夜、パソコンを開いてみたら、一太郎にリクエストしてみて! というメールがありました。それ、ジャストシステムにさんざ文句を書いてやろうと、そのページを開いてみたら、IDを書きなさいとのことで、箱を見たらわかるのかもしれないけれど、手帳にあるだろうと2008年手帳を取り出そうとしました。
私の一太郎は2008年版でした。
1984年くらいから手帳を使うようになって、おごそかに年代順に並んでいる私の手帳たち。一度、2004年版をタクシーに忘れてしまったときがありましたが、あの時だってタクシー会社に連絡して、手帳は戻ってきたんですけど、今見たら、2008年手帳はなかった。
B5版のノートの文字を書かなくなったのは、20世紀の終わりころで、それまでは本当につまらないことをすべてノートに書いていたのに、世紀末から新世紀にかけて、ノートを使わなくなりました。
だから、手帳に記録は書いておき、それ以外はパソコンなどに打ち込むようになりました。それまではNECの文豪ミニだったけれど、いやいやパソコンにして、いやいや一太郎ユーザーになりました。
日記やメモなので、すぐにどこかへ行ったり、とりあえずアイデアを寝かしておくには、それなりに役に立つ道具になりました。いろんな人の文章も、打ち込んでしまえば自分のものにしてしまえる、わりと便利なものになりました。
そんなこんなで日記代わりに、1日の帰宅時間とか、天気だけをメモするために手帳を使いました。たまにどこかへ行ったら、行先を書いておいたりしたはずです。
2008年の正月には、鹿児島に行き、帰る時、最後の寝台特急となるあかつきに乗るため、長崎まで出て、そこから京都まで行き、ついでに上賀茂神社に初めて行き、すぐきを買い、三重県に帰りました。
ほかには、2008年は何があったのか?
すべてはわからなくなりました。写真のデータはあります。でも、それ以外のことがわからない。どうせ、たいしたことはしていないし、それなりに自分としては何かをしていたはずだけど、何をどこでどんなふうにしていたのか、もうわからなくなりました。
そんなことなんて、どうでもいいや、という気にもなりますが、私の一年がどこかへ消えてしまったみたいで、とても悲しい。
部屋の片づけをしたら、どこかから出てくるかもしれないけど、この欠落感は消えないです。
まあいいやとは言えないです。ただの記録がないだけで、そんなにガックリすることはないだろうとは思うけど、私は、ミミッチイ人間なので、気になります。
ああ、2008年、何があったんだろう。