
恋人はジルバップといいました。秋葉原のIマル電気から下宿に連れてこられました。とても明るい音を出してくれました。もうあちらこちらをさわりまくり、丁寧にやさしくふれてあげて、いつも仲良く暮らしていました。
よその人のいうことを聞くことはほとんどなくて、ただ私だけの言うことしか聞かないのです。私とジルバップの2人だけで下宿の小さなスペースにいました。
ジルバップはいろんな音楽を奏でてくれます。それらを保存してねと頼んでおけば、ちゃんと保存してくれて、私の聞きたいときに奏でてくれるのでした。
私はどんな音楽が好きだったのかというと、高校時代の流れから、フリートウッドマックとか、イーグルスとか、LAのカリフォルニア的なのは好きでした。他にはユーミンとか、石川さゆりとか、岩崎宏美ちゃんとか、適当に好きでした。
クラッシックもそれなりに好きで、フルトベングラーがナチスに協力していたということでしばらく音楽界から追放されていたのが、ふたたび指揮することが許された時のライブの交響曲5番「運命」とか、これはFMから録音して、何度も何度も聞きました。
ジルバップちゃんを高いところに置いて、夜などに「さあ、今からじっくり聞こう」と、横になってリラックスして構えたら、ダダダダーンが鳴り響きます。そしてもう一つダダダダーン、これの繰り返しなんだけど、それぞれが連鎖していて、それぞれが微妙にちがっていて、どんどん積み重なって音楽世界が広がります。
私とジルバップちゃんとの楽しい時間は数十分で、私は感動して泣いちっゃたりして、ジルバップの世界に浸っていました。「こんなので感動している私ってスゴイ!」とナルシスティックな気持ちが盛り上がっていたのです。なんということでしょう。

それほどいつも一緒だったので、18歳のナツ、旅にはジルバップちゃんを一緒に連れて行くことにしました。クルマではないので、電車に荷物として連れて回ります。昔の電車はいつも混んでいて、なかなか自分の座席を確保するのも大変なのに、ジルバップちゃんを網棚ではなくて座席に置いておこうとするわけですから、なんだか面倒な旅だったような気がします。でもジルバップちゃんを愛している当時の私には、それが当たり前だったのです。
手で持つのではなくて、肩に担ぐようにして持っていったような気がします。それが全く面倒でも重荷でもなくて、当たり前の行為として受け止めていましたが、当時の下宿のみなさんは、
「何だか変な格好をしてアイツは出て行くんだな。余計な荷物なのに……」
と思ったそうです。みんなにとんでもない姿を目撃されていた。
出て行くのはほんの一瞬なはずですが、その後ろ姿が印象的だったんでしょうね。本当にはたから見ていると、何をやっているんだかというようなこと、今もしていると思われますが、それが私なんですから、仕方ないですね。

さあ、私の「青春18の旅」はそんなふうにジルバップちゃんと一緒に始まったわけですね。印象的な思い出はあるんでしょうか? やたら重い荷物を抱え、動きも悪く、どこをほっつきあるいていたのやらですね。
だれのアイデアでそんなことを始めたのか? もちろんオリジナルだと思われますが、そんな重い荷物を抱えて旅をしている人って、当時はいたような気がします。大きなラジカセを抱え、どこでもいつでも音楽と一緒というふうに洗脳されていたのかもしれません。
若い人ってオバカなことをするもんなんでしょう。いやむしろ、どれだけオバカなことができるかなんですよ。
私のオバカはたかが知れていて、あまり飛び抜けたオバカではなかったようです。
残念ですね。もっと突拍子もないことをしていればよかったなあ。愛するジルバップちゃんと電車に乗ることがせいぜい私のやれることだったのか……。
よその人のいうことを聞くことはほとんどなくて、ただ私だけの言うことしか聞かないのです。私とジルバップの2人だけで下宿の小さなスペースにいました。
ジルバップはいろんな音楽を奏でてくれます。それらを保存してねと頼んでおけば、ちゃんと保存してくれて、私の聞きたいときに奏でてくれるのでした。
私はどんな音楽が好きだったのかというと、高校時代の流れから、フリートウッドマックとか、イーグルスとか、LAのカリフォルニア的なのは好きでした。他にはユーミンとか、石川さゆりとか、岩崎宏美ちゃんとか、適当に好きでした。
クラッシックもそれなりに好きで、フルトベングラーがナチスに協力していたということでしばらく音楽界から追放されていたのが、ふたたび指揮することが許された時のライブの交響曲5番「運命」とか、これはFMから録音して、何度も何度も聞きました。
ジルバップちゃんを高いところに置いて、夜などに「さあ、今からじっくり聞こう」と、横になってリラックスして構えたら、ダダダダーンが鳴り響きます。そしてもう一つダダダダーン、これの繰り返しなんだけど、それぞれが連鎖していて、それぞれが微妙にちがっていて、どんどん積み重なって音楽世界が広がります。
私とジルバップちゃんとの楽しい時間は数十分で、私は感動して泣いちっゃたりして、ジルバップの世界に浸っていました。「こんなので感動している私ってスゴイ!」とナルシスティックな気持ちが盛り上がっていたのです。なんということでしょう。

それほどいつも一緒だったので、18歳のナツ、旅にはジルバップちゃんを一緒に連れて行くことにしました。クルマではないので、電車に荷物として連れて回ります。昔の電車はいつも混んでいて、なかなか自分の座席を確保するのも大変なのに、ジルバップちゃんを網棚ではなくて座席に置いておこうとするわけですから、なんだか面倒な旅だったような気がします。でもジルバップちゃんを愛している当時の私には、それが当たり前だったのです。
手で持つのではなくて、肩に担ぐようにして持っていったような気がします。それが全く面倒でも重荷でもなくて、当たり前の行為として受け止めていましたが、当時の下宿のみなさんは、
「何だか変な格好をしてアイツは出て行くんだな。余計な荷物なのに……」
と思ったそうです。みんなにとんでもない姿を目撃されていた。
出て行くのはほんの一瞬なはずですが、その後ろ姿が印象的だったんでしょうね。本当にはたから見ていると、何をやっているんだかというようなこと、今もしていると思われますが、それが私なんですから、仕方ないですね。

さあ、私の「青春18の旅」はそんなふうにジルバップちゃんと一緒に始まったわけですね。印象的な思い出はあるんでしょうか? やたら重い荷物を抱え、動きも悪く、どこをほっつきあるいていたのやらですね。
だれのアイデアでそんなことを始めたのか? もちろんオリジナルだと思われますが、そんな重い荷物を抱えて旅をしている人って、当時はいたような気がします。大きなラジカセを抱え、どこでもいつでも音楽と一緒というふうに洗脳されていたのかもしれません。
若い人ってオバカなことをするもんなんでしょう。いやむしろ、どれだけオバカなことができるかなんですよ。
私のオバカはたかが知れていて、あまり飛び抜けたオバカではなかったようです。
残念ですね。もっと突拍子もないことをしていればよかったなあ。愛するジルバップちゃんと電車に乗ることがせいぜい私のやれることだったのか……。
