昨日の続きです。たぶん、明日も書くと思うけど、明日はもっと忘れているから、とにかく書けるだけ書きます。
そのうち飽きてくると思うけど、とりあえず、私のテーマとして江戸から明治の人々、日本の風景、その頃の人々の生き方というのをどうにかして見つけたい、というのがあります。そのテーマに関する展覧会でした。なのに図録を買ってないなんて、ああ、情けない。
昨日の「明けの明星」というタイトルと絵のアンバランスが引っかかりましたけど、この「ユダの木」というのも気になりました。どんな種類の木なんだろう。
絵からすると、清水の舞台の下に桜が咲いていて、それを絵にしたのかなと、簡単に思ってしまいました。けれども、そうではありませんでした。
ユダの木(judas tree)というのは、西洋はなずおう、という木なんだそうです。ユダさんが首をくくった木なんだとか。そういう因縁のある木なんですね。ネットから借りてきたら、西洋シャクナゲとも書いてありました。夏の木なのかな。
花にはインパクトはあるけど、確かに日本的な木ではないのかもしれませんね。もう少し椿とかみたいに緑に覆われてる中に咲くとか、咲き方に工夫が欲しかったけど、西洋の花だよと言われたら、そうなのかなと思ってしまいます。
ユダさんは、キリストさんのお弟子さんで、12人のお弟子さんのひとりでした。そして、師のキリストさんを売り飛ばしてしまう。裏切り者とされ、それを苦にして最後は自殺したんですね。何とも言えない結末です。
私は、そういうキリスト教的な世界から切り離されて生きてるから、ユダさんは裏切り者という意味合いでしか知りません。でも、突然に清水寺にその木が生えてたのを見つける外国の画家さんって、日本人とはツボが違うんですよ。
それが絵のテーマになってしまう。日本の人なら、あら、花が咲いてるけど、あまり見ない木だな、くらいなのかなあ。
はるばる日本にやって来て、そこの全く自分たちと違う世界の、全く違う宗教空間、それをお寺というのだけれど、あまり厳かな気配はなくて、みんなただお祈りしている。わりとのんきな感じで、厳しさとか、尊さは感じられない。
知り合いの家に来たみたいな、何となくその空間に馴染んでいる人々がいる。その一番の建物の下まで来たとき、ギョッとさせられるくらいに、こんな東洋の国で自分たちが見てきたユダの木を見つけた。
そのギャップが絵を生んだんですね。東と西の出会いがあったわけです。
作者のウォルター・ティンデルという人は、どんな人なのか、見つかりませんでした。英語で読み込んだら、わかるのかもしれないけど、これもただ不思議だな、妙な取り合わせだ、よくぞこんなところに注目したな、くらいしかわかりません。
わりと静かな絵で、舞台の下でおしゃべりする人の声が聞こえてきそうで、そういう穏やかな時間を感じさせてくれるものでした。
ジュダって、そういう重いものをあの人たちは感じながら、見聞きしてるんだろうな。
★ 清水の舞台の屋根の形が今とは違いますね。今は建物全体を覆う特別な広がりのある屋根ですけど、昔はもう少し小さい屋根だったんでしょうか。古い写真でも探さないと、分からないですけど、疑問として記憶の端っこにとどめておこうと思います。