
このあいだ奈良国立博物館で、リニューアルされた仏像館を見てきました。そこにはいくつも気になる仏さまがありましたが、一番気になったのは、薬師寺にあったという数メートルくらいの、お顔が欠けてしまった、手先もなくなっておられるザンネンな仏さまでした。
今まで、いくつかそういう仏さまを見ては来ました。その度に、「ああ、壊れてしまったんだな」と、それなりに古いモノだから仕方がないという気持ちで見ていたのかもしれません。
でも、実はそうではなくて、過去から現在に至るまで、何度も何度も仏さまは、焼かれたり砕かれたり、建物と一緒になくなったり、被害を受けてきたのだとその時気づきました。
私の目の前の仏さまは、そうした時代を過ごしていくなかで、何度かケガをされて、ボロボロになった姿で、何も言わないで静かにたたずんでおられるようでした。たまたま仏さまのことを少しだけオモンパカることができた。それはもうたくさんの仏さまを見た後ですから、ズタズタの仏さまに寄せる気持ちが強くなっていたようです。

仏さまを作るのも人間なら、仏さまを壊すのも人間でした。これは、仏教が日本に来たときからずっとそうでした。蘇我氏は積極的にお寺を造ろうとしました。別に仏教に帰依したわけではなくて、権力闘争として、その材料に仏教を使おうとしただけでした。
反対側の物部氏も、仏像などになんの思い入れもなく、蘇我氏が導入したものをたたきこわそうとしたでしょう。そこに仏さまを思う気持ちは全くなくて、ただのモノでしかありませんので、平気でたたき壊せたでしょう。いやむしろ自然の樹木なんかよりも簡単に壊せたことでしょう。
仏教導入から、様々な盛衰があって、仏教は日本に浸透していきました。仏教導入から数百年後の平安末期の源平の戦いでは、旧来の仏教である東大寺や興福寺がとばっちりを受け、聖武天皇さまがあんなに苦労した大仏様も溶けてしまいました。
おかげで、鎌倉期に、運慶・快慶などの慶派の仏師たちが登場して、彼らの作品は、いくつか現代にも伝わり、私たちは800年前の仏像群に今でも触れることができています。それはとてもありがたいことです。けれど、欲を言えば、飛鳥・奈良・平安の無垢の仏像も見せて欲しかった。
京都にも、本来であれば、いくつものお寺があり、たくさんの仏像が造られたと思われます。でも、京都は戦乱の舞台でもあり、権力闘争が行われたので、たいていは消滅したようです。
昔、藤原道長という人が法成寺というのを作ったというのを日本史で習い、そのお寺がどうして今に伝わっていないの? と高校生の時は思いましたけど、たぶん、鴨川の東側にあったのかもしれないけど、それらは消滅しました。たまたま最近、そのお寺にあった仏像(?)を見ることがあって、お寺は失われたけれど、道長さんの思いは、こうして現代にまで残されているのだと感心したことがありましたけど、人が作るモノは壊れ、壊され、そのままでは残らないけれど、その思いの破片であろうと、私たちは何かを感じ取れるのだと言いたいのです。
人間のすることだから、その歴史の中で、たくさんの破壊を行ってしまう。壊すヤツもいるだろうし、それが生きがいの人だっているでしょう。火をつける人だっていますし、本当に人間は作るのも好きだけど、壊すのも好きです。私はどちらかというと、あまりモノは作らなくてもいいから、そのままほったらかしにして欲しいタイプで、ほったらかしの仏さまを拝むだけで幸せなんですけどね。

