中勘助さんの詩を抜き書きしていました。その直後に載っていた詩も同じようなテーマで書かれています。世の中には人を守ってくれているものがどれだけあるのか、そういうことを人は気づかず、その守ってくれているものをメチャクチャにしている話でした。
でも、人が何をしていようと、自然はあるがままです。確かに人の活動によって消滅する種もあるだろうけど、人よりもしたたかに生きていける気がします。人なんて、頼りなくて、無軌道で、弱い存在です。
山がつとはしばみ
むかし信濃の山里に
年老いた山がつ
毎日山へわけいり
日がな一日働いて
かつかつ命をつないでゐました
ここにまたその山に
年をへたはしばみ
見どころもない雑木ながら
それを見て慈悲をもよほし
かれこれひとり思案のすゑ
なにか役にたつやうと
春ふさふさと花をさげ
秋せいいつぱい実をつけました
言もかよはぬ人と草木
山がつはつゆしらず
ささやかな実をとつて
ともしい糧(かて)のたしにしました
植物は、別に人のためになるようにと思って活動しているわけではありません。たまたま植物が生きているそばに人間がいて、人間は自分のために植物が何か実らせているのだといい気になって食べますよ。それがわがままな人間の在り方でしたもんね。
み山はきえ残る
雪のうちに春がすぎて
夏のさかりになつたときに
山がつは斧をさげてゆき
薪にして売るために
はしばみをきりはじめました
かつし
かつし
それでもはしばみは慈悲をすてず
彼のうへに枝葉をひろげ
優しい蔭をおとしました
かつし
かつし
とびちるこつぱ
ひろがる切口
かつし
かつし
ずでんどう
あはれなはしばみ
むざんなはしばみ
ああ、はしばみは切られてしまいました。落葉低木だそうで、あまりイメージはありません。でも、近鉄の駅に(ということは、奈良の町として)榛原(はいばら)という駅がありますけど、あの榛原の「榛」がハシバミという木のようです。ネットには写真もありますが、現物を見てもわからないでしょう。私は、そんな自然との生活しか送ったことがないのです。
有名な木と、大きなクスノキは見たら分かるけれど、あとは何もわかりません。何というオヤジなんだろうね。
切り株になったはしばみを
おてん様は憐れんで
日を照し
雨をふらし
大地は母の乳のやうに
いろいろの養ひを与へました
さうして月日がたつうちに
ごらんなさい切株から
千のさしあげる手のやうに
天にうたいあげる讃歌のやうに
みづみづしいひこばえがでて
いや生ひ
いや繁り
若いはしばみの木になりました
現実は、そんなに簡単ではないだろうけれど、確かに人の文明よりも、どんなに伐採され、ソーラーパネルや、コーヒー農園や、ゴムの木や、人間によって植えられたとしても、いつかは自然が自分たちの大地を取り戻す、そういう気もしてきました。ぜひ、頑張ってもらいたいな。