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今夜も、啄木の短歌を見てあげてください。どうぞ、よろしくお願いします。
愛犬の耳斬(き)りてみぬ
あはれこれも
物に倦(う)みたる心にかあらむ
……「物に倦みたる心」って、何でしょう。ただの思わせぶり男が、女の人の同情を引こうとしているんではないのとイジワルに思ってしまったりします。そして、愛犬を傷つけるなんて、とんでもない動物虐待です。
今の感覚で見るからいけないんですね。メランコリーになったら、どんなことだって許されるのが昔の社会だったのかもしれない。しかも啄木は文学者なんですから、どんなことも許されちゃうのです。
たぶん、啄木は何もしていないのです。これも1つのポーズかもしれない。
鏡(かがみ)とり
能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽きし時
……泣き飽きたら? また、泣きもしないのに「男泣きしたよ」と口に出して言ってしまうところがズルイですね。そんなことで私たちはだまされません。
まあ、二十代の頃の私はだまされたような気はします。
「男って、泣きたいときがあるんだよ。啄木だって、こんなこと書いているじゃないの。ボクも泣きたくなるよ」
とか、たいしたこともしていないのに、泣きそうな顔をしてみせたかも……。
そんなの端から見たら、バレバレなのに、それが許されると思っているところが思い上がりです。
二十代は思い上がりの年代なんですね。それも若さがそうさせるのかも……。それをうまく取り出せてる啄木はズルイけど、1つの才能を発揮してたんですね。
なみだなみだ
不思議なるかな
それをもて洗へば心戯(おど)けたくなれり
……冒頭の書きぶりは何です。こんなのズルイじゃないですか。短歌としては失格です。でも、つかみとしてはバッチリかもしれない。そして、涙で何を洗うというのでしょう。心ですか? 汚れた自分ですか? 人とうまくいかないことを清算するということですか?
なみだで何かを洗うなんて、21世紀の私たちにはとても使えない表現です。よほど勇気がないと書けない。それをシャラーと書けるのは1つの才能ですね。たいしたもんだ。
草に臥(ね)て
おもふことなし
わが額(ぬか)に糞(ふん)して鳥は空に遊べり
……オチがついている珍しい短歌です。あまりにできすぎていて、失敗かも知れません。でも、草の上に寝る短歌はこれからも出てきますし、彼がよくやるポースなのです。その最初のパターンかなと思って、抜き書きしました。
しかし、ちゃんとケリをつけているのはエライところです。「ボクって、すぐカッコつけちゃうんだよな。いつものカッコツケで、草の上に寝転んでみたら、鳥たちはそんなボクをあざ笑うようにフンをしていったのさ。やつらにボクは見透かされているのかなあ」と、自分で言ってるようなものですね。
「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止(よ)せ止(よ)せ問答(もんだふ)
……生きる、死ぬなどを口にするのは、本当に生死の問題の中で生きていない証拠です。彼はそれを分かっています。けれども、あえてそんなふりをしてみせた。そんなポーズをする自分と、冷静に自分を見ている自分がいる。その2つを上手に書き分けている作品かなと、抜き出してみました。
つまらない理屈はよそうぜ。そんなことより金儲けだか大事だ。生活をどうしていくかだ。生と死、そんなのは詩人にやらせておけばいい。普通の生活人は、自らの家族をちゃんと守れなきゃダメなんだぜ。などと思ってたかな。
何処(どこ)やらに沢山(たくさん)の人があらそひて
鬮(くじ)引くごとし
われも引きたし
……これは素直な作品です。世の中が彼にはこのように見えました。
たくさんの人々が、日々のいろいろなシーンの中で、争い、戦い、議論し、競い合う。みんな勝った負けたで一喜一憂している。彼はそういう世の中とは距離をおくタイプじゃないの? というイメージなのですが、実は彼はそのまっただ中に行きたい人なのです。
彼のなまぐさいところです。彼はインテリ気取りの、お上品詩人ではないのです。みんながワイワイ騒いでいたら、その渦中に飛び込んで、みんなとワイワイお祭り騒ぎを楽しむ人でした。
ああ、これは私はマネできないところです。私はあこがれはしますが、そこへ飛び込むことができないヤツでした。これが啄木さんを尊敬してしまうところです。私ならくじ引きにも参加しないで1人でくすぶっていることでしょう。百年前の啄木さんにはなれない。
オッサンの今は、くじ引きをして騒いでいる人々を取り巻くオッサンにはなれるかもしれない。大当たりした人がいたら、うらやましそうに見てあげることはできますよ。
何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
汽車を下(お)りしに
ゆくところなし
何がなしに
さびしくなれば出(で)てあるく男となりて
三月(みつき)にもなれり
……こんな所在なげなふりもできるんですね。たいしたもんだ。無意味に汽車には乗らないし、無目的に出歩いたりしなかったはずですが、そんなことをしたよと平気でかけるところがたいしたもんだ。
愛犬の耳斬(き)りてみぬ
あはれこれも
物に倦(う)みたる心にかあらむ
……「物に倦みたる心」って、何でしょう。ただの思わせぶり男が、女の人の同情を引こうとしているんではないのとイジワルに思ってしまったりします。そして、愛犬を傷つけるなんて、とんでもない動物虐待です。
今の感覚で見るからいけないんですね。メランコリーになったら、どんなことだって許されるのが昔の社会だったのかもしれない。しかも啄木は文学者なんですから、どんなことも許されちゃうのです。
たぶん、啄木は何もしていないのです。これも1つのポーズかもしれない。
鏡(かがみ)とり
能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽きし時
……泣き飽きたら? また、泣きもしないのに「男泣きしたよ」と口に出して言ってしまうところがズルイですね。そんなことで私たちはだまされません。
まあ、二十代の頃の私はだまされたような気はします。
「男って、泣きたいときがあるんだよ。啄木だって、こんなこと書いているじゃないの。ボクも泣きたくなるよ」
とか、たいしたこともしていないのに、泣きそうな顔をしてみせたかも……。
そんなの端から見たら、バレバレなのに、それが許されると思っているところが思い上がりです。
二十代は思い上がりの年代なんですね。それも若さがそうさせるのかも……。それをうまく取り出せてる啄木はズルイけど、1つの才能を発揮してたんですね。
なみだなみだ
不思議なるかな
それをもて洗へば心戯(おど)けたくなれり
……冒頭の書きぶりは何です。こんなのズルイじゃないですか。短歌としては失格です。でも、つかみとしてはバッチリかもしれない。そして、涙で何を洗うというのでしょう。心ですか? 汚れた自分ですか? 人とうまくいかないことを清算するということですか?
なみだで何かを洗うなんて、21世紀の私たちにはとても使えない表現です。よほど勇気がないと書けない。それをシャラーと書けるのは1つの才能ですね。たいしたもんだ。
草に臥(ね)て
おもふことなし
わが額(ぬか)に糞(ふん)して鳥は空に遊べり
……オチがついている珍しい短歌です。あまりにできすぎていて、失敗かも知れません。でも、草の上に寝る短歌はこれからも出てきますし、彼がよくやるポースなのです。その最初のパターンかなと思って、抜き書きしました。
しかし、ちゃんとケリをつけているのはエライところです。「ボクって、すぐカッコつけちゃうんだよな。いつものカッコツケで、草の上に寝転んでみたら、鳥たちはそんなボクをあざ笑うようにフンをしていったのさ。やつらにボクは見透かされているのかなあ」と、自分で言ってるようなものですね。
「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止(よ)せ止(よ)せ問答(もんだふ)
……生きる、死ぬなどを口にするのは、本当に生死の問題の中で生きていない証拠です。彼はそれを分かっています。けれども、あえてそんなふりをしてみせた。そんなポーズをする自分と、冷静に自分を見ている自分がいる。その2つを上手に書き分けている作品かなと、抜き出してみました。
つまらない理屈はよそうぜ。そんなことより金儲けだか大事だ。生活をどうしていくかだ。生と死、そんなのは詩人にやらせておけばいい。普通の生活人は、自らの家族をちゃんと守れなきゃダメなんだぜ。などと思ってたかな。
何処(どこ)やらに沢山(たくさん)の人があらそひて
鬮(くじ)引くごとし
われも引きたし
……これは素直な作品です。世の中が彼にはこのように見えました。
たくさんの人々が、日々のいろいろなシーンの中で、争い、戦い、議論し、競い合う。みんな勝った負けたで一喜一憂している。彼はそういう世の中とは距離をおくタイプじゃないの? というイメージなのですが、実は彼はそのまっただ中に行きたい人なのです。
彼のなまぐさいところです。彼はインテリ気取りの、お上品詩人ではないのです。みんながワイワイ騒いでいたら、その渦中に飛び込んで、みんなとワイワイお祭り騒ぎを楽しむ人でした。
ああ、これは私はマネできないところです。私はあこがれはしますが、そこへ飛び込むことができないヤツでした。これが啄木さんを尊敬してしまうところです。私ならくじ引きにも参加しないで1人でくすぶっていることでしょう。百年前の啄木さんにはなれない。
オッサンの今は、くじ引きをして騒いでいる人々を取り巻くオッサンにはなれるかもしれない。大当たりした人がいたら、うらやましそうに見てあげることはできますよ。
何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
汽車を下(お)りしに
ゆくところなし
何がなしに
さびしくなれば出(で)てあるく男となりて
三月(みつき)にもなれり
……こんな所在なげなふりもできるんですね。たいしたもんだ。無意味に汽車には乗らないし、無目的に出歩いたりしなかったはずですが、そんなことをしたよと平気でかけるところがたいしたもんだ。