一部の人間がどんなに破壊しようとも、私たちは、その欠落感を補う力をつけられるものだ。そう思っています。
ビーナス像だってそうです。私たちは、それを勝手に補って、勝手に敬ってしまうのです。顔が失われていたとしても、私たちはビーナスを想像することができるし、大事にしたことでしょう。
この変な自信は何なのかなあ。
私は、きっとバーミアンの仏像あとに行けたとしたら、そこで仏さまのお姿を想像できる気がしています。今は破壊された石ころしか見られないかもしれないけれど、そこに確かに存在し、人びとは細々と守り続けてきた事実は消えない気がします。それが感じ取れるのではないか。
タリバンの人たちは、デモンストレーションとしては衝撃的で、いい宣伝にはなったと思います。彼らは自分の思想信条に正直なだけなのか(単なる計算か)もしれないけど、彼らは偶像を目の前から消し去ることはできたとしても、その記憶は消せなかった。
日本にだってバーミアンの石仏を愛し、何度も絵を描きに行かれた平山郁夫さんみたいな方もおられます。きっと世界中にバーミアンの記憶を共有している人は、今もこれからも続いていくはずです。

日本でも、偶像破壊の時代がかつてありました。お寺を取り壊し、坊主を還俗させ、仏像・仏具を徹底的に破壊し尽くそうとしたことがありました。
でも、その嵐をかいくぐり、あるいはアメリカへ渡ったり、ヨーロッパに渡ったり、地域の住民が守ったり、嵐が過ぎるまで、守ることができたものもいくつかあった。残念ながら壊されたものもあったと思われますが、やはり仏像はいくつか残った。
そして今、残された仏像たちは、そうした嵐の時代のことは語らないけれど、静かに平和な日本で、雄弁ではないけれど、やさしく物語っている。

破壊の嵐があったとしても、たとえ偶像は破壊できたとしても、人びとが仏像に親しんできた歴史は消えないし、破壊されたとしても、破壊されればされるほど、私たちの思いの中の仏さまは不滅の輝きを残すのだと私は思います。
理想かもしれないけど、タリバンには負けたくないし、彼らも必死の作戦だったと思われますが、それは失敗であったと思います。

日本でも、確かにそういう嵐の時代がありました。それは日本国内に吹き荒れた。でも、やがてそれらが収まったら、自然と人びとは親しんできた仏さまをイメージしているし、それを求めて今も各地にさまよっている。
新しく仏さまを作るのもいいでしょう。それくらいみんなが求めているのなら。でも、あえて作らなくても、荒廃したお寺のあとでも訪ねてみればいい。そして、自分たちのしてしまったことに向き合わなくては! 過去の人びともそうであってみれば、今の人もこれからの人も同じまちがいを起こすんですから。
今まで、いくつかそういう仏さまを見ては来ました。その度に、「ああ、壊れてしまったんだな」と、それなりに古いモノだから仕方がないという気持ちで見ていたのかもしれません。
でも、実はそうではなくて、過去から現在に至るまで、何度も何度も仏さまは、焼かれたり砕かれたり、建物と一緒になくなったり、被害を受けてきたのだとその時気づきました。
私の目の前の仏さまは、そうした時代を過ごしていくなかで、何度かケガをされて、ボロボロになった姿で、何も言わないで静かにたたずんでおられるようでした。たまたま仏さまのことを少しだけオモンパカることができた。それはもうたくさんの仏さまを見た後ですから、ズタズタの仏さまに寄せる気持ちが強くなっていたようです。

