ふと思うところがあって、中原中也さんの詩集を取り出しました。1974年印刷の角川文庫です。40年間くらいうちの本棚にあるわけですが、ほとんど読むことがありませんでした。ずっと放置したままでした。
それを取り出して、パラパラ拾い読みしました。意味も考えず、スッと心に入ってくるものがないかなと、それだけの基準で見てみました。海のこととか、夏のこととか、何だか文字がいっぱいあるのはすぐパスしました。
そうしたパラパラ読みで、見てみると、有名なものはすぐにパスして、読んでみたら、意外といい作品もあるような気がしてきました。
ボクでも作れそうな(そんなことはないんですけど)、気軽な作品を探しました。あまり意味のなさそうな作品だけど、シンプルなのに、おもしろいものはないかなと……。そしたら、いくつか見つけたので、しばらく紹介したいと思います。
最後は決まっていますが、そこへたどりつくまで、しばらく中也さんの作品を読んでみます。
月夜の浜辺
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。
さあ、シンプルでしょ? ここからどんな世界が広がるのか、楽しみじゃないですか。遠くまで思いは広がるのか、それともボタンに何か意味があるのか。この「僕」はどうしてここにいるのか。何もわからないけれど、どういうわけかボタンを拾ったというのです。
私なら、ドラマチックに、ボタンの背景を考えたり、誰のボタンなのか詮索(せんさく)したり、こまかなことをあれこれ言うでしょう。それもありとは思うけれど、中也さんの魅力は、わりと何もかも投げ出して、そして、サラリとすり抜けて、それで何だったの? という、カッコイイ男の技です。私みたいにベタベタしたことはしません。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向かってそれは抛(ほう)れず
浪に向かってそれは抛(ほう)れず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。
波打ち際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向かってそれは抛(ほう)れず
浪に向かってそれは抛(ほう)れず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。
(私)どうしてボタンなの? そのボタンをどうするの?
(中)いや、ちょっと、海の向こうに投げ捨てたかったんだけどね。でも、それはできなかったんだ。別に罪の意識とかいうんじゃないんだよ。なんでもないことなのさ。月に向かって投げる。波の彼方に投げる。何だか自由で楽しい感じだろ。でも、それならボタンじゃなくてもいいんだよ。浜辺の小石で十分さ。ボタンと小石は違うモノなんだよ。ボタンは投げちゃいけないのさ。
(私)ボタンって、人の尊厳みたいなものですか? それとも男のシンボルということですか? これは、絶対に女の子のコートのボタンとか、そういうものじゃないですね。男もののボタンですよね。何かの役に立つモノなんだし、金属製だったり、模様が施されてたりするんじゃないですか?
(中)月夜の晩に、浜辺を散歩していて、ボタンを見つけたということだよ。はるばる海を旅してきたボタンなんですよ。だから、その長い旅路にも意味を感じているわけです。その時間に敬意をもって接しているわけです。
小石だって、時間は経過しているだろうけれど、それは自然の中での時間でしょ。何万年・何千年の時間は、少し長すぎるんですよ。やはり、人間の時間の中で、敬意を表すべきモノを見つけたいんですよ。
だから、小石だったら、月にでも、海の彼方にでも行かせてあげるんですよ。人間の何十年の人生を背負っているボタンを、海辺で見つけたから、その人生の不思議に少し感動しているんですよ。
(私)そんなにすごいものですか。ただのゴミだと思うけれど……。
月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
指先に沁(し)み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
(私)ただの偶然を、小さな物語に仕立てて、それを「僕」のささやかなこだわりの上に載せて、それらしい世界を作ったように見えるだけ、それだけのような気もするし、そうでない気もするし、単純すぎて、何だか不思議な浮遊感です。
「僕」は、ボタンをどうすることもできず、捨てられもせず、指で握って、ただ何かの記念として取っておくような雰囲気です。どうして、そんなに気に入ったの? それがわからないし、「ボタン」は、時が経てば経つほどに大きな存在になっていく感じです。
まんまとワナにはまった感じです。意外とおもしろいかもしれない、そう思いました。
明日も、何かいいものないか、探してみますね。本当は、いくつか見つけたけれど、少しずつ紹介していきます。
★ 冒頭のグラスの底は、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」とCMで言われてた、岡本太郎さんのデザインのグラスでした。うちの数少ない宝物です。
クルマの上に乗っかっているのは、甥っ子が買ってくれたガチャポンおもちゃの岡本太郎さんです。中原中也さんと岡本太郎さんのコラボにしてみようとしたんですね。今さらにそこに気づきました。(2019.10.19)