甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

武蔵の海原は私たちにも続いている

2020年02月05日 20時49分50秒 | 海と水辺と船と

 昨日、家に帰ってきて、どういうわけか、BSで戦艦武蔵を見ていました。まだ夕ごはんができてなくて、奥さんが忙しいほんの少しの間だけ見させてもらいました。彼女が食卓にやってきたら、「ごはん時にそういうのはできれば見たくない」と言うだろうし、ほんの少ししか見られません。

 それで、フィリピンの海の中に眠る戦艦武蔵の映像を見ながら、各界の専門家や実際の乗組員の方や、攻撃にあたった米軍のパイロットのみなさんの証言など、いかにして武蔵沈んでいったのか、を振り返っていたようです。

 分厚い鋼板で中心部は作られていました。当時の日本の造船技術の粋を集めたものだったと思われます。火器も当時の最高のもので、この大砲の射程内に入ったら、米軍の戦艦たちもおびえたことでしょう。

 でも、奇しくも日本軍がアメリカとの戦い(真珠湾攻撃)の最初で示したように、戦争は空からの攻撃がメインになっていました。巨大戦艦よりも巨大空母が必要だし、艦隊は航空機に守られてこそその使命を果たせますが、戦艦の一つや二つではどうにもならなかったのです。

 なのに、ミッドウェー海戦でも敗れ、フィリピンのレイテ沖海戦でも敗れるべくして敗れたのです。巨大戦艦の大和と武蔵は丸裸でやって来ていて、航空機はまわりにいなかった。大砲はあるけれど、航空機への防御には関心がなかった巨大戦艦は、低空飛行で魚雷を至近距離で発射する航空機の波状攻撃に大破し、沈没してしまいます。一緒にいた日本のツートップの大和は、武蔵の無残を見て日本に逃げ帰ったのでしょうか。やがては大和も同じように沈没するものだと思われたことでしょう。すべてが負けるための戦争でした。

 そういうのを見て、これらは今後も語られることなんだろうかと不安になりました。戦艦武蔵というのは、キャラとして、「カッコイイ」と語られ、多くの戦艦ファンのみなさんに語り継がれることでしょう。キャラとしては、もう二度と日本の海に現れるものではないので、幻を語る人々によって、細々とイメージされていく。CGやら、模型やら、いろんな方法を使って、魅力的に語られていくでしょう。

 でも、番組でもずっと思っていたのは、どんなに魅力的なキャラがあったとしても、それを運営する側は、それを有効に使えるのか、そもそも戦争なんて魅力的なキャラ一つで戦うものではなくて、すべてが物量と政治と犠牲と無駄と、いろんな要素が組み合わされて行われるものでした。

 そんなに大事なツートップであれば、海戦においてどれほど航空機が必要なのか、日本の軍組織も知っていたと思われます。でも、それを用意できないことも理解していた。となると、降伏するか、延期させるか、とにかく真正面から戦わず、ゲリラ的に立ち向かうしかないはずなのに、大和と武蔵だけを戦地に向かわせた。

 もう作戦そのものが破綻していて、負けるための戦いをあえてやろうとしていたとしか思えませんでした。それをしなければならない軍部って、組織としてもう終わってたなと思うのです。そういう組織に命令されて戦地に行かされていた人々って、もう暗澹たる気持ちしかありません。みんな絶望しながら戦っていたでしょう。

 自分たちに戦争を止める力はなかった。歯車として動かざるを得ない。作戦は絶望的で、限りなく無意味な戦いになっている。素人でもわかるそうい理屈を無視して、とりあえず上層部の出す命令に従う。



 これから、そんなことは起こりうるのか、私は絶対にそんなことは起きない、とは言えないのです。無理を承知で無茶な作戦に載せられること、これからどこかで、あるような気もするのです。

 だから、「王様は裸だ」「私たちは無意味だ」「ねえ、みんな、こんなのやめよう」と言える社会をキープしていきたいのです。

 武蔵の教訓を、語り継いでいきたいと思うのです。私は、戦艦とか、全く魅力は感じませんでした。客船が好きだなあ。横浜沖で、今大変な客船があるみたいだけど。



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