仏さまを作るのも人間なら、仏さまを壊すのも人間でした。これは、仏教が日本に来たときからずっとそうでした。蘇我氏は積極的にお寺を造ろうとしました。別に仏教に帰依したわけではなくて、権力闘争として、その材料に仏教を使おうとしただけでした。
反対側の物部氏も、仏像などになんの思い入れもなく、蘇我氏が導入したものをたたきこわそうとしたでしょう。そこに仏さまを思う気持ちは全くなくて、ただのモノでしかありませんので、平気でたたき壊せたでしょう。いやむしろ自然の樹木なんかよりも簡単に壊せたことでしょう。
仏教導入から、様々な盛衰があって、仏教は日本に浸透していきました。仏教導入から数百年後の平安末期の源平の戦いでは、旧来の仏教である東大寺や興福寺がとばっちりを受け、聖武天皇さまがあんなに苦労した大仏様も溶けてしまいました。
おかげで、鎌倉期に、運慶・快慶などの慶派の仏師たちが登場して、彼らの作品は、いくつか現代にも伝わり、私たちは800年前の仏像群に今でも触れることができています。それはとてもありがたいことです。けれど、欲を言えば、飛鳥・奈良・平安の無垢の仏像も見せて欲しかった。
京都にも、本来であれば、いくつものお寺があり、たくさんの仏像が造られたと思われます。でも、京都は戦乱の舞台でもあり、権力闘争が行われたので、たいていは消滅したようです。
昔、藤原道長という人が法成寺というのを作ったというのを日本史で習い、そのお寺がどうして今に伝わっていないの? と高校生の時は思いましたけど、たぶん、鴨川の東側にあったのかもしれないけど、それらは消滅しました。たまたま最近、そのお寺にあった仏像(?)を見ることがあって、お寺は失われたけれど、道長さんの思いは、こうして現代にまで残されているのだと感心したことがありましたけど、人が作るモノは壊れ、壊され、そのままでは残らないけれど、その思いの破片であろうと、私たちは何かを感じ取れるのだと言いたいのです。
人間のすることだから、その歴史の中で、たくさんの破壊を行ってしまう。壊すヤツもいるだろうし、それが生きがいの人だっているでしょう。火をつける人だっていますし、本当に人間は作るのも好きだけど、壊すのも好きです。私はどちらかというと、あまりモノは作らなくてもいいから、そのままほったらかしにして欲しいタイプで、ほったらかしの仏さまを拝むだけで幸せなんですけどね。

一部の人間がどんなに破壊しようとも、私たちは、その欠落感を補う力をつけられるものだ。そう思っています。
ビーナス像だってそうです。私たちは、それを勝手に補って、勝手に敬ってしまうのです。顔が失われていたとしても、私たちはビーナスを想像することができるし、大事にしたことでしょう。
この変な自信は何なのかなあ。
私は、きっとバーミアンの仏像あとに行けたとしたら、そこで仏さまのお姿を想像できる気がしています。今は破壊された石ころしか見られないかもしれないけれど、そこに確かに存在し、人びとは細々と守り続けてきた事実は消えない気がします。それが感じ取れるのではないか。
タリバンの人たちは、デモンストレーションとしては衝撃的で、いい宣伝にはなったと思います。彼らは自分の思想信条に正直なだけなのか(単なる計算か)もしれないけど、彼らは偶像を目の前から消し去ることはできたとしても、その記憶は消せなかった。
日本にだってバーミアンの石仏を愛し、何度も絵を描きに行かれた平山郁夫さんみたいな方もおられます。きっと世界中にバーミアンの記憶を共有している人は、今もこれからも続いていくはずです。

日本でも、偶像破壊の時代がかつてありました。お寺を取り壊し、坊主を還俗させ、仏像・仏具を徹底的に破壊し尽くそうとしたことがありました。
でも、その嵐をかいくぐり、あるいはアメリカへ渡ったり、ヨーロッパに渡ったり、地域の住民が守ったり、嵐が過ぎるまで、守ることができたものもいくつかあった。残念ながら壊されたものもあったと思われますが、やはり仏像はいくつか残った。
そして今、残された仏像たちは、そうした嵐の時代のことは語らないけれど、静かに平和な日本で、雄弁ではないけれど、やさしく物語っている。

破壊の嵐があったとしても、たとえ偶像は破壊できたとしても、人びとが仏像に親しんできた歴史は消えないし、破壊されたとしても、破壊されればされるほど、私たちの思いの中の仏さまは不滅の輝きを残すのだと私は思います。
理想かもしれないけど、タリバンには負けたくないし、彼らも必死の作戦だったと思われますが、それは失敗であったと思います。

日本でも、確かにそういう嵐の時代がありました。それは日本国内に吹き荒れた。でも、やがてそれらが収まったら、自然と人びとは親しんできた仏さまをイメージしているし、それを求めて今も各地にさまよっている。
新しく仏さまを作るのもいいでしょう。それくらいみんなが求めているのなら。でも、あえて作らなくても、荒廃したお寺のあとでも訪ねてみればいい。そして、自分たちのしてしまったことに向き合わなくては! 過去の人びともそうであってみれば、今の人もこれからの人も同じまちがいを起こすんですから。