思いやり」。私たちは、人のことを考えて行動すればいいのだ、と頭では理解できます。ても、たいていは自分のことを考え、自分の都合いいように動いてしまう。
それを上手にコントロールできる人になる。これはカンタンなことではありません。
たぶん、私にはもう無理かもしれない。コテコテの自己中心主義のような気がします。それに「理解はできるけど、だれもそんなことしていないじゃないですか!」とか、わけのわからん不平を鳴らすのが関の山です。ああ。
反省しても仕方がないので、せいぜい顔回さんにおよばないけれど、近づく努力はしようと思います。
答え 20・十 でした。ものすごく有名なことばですね。子貢さんのことばでした。
日本でドラマを作るとしたら、顔回さんは西島秀俊さんなんでしょうか。若くして亡くなってしまうのがザンネンです。それが人生というものかもしれないけれど、とにかく、孔子さんたちの弟子仲間の中では、それはもうナンバーワンの存在でした。
顔回さんは、他のお弟子さんと一緒に群れるということがあったんでしょうか。あまり一緒の場面を読んだことがないので、たいていは1人で勉強していて、時々みんなと顔を合わせる場面もあるけど、あまり言葉も交わさず、何かについて考えている。
時々は先生に質問もするのですが、それを聞いているお弟子さんたちには、何のことだかチンプンカンプンなのです。
「あれ、この人、私たちの仲間のはずだけど、どうしてこんなにわからないことばをしゃべるの? ぜんぜん意味がわからない。先生は、顔回さんと短いことばのやりとりですべてがわかるみたいだけど、どうして会話が成立するのか、私たちには意味不明だ。
第一、顔回さんって、何について考えているんだよ。私たちは、やがて政治家になるために修行しているつもりだけど、顔回さんって、政治家になる気はあるの? 興味ないんじゃないの?」
他の弟子たちは思っていたことでしょう。お金持ちの子貢さん、やんちゃの子路さんたちも、顔回さんとからんだりしないです。一目置いていて、顔回さんに関してはノーコメントで、独立独歩、あまり干渉せずという関係だったのかもしれません。
さて、お言葉です。
20【一を聞いて( )を知る】……物事の一部分を聞いただけで全部を理解する。→若くして亡くなった高弟・顔回(がんかい)を評した言葉。〈公冶長〉
先生が子貢(しこう)さんに問いかけをなさいます。「おまえと顔回とでは、どっちがすぐれているだろうね?」
弟子としては、少しドキッとする質問です。あれこれ述べて、自分はこの子とは、こういうところが違いますとかなんとか、負けるところはあるかもしれないけど、それなりに自己主張したいところです。
子貢さんは答えます。「私など、どうして顔回を望むことができましょう。顔回は一を聞いたら……を知る人です。私などは一を聞いて二を知るレベルの人間です。とても顔回にはおよびません。」
子貢さんは出しゃばりの人ではないし、わりと冷静にみんなを見ることのできる人だったんでしょうか。その子貢さんが顔回さんについてコメントしているなんて、なんだか新鮮な感じです。
先生はおっしゃいます。「顔回にはおよばないね。私もおまえと同じく及ばないのだよ。」
それくらい、顔回さんが優秀であったということもあるでしょう。いろんなことを考えていた。一つの事柄でいろんなことに考えがつながる人であった。ああしたい、こうしたい。あれこれと発想のわき出る人で、長生きしたら社会に貢献できたかもしれない。
でも、残念ながら若くして亡くなってしまいます。でも、「論語」の中で生きておられるので、2500年後の私としては、その人柄をしのぶくらいしかできないけど、何だかステキな方です。私たちのあこがれですね、顔回さんは!
ある時、顔回さんが先生に「仁」の行い方を訊ねたそうです。
すると、先生はおっしゃいます。「礼にあらざれば見ることなかれ。礼にあらざれば聞くことなかれ。礼にあらざれば言うことなかれ。礼にあらざれば動くことなかれ。」だよと。
意味としては、「礼にはずれたことは見ない。礼にはずれたことは聞かない。礼にはずれたことは言わない。礼にはずれたことはしない。」というところです。
さて、顔回さんは、「私はおろかでございますが、このお言葉を実行させていただきます。」と答えます。
それができる人だったんですね。私なら、「先生、どうしたら、礼にはずれたことを判断できるでしょうか? 私はその判断にいちいち迷ってしまいます。」と質問してしまいそうです。
先生は、「まあキミ、せいぜい私たちのしていることをちゃんと見ていなさい。」と言ってくださるかどうか。ただ、笑ってあちらに行かれるかもしれません。まだまだ先生に「仁」を問える立場にないかもしれない。たぶん、質問できるような突きつめたところまで達してないです。
ことばにすればカンタンな「仁 思いやり」。私たちは、人のことを考えて行動すればいいのだ、と頭では理解できます。ても、たいていは自分のことを考え、自分の都合いいように動いてしまう。
それを上手にコントロールできる人になる。これはカンタンなことではありません。
たぶん、私にはもう無理かもしれない。コテコテの自己中心主義のような気がします。それに「理解はできるけど、だれもそんなことしていないじゃないですか!」とか、わけのわからん不平を鳴らすのが関の山です。ああ。
反省しても仕方がないので、せいぜい顔回さんにおよばないけれど、近づく努力はしようと思います。
答え 20・十 でした。ものすごく有名なことばですね。子貢さんのことばでした。