目の前に黒潮が見えた時、右からも左からも船が来ていました。潮岬沖合いを通る船はたくさんいるようでした。
黒潮を下る船はわりと楽そうにスイスイと消えていきました。それを見送って、環境省管轄の休憩所で海を見ながら、新宮で買ったサンドイッチを食べようとしていました。コンビニで買わなかったのは正解でした。でも、タマゴハムカツのサンドイッチを選ぶなんて、どこまで私は小さいころの憧れを引きずっているんだろう。
小学校の給食で出たのか? いやもう、ただただうれしいやら、ハムなのにかつにされて、その食感がたまらない、とかなんとか思っていました。靴を脱いで、ボンヤリと外を眺めていた。
オバサンひとりしかいなかった。オッチャンは畳のところで寝ている人がひとり。お昼を食べているオッチャンは私ひとり。南側はガラス張り。暖房もゆるくかけてあったのかな。
その目の前を、さきほど写真を撮った船が行きます。やっと太陽の光の中に入って、その姿が神々しかった。船はずっと同じように黒潮の上を走っているだけなんだけど、それを見る者にとっては、この光の中にある時がどれだけキレイなのか、それを見る者だけが分かる。船の人たちはずっと同じ時間が流れ、見る者は同じ空間にいるのに、違って見える。ああ、サンドイッチ食べてなくて、ずっと光の中に船が来るのを待てばよかった。でも、もう遅いし、次に船が来るのを待てばいいか……。
そうすると、よくしたもので、船は全く通らなくなりました。さっきあんなに右も左も船が見えたと思ったのに、それが全くいなくなるなんて、これが人生の不思議というものか。
しばらく待ってたら、今度は黒潮を遡る船が来てくれました。でも、この船はなかなか私の目の前に来てくれないし、舳先で大きく波しぶきが立っていました。上下しているようには見えないけれど、甲板上は大変なことになっているのかもしれない。いや、それが当たり前のことなのかな。
船は好きですね。簡単には乗れないし、なかなか乗るチャンスはないけれど、港にいる船も、目の前を行く船も、そこに何とも言えない時間が流れているから、グータラでどこにも行けない私には、無限の可能性が感じられて、たまらなく好きなのです。
黒潮を遡って、どこに用事のある貨物船なんだろう。東日本と西日本を行き来する流通を担う船なんだろうな。
最初はカラーで撮ってましたけど、もう光と影を意識して、モノクロ撮影をしていました。これは数少ないカラーで撮った海と光と松のシルエットです。これは江戸時代の北前船の乗組員さんたちも見えた風景かもしれない。
ああ、北風は強いけれど、黒潮はいつもこんなもんだ。光はあるし、波は穏やかな方だ。もう少し距離を稼いで、どこかの入江に入ろう。黒潮に乗れる時こそ、すばやく海を渡らねば。この岬をのんびり通り過ぎれるなんて、これはもうけものだ!
そんな風にして、過ぎていきましたか。船に乗ってる友だちに訊いてみないといけないですね。でも、そんなの当たり前なんだろうな。
灯台まで歩く時、山口誓子さんの句碑を見つけました。
せっかくだから、見てみようと、句碑の前に立つと、
「太陽の出でゝ没るまで青岬」
と書いてありました。
潮岬は「青岬(あおみさき)」というふうにも呼ばれるらしい。確かに芝生がいっぱいで、台地の南の端にあるし、いかにもそれらしい語感があるところです。
「出でゝ」は「いでて」と読めばいい。今は冬だから、南の端にいたら、太平洋の南東のあたりから出てくるのでしょう。沈むときも、南西に沈むのが見えるかもしれない。なかなか雄大な句じゃないですか。
でも、季語はどうなっているの? 青岬だから、夏か春ということなのかな。だったら、「没る」は何と読めばいいの? 「ぼつる」じゃないし、「くるる」でいいのかな。「もぐる」でもいいのか? で、今、漢和辞典を調べたら、「かくる」というのがありました。
「たいようの いでてかくるまで あおみさき」
シンブルで、しかも壮大な真実をポンと投げ出してくれました。私なら、「しおのみさき」で字余りになってしまうから、真ん中に置くかとか、つまらないことを気にしてしまうもんな。
1 小春日の反射と風の岬かな
2 背中より北風ゆるく黒き海
3 波高し犬もこどもも冬岬
変てこな五七五にしました。山口誓子さんにはもちろんなれません!
この句碑、1960年に作られたそうです。なぁんだ、ここにも同年配の仲間がいた!