父が十代後半の母を大阪へ連れて行くことになったのも、映画帰りの夕方だったということでした。そこで父は、母の保護者に当たる伯母さんに懇願して、連れて行っていいかどうか、できれば連れて行きたいと伝え、伯母さんはまだ若い母だったので、一ぺんに結婚まで行かなくていいから、少しずつ進めなさいとアドバイスをしてくれて、母は大阪に父と来たけれど、すぐに「赤ちょうちん」や「神田川」の70年代スタイルに突入せず、父の妹である叔母さんのところに住まわせ、ころあいを見て、友人代表に声をかけてもらい、結ばれたという、何となくそれらしい話を聞かせてもらっています。
もっとズッコけることはいっぱいあったと思いますが、だいたいはそんなところで、大急ぎではなくて、少しずつ母と仲良くなっていったんでしょう。
その、父が母を連れて行った駅、昔は急行も出ていましたけど、それは昔のことだから、そんなことをいくら嘆いても始まらない。とにかく、夕方の映画帰りでも大阪につながる列車があったなんて、それがステキです。
今は、19:51の鹿児島中央発に乗らないと、大阪に来ることはできません。みずほ614号というんですね。夜行バスだって予約していなかったら席はないでしょう。手元にある11月の時刻表では、大阪と鹿児島をつなぐバスはないみたいです。ネットにはあるでしょうか。もうこの路線はなくなったのかどうか、しばらく乗ってないから、なくなる路線もありますね。何度か乗ったことがあるんですけど……。
今も時々電車通勤をしたりするんですけど、今日もそうでしたけど、今は田舎の駅の風情はありません。通勤・通学の人たちがそれなりにいるし、都会から見れば、ものすごい田舎ですけど、自分たち的には、まだ町の雰囲気が残っています。でも、そういうひいき目も、少し電車に乗り続ければ、簡単に崩れてしまって、深い田舎の闇に向かって行く感じです。
それは、都会の人には少しずつ寂しくなる感じでしょうけど、私は割とその雰囲気が好きなんです。
どんどん車内は寂しくなる。降りる人も、乗っている人もまばらになっている。でも、全くいないというわけではなくて、クルマに乗らずに、電車で行き来する人たちがそこにいる。
連絡を取っているのか、忙しそうな人がいたり、全く無関心に寝ている人がいたり、夜なのに落ち着かない顔をして時間が過ぎるのを祈っているようなお年寄りがたまにいたり、電車はいろんな人を乗せたまま、終点に向かって、たまにお客を乗せる時もあるけれど、たいていは外に吐き出しながら、少しずつ少しずつはるか遠い駅まで各駅停車で進んでいく。
ざっと三時間ほどか(もっとかなあ?)、乗務員さんがずっと同じという訳ではなくて、途中で変わったりするけれど、車両はずっとそのままです。
こちらの空気は、はるか遠い町まで運ばれていく。
はるか遠い町も、そんなに空気の中身は変わらないとは思うんですけど、でも、たぶん何かが違うのです。一番の違いは、住んでる人たちが、その土地に対するそれぞれの確固たる思い、これは簡単に運べるものではなくて、実際にそちらで話とか聞かせてもらわないと、味わえないものなんだろうな。
だから、旅へのあこがれはあるんです。この冬、電車でどこか行きたいです。またまた第8波ということだけど、それでも行ってみようかな。