みんな誰かを愛していた。
誰かのためなら、この命を投げ出してもかまわない。
そんな気持ちで立ち向かった。
大義、名分、そんなのは知らない。
自分のために頑張る、なんていうことはあり得ない。
自分なら、何のためにこんなことをさせられているのか、
わからなくなっただろう。
たぶん、毎日が苦痛で、やたら長くて寒くて、アホらしくて、
味気なくて、自分がやっていることがどこにつながるのかわかりゃしない。
自分は司令官じゃないから、大局がどこにあるのか知りたくもない。
相手がいるはずだが、相手も大変だと思う。
けれども、その相手に対してたくさん被害が出ることを願ってやっている。
冷たいし、凍えるし、疲れるし、キリがないのだ。
愛する人たちと一緒に暮らすためなら、
どんな苦労でもやれる気がする。
そういうことを願っていられたのは、それはしあわせな時間だった。
自分のことに思い悩んでいいなんて、自由があればこそできる。
そういうことができないのは、それは自由ではないんだ。
愛する人たちと一緒にいる時間を思うことにしよう。
それしか楽しいことが思い浮かばない。
モノを相手にしていても、それは楽しくないし、冷たい感触だ。
愛する人たちと一緒に、ゴハンを食べたり、おしゃべりしたり、
ダンスをしたり、歌を歌ったりしたい。
それはそれはしあわせな時間だと思う。
それができないのは、しあわせではなくて、自由がない。
自由のない時に終わりはあるのか。
たぶん、あるんだと思う。
その時まで、この冷たい時間をやり過ごさなくてはならない。
たくさんの人たちに何かを伝えたいが、それは簡単なことではない。
大義名分なんていらない。正義もいらない。愛国もいらない。
自分の時間と、愛する人たちと一緒に過ごせること、
それを思い描いて、この冷たい空気の中で、一瞬一瞬をやり過ごしていこう。
★ ウクライナの人々、トルコ南部の人々、シリアの人々、ウイグルの人々、日本でも寒い思いをしている人たち、そういう人々に共感の思いを込めて。[3/4 Sat 6:23am]