甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

草原の岬と海

2019年12月28日 17時55分50秒 | 海と水辺と船と

 そこは昔はボクたちの庭みたいなものでした。クルマで約二時間くらい。少し遠いけど、行こうと思えば行けないことはないし、日帰り温泉はいくつかあるし、お気に入りの温泉だってありました。

 でも、まだクルマの免許のないころ、1990年の初夏、電車とバスを乗り継いで行ったのがボクたち家族の最初の潮ノ岬でした。

 うちの子は小さくて、草原をトコトコ走っていました。確か土産物売り場で手まりのようなサッカーボールを買って、家族3人でサッカーをしたりした。もう疲れ果てるまで無意味にボールを蹴って遊んでいた。あの時、自分では感じなかったけれど、意識はなかったけれど、ボクたちは光の中で時間を忘れていた。

 しばらく遊んで、持参したお昼ゴハンとかを食べたら、帰らなければならなくて、その時にはバスの時間とか、帰りの電車の時間は? と、時間の流れの中に引き戻されたわけだけれど、ボール遊びをしていた時には、何もかも忘れていたはずです。


 家から6時間ほどかけて、ようやく私は潮ノ岬にたどり着けた。昔乗った路線バスはもうなかった。こんなに有名な(台風シーズン!)潮ノ岬へ行くには、コミュニティバスに乗せてもらうしか方法はなかったのです。

 潮ノ岬は、黒潮に突き出た台地の南の端まで行かなくてはならなかった。串本大島と潮ノ岬の台地は巨大な紀伊半島から飛び出た小さな半島になっていて、そこからやっと黒潮が眺めることができます。串本の町から直接眼下に黒潮を眺めることはできませんでした。

 ★ JRから見えた串本大島で、その向こう側に潮岬の半島台地があります。お昼前の光が降り注いでいました。


 コミュニティバスは、台地の上の集落を縫うようにして走ります。地元の人たちは細い道をすっ飛ばしてくるけれど、老練な運転手さんはそれらを上手に避けて少しずつ前に進んでいく。そして、バスに乗っているお客さんは少しずつ降りていきました。みんなこちらに住んでおられるお年寄りたちのようです。

 みんな朝のうちに串本の町に出かけて、用事が済んだので、自宅へ戻るという感じです。潮ノ岬への観光客は、何人かいたけれど、みんな1人で、みんな男どもばかりだった。女の人の一人旅はいない。それはもう、年末ですから、普通の人(特に女性)は観光で潮ノ岬に行こうなんていう人はいなかった!

 岬に着いたら、家族連れやご夫婦旅の人たちはいたけれど、当然ながらお車で来ていた。まあ、そんなの当たり前です。家族で年末にバスに乗り、うすら寒い潮ノ岬をめざそうなどというのは、鉄道オタクとひまなオヤジと、そうだ、親子のオタクもいました。あれは楽しい旅だったのかな。だったら、それはそれでいいか……。



 海の上に立つ台地は、海抜数十メートルはあるようで、そこから右から左へと流れる黒潮を見ることになります。光の加減でちっとも黒くは見えなかったけれど、本当はしっかりと紫色をした黒っぽい紺色の水が流れるのが見えるはずでした。

 けれども、太陽が低い位置から真っすぐに照らしてくれるので、海はすべての光を反射して何にも見えないようにさせていた。

 海は白っぽい光のじゅうたんになっていた。風の強い日ではあったのに、波は北風に抑えられてたのか、たまに岩にぶつかって跳ねているだけだった。


 何時間もかけて、やっとたどり着いた海だった。これが見たくて来たのだと思う。

 何枚か写真も撮ったけれど、モノクロで撮ろうとしたようでした。カラーで撮った画像がノッペリしすぎていて、この荒涼とした感じを伝えるためには、モノクロなのかなと思ったんでしょう。海の反射を浴びて、目はしばらくちゃんと見えなくなってしまいましたっけ……。

 自撮りもしたけれど、そんな私をあざ笑うように、一番南の展望台のところに、何のトリだかわからない黒っぽいトリがいて、ひとりであれこれ言ってたみたいですけど、バスで一緒だった男の人が猛然と近づいたら、サッと逃げていきました。男の人はトリが見たいんじゃなかったと思うな。私はトリをもう少し見たかったのに。





 